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頭に浮かぶ先生の声 湊かなえ

 竹刀を買いました。
 理由は二つ。一つは、私は高校生のころ剣道部だったのですが、高校2年生の子どもも剣道部で、試合などの見学に行くと当時を懐かしく思い出し、自分もまた竹刀を握ってみたいと思ったこと。もう一つは、3年前に2か月で7キロのダイエットに成功したのに、すっかり元に戻ってしまうどころか、人生マックス記録を更新し続けているため、いよいよ、どうにかしなければならないと、危機感が募ってきたからです。
 素振りなら一緒にやってあげると、子どもの協力も得られることになったので、三日坊主で終わる心配もありません。そうして始まった夕方の素振りは、なかなかハードですが、思ったより気持ちいいものになりました。正面素振りを100回、跳躍素振りを100回。これらを300回ずつにするのが目下の目標です。しかし、一度竹刀を握ると、それ以外にもやりたいことが出てきます。
 子どもの試合を見に行くと、もっとこうすればいいのに、あの技を使えばいいのに、といったことが、自分の声ではなく、高校時代の顧問の先生の声で頭の中に浮かんできます。先生は高校から剣道を始めてインターハイに出場した実績を持つ方で、高校から始めたことを言い訳にするなと、厳しく指導されました。あれから30年近く経つというのに、先生に教えてもらったことは、頭の中にしみついているようです。
 それらを今までは言葉で伝えていたのが、竹刀を握って向き合うことにより、手本を見せながら、より詳しく教えられるようになりました。私が中段に構えた姿勢を見て、「一本取れる気がしない」と子どもに言われたのも、しめしめといった気分です。
 それより、先生の声で浮かんでくることをすべて子どもに伝えて、実際に防具をつけて試合をしたら、こちらが秒でやられてしまうほどに上達してくれた方が、たとえ1キロもやせなくても、いい買い物をしたなと思えそうです。=朝日新聞2018年9月10日掲載