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「蠅たちの隠された生活」書評 小さな生命体 想像つかぬ世界

評者: 保阪正康 / 朝⽇新聞掲載:2018年09月08日
蠅たちの隠された生活 (大英自然史博物館シリーズ) 著者:エリカ・マカリスター 出版社:エクスナレッジ ジャンル:動物学

ISBN: 9784767824932
発売⽇: 2018/06/28
サイズ: 19cm/343p

蠅たちの隠された生活 [著]エリカ・マカリスター

 「蠅」に憑かれた研究者(大英自然史博物館勤務)の蠅学概論である。冒頭に数字が語られる。世界の昆虫個体数は「およそ千京(10の19乗)」で、そのうちの約8・5%がハエ目(双翅目)という。もっともここにはハエ、カ、アブなども入るというが、人間1人につき1700万匹のハエが存在することになる。
 このハエだが、私たちは害虫扱いする。伝染病の媒介者であり、ときに死への誘い役でもある。その一方で著者によると、ショウジョウバエは繁殖力が旺盛で、過去100年にわたり、人類の遺伝を探る研究に多大な貢献を果たしてきた。
 クロバエの幼虫は、死亡日時の特定に役立ち、殺人事件の解決に協力する。壊疽の治療では生きた蛆虫を傷口に置く。すると壊疽の組織を食べてしまう。チンギス・ハーンは遠征軍に大量の蛆虫を馬車で運び、負傷した兵士の治療に用いたそうだ。ヤチバエの幼虫は、住血吸虫症の原因となるカタツムリや巻き貝を捕食するという。
 古代エジプト人はハエを尊敬していた。勇気と粘り強さ。捕食性のハエは、自分より大きな獲物に向かっていくからだ。昆虫や甲殻類まで捕食する。加えて北極のマイナス60度から熱帯雨林まで平気である。
 ハエは卵、幼虫(蛆虫)、蛹、成虫の4段階を経る。幼虫時代は食べることのみに費やされる。糞便、死肉から野菜までなんでも食べる。成虫になると交尾し、分散して行く。その生命力は凄まじい。どんなところにも卵を産む。しかも、ハチに産み付けられた卵は、幼虫になり、宿主を食べる。
 著者は、ハエに憑かれているだけではない。新種のハエ(まだかなりいるらしい)を発見する喜び、多様なハエの種類から「求愛」の様子、最大級で6センチもあるムシヒキアブモドキ科などに触れていくときの高揚は、私たちを刺激する。
 この小さな生命体を通じて、我々の想像もつかない世界が見えてくる。
    ◇
 Erica McAlister 昆虫学者、大英自然史博物館の双翅目のキュレーター。仏、豪などで学び、世界中で研究する。