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通りすがりのひとこと 湊かなえ

 10月頭、国際映画祭に出席するため、カナダのバンクーバーに行ってきました。フリータイムに現地ブランドの服飾店を見て周っていた時のこと。背後から、若い女性に声をかけられました。

 「あなたのパンツ」

 英語で言われ、慌てて自分のはいているものに目を遣(や)ります。日本人特有の思考か、私個人の性格か、それに続く言葉は、「汚れている」「捲(まく)れている」「破れている」といった悪いものしか思い浮かびません。恥ずかしい気分で顔を上げると、女性はニッコリ笑って言いました。

 「とてもいいわね」

 なんと褒められたのです。やや光沢のある黒色の、目の細かいドレープパンツは、特別に目立つ品ではありません。どこで手に入れたのかと訊(き)かれ、日本で買ったと伝えると、「私は買えない」と続いたものの、それほど残念そうではありません。「でも、あなたにとても似合ってる」と笑顔のまま言われ、バイバイと手を振られました。「ありがとう」と口にしながらこちらも手を振り、とても幸せな気持ちになりました。

 一緒にバンクーバーに行っていた映画会社の女性は、別のマーケットでコートを褒められたそうです。バンクーバー在住経験のあるその人によると、通りすがりの見知らぬ人から服や持ち物を褒められるのは、めずらしいことではないのだとか。自分も同じ物が欲しいからではなく、ただ「いいな」と思ったから声をかけるのだ、と。

 私はここ1年、指輪が好きで、外出時、人の手をよく見るようになりました。この人の指輪ステキだなと思ったことは何度もあります。コロナの心配がある間は控えた方がいいのかもしれませんが、「いいな」と思ったものに、さりげなく「いいですね」と言える人に自分もなってみたい。見知らぬ人から声をかけられた際、「何を注意されるのだろう」ではなく、「何を褒められるのだろう」とワクワクできる世の中になれば、楽しそうですね。=朝日新聞2022年10月26日掲載