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円城塔「文字渦」書評 漢字に息づく命が動き出す挿話

評者: 都甲幸治 / 朝⽇新聞掲載:2018年10月20日
文字渦 著者:円城塔 出版社:新潮社 ジャンル:小説

ISBN: 9784103311621
発売⽇: 2018/07/31
サイズ: 19cm/302p

文字渦 [著]円城塔

 文字は生きている。かつて中島敦は「文字禍(もじか)」で、文字の霊を見つけたアッシリアの博士について記した。ばらばらの線がまとまり意味を持つならば、それらを統一するための命があるはずだ。探求の途上で、彼は文字が人々になした害悪をも暴いてしまう。やがて地震が起こり、書斎にいた彼は楔形文字に満ちた大量の粘土板に埋もれて死ぬ。博士は文字の霊に復讐されたのだ。
 そして円城塔は「文字渦(もじか)」で、漢字に息づく命について語る。万物の形を生々しく写し、象形文字としての性質を色濃く残す漢字に強い力が備わっていても何の不思議もない。俑(よう)という名の男は思う。「文字とは、一文字一文字が神性を帯び、奇瑞を記し、凶兆を知り、天を動かすためのものである」。人々は呪力のある文字を土や竹に刻んで天に働きかけ、集団としての安寧を得てきた。
 だから俑は秦の文字が嫌いだ。過度に抽象化され、扱いやすく読みやすい記号と化した文字は、強い力を持つことができない、と彼は思う。「馬のように見えない馬の字などは事物と一時の結びつきしかもちようがなく、符丁の意味はすぐに見失われて、ただの模様に成り果てるだろう」
 そう考える彼は、幼い頃から土をこね、様々な生き物を造形してきた。彼の生み出す動物も人間も、まるで独自の命を持っているようだ。その手腕が買われて、秦の都の賑わいを写すべく、彼は大量の人形を作ることを皇帝に命じられる。それぞれを区別するために、俑は膨大な数の漢字をも作り上げる。しかも全てに人偏が付いていた。
 SF的な作品で知られる円城は、中国の過去にもう一つの未来を見つけた。高速処理可能なただのデータではない、生命を持つ漢字の世界だ。連作の中で文字たちは光を放ち、子を産み、皇后により恣意的に作られた新字に反乱を企てる。魅力的な挿話の各々は読む者を捉えて放さない。
    ◇
えんじょう・とう 1972年生まれ。「道化師の蝶」で芥川賞。本書は川端康成文学賞の表題作を含む短編集。