ーー長野県・諏訪湖近くを走る中央本線の岡谷駅からタクシーに乗り込み、湖畔に向かって10分ほど車を走らせると、モダンな建物が見えてくる。ここは「小さな絵本美術館」。絵本作家さとうわきこさんが夫で館長の武井利喜さんと運営する絵本の美術館だ。常設展には、さとうさんの原画のほか、モーリス・センダック(『かいじゅうたちのいるところ』)や、フェリックス・ホフマン(『おおかみと七ひきのこやぎ』)などの海外の原画もずらり。絵本好きが息を呑むラインナップだ。
夫がヨーロッパの古い絵本の蒐集が好きで、結婚してから一緒に、絵本の原画とか古い絵本を買いに海外へ行くようになりました。この土地は彼の実家です。夫と出会ったのは、私が福音館の編集者に連れられてここに来たからなの。夫は以前、福音館の書庫でアルバイトしていたから、社員とも交流があったのね。「りんごがなっているところを見に行きませんか」と、りんごの香りに誘われてここまできたら、結婚して住むことになってしまったわけ。
当時、私は海外の絵本が好きで、都内の洋書専門店によく通っていました。でも、新入荷で狙っている絵本があるときは開店一番でお店に入るのに、もう売り切れということがなんどもあり、悔しい思いをしていたの。その本がここに来た時にあるものだから、あっと驚きました。どうやら彼が事前に売約済みの札をつけていたみたい(笑)。
——さとうさんのアトリエは美術館のとなりの自宅にある。ロングセラーとなる「ばばばあちゃん」シリーズもそこから生まれた。現在、18冊出ている「ばばばあちゃん」シリーズは、うち6冊が料理をテーマにしている。たとえば『ばばばあちゃんの なんでもおこのみやき』(2009年)は、お好み焼きを子どもたちと一緒に作る物語。おいしそうなお好み焼きに、ごくりと喉が鳴る。レシピも掲載され、読んだ子どもが作りたくなる内容だ。
当時、ここ(小さな絵本美術館)で働いてくれていた佐々木志乃ちゃんという子が料理好きで、この本に載っているお好み焼きも全部、志乃ちゃんと二人で作りました。広島風、大阪風と色々調べてね。また、いろんな具材を入れてみて、これは合うんじゃなないかなど試しました。お話が単調にならないように、下書きのところで何度も書き直していますね。この下書きをしている時が、産みの苦しみです。何かしっくりこなくて、何年もほったらかしにすることもあります。
ばばばあちゃんは常に行動的で前向き。やんちゃな部分もあって、トラブルも楽しんでしまう強さがあります。彼女の性格はある意味、私自身が持っている気質でもあり、ある意味憧れでもあるのかもしれません。
私は結核だったので、常に病弱で、すぐに熱を出す子どもでした。熱が出てしまった時、枕元で叔母が読んでくれたのが『世界名作選』(新潮社)。布団の中で物語を聞いていると、いつしか天井にぼんやりとしたイメージとして浮かび上がり、うねうねと動き出す。それが小さい頃の強い印象です。
父は結核を患っていたのですが、私は父が大好きで、よく遊んでもらっていました。それで結核が感染したのかもしれませんね。私が元気な時は、膝の上に乗せて「飛行機」をしてくれたりと、父にかわいがってもらいました。その父の口癖が「お前が男だったらなあ」。気質としては「ばばばあちゃん」と同じく活発でやんちゃなんです。
——さとうさんの原風景は、自然が多く残っていた東京・練馬の暮らしだ。
どのかたも育った場所が基本になっていると思います。私は終戦後の、練馬での暮らしが自分の核にありますね。6歳のときに喀血して、学年は一年遅れたのですが、練馬の暮らしで快復をしていきました。この頃から父が結核で死んでしまう中学生の頃までは、私が最も元気で活発だった時代です。
父の死後に母は働き始めましたが、当時はその年で経験のない女の人ができる仕事は、そうそうありませんでした。苦労をする母の姿を見て、女の人は、男の人に寄りかかって生きるのではなく、手に職をつけて独立しなければと思いましたね。それでも母は強かった。へこたれない強さがありました。何でもごしごし洗って解決してしまう『せんたくかあちゃん』という作品は、私の母がモデルです。
――父の死により家計が困窮し、さとうさんは大学進学の夢を断念して就職。しかしその半年後に腎臓結核となり長い療養生活を余儀なくされる。その後もアルバイトしかできない日々だったが、絵を描きたい夢を諦めきれず、デザイナーへの道を目指すことにする。
昼間は仕事をしながら、東京教育大学美術学科教授の高橋正人先生のもとに通い、デザインの基礎を学びました。そして知人のつてをたどってデザイン会社に就職しました。その会社に寺村輝夫さんから会社に挿絵の依頼がきたんです。その際「挿絵のプロとして一人立ちしたいから、仕事を紹介してほしい」と、ほとんど直談判のような形でお願いに行ったんです。そしたら寺村さんは「とにかく、スケッチブックの最初から最後まで、びっちりと絵を描きなさい」とおっしゃって。それで言われた通り、最初のページから最後までびっしりと描いたスケッチブックを持って行ったら、「よし!」と言って、学研を紹介してくれたの。
作品を少しずつ作り、福音館書店の『母の友』に持ち込みを始めました。当時は『ぐりとぐら』が席巻していて、私は自分が書くような野蛮な話ではなくて、気品があって、気持ちが優しくなるような、こういう話を書くべきだなあと思って、それを描いたら福音館の編集者に怒られました。「あなたには、あなたの言葉がある。あなたらしいものを書きなさい。こんな人の真似をしちゃいけません」って。それで原稿用紙をバーッと投げられました。ショックでしたねえ。でもその人がいなかったら、私は早い段階で行き詰まり、今も描いていなかったでしょうね。
でも、身に覚えはあるんです。私にはすでに自分の言葉があるのに、固定概念で一般受けするものを書こうとしてはだめだなあと反省して描いたら、次は「よし」と受理されました。
――そして生まれたのが「せんたくかあちゃん」シリーズや「ばばばあちゃん」シリーズだ。登場人物はみな自由で、パワフル。そんなさとうさんの発想の源は空想ではなく、自分が見ている人や物だという。
電車で見かけたおじさんをスケッチしているうち、いたずら書きみたいにデフォルメして発展していったり、とある出来事を滑稽な事件に仕立てて妄想したりね。それをメモのように貯めておくの。そしてある時、何か感動するものに出会ったら、それに刺激されて、貯めていた想像をもとに波のように描く意欲が湧いてくる。そんな時、すごく集中力が高まって、大きな袋の中に入っているみたいな気持ちになるの。あの感覚は、なんとも言えないものですね。
ばばばあちゃんの行動力や力強さは、描いていて愉快な気持ちになれます。読んでいる方にもそうなっていただけたらいいですね。