90年代のサブカルシーンを牽引した伝説のテレビ番組「土曜ソリトン SIDE-B」。30代以上の人たちで、ちょっとひねった青春時代を過ごしてきた人たちなら、この名前は必ず知っているはずだ。高野寛はこの番組のMCだった。現在はソロアーティストとしてはもちろん、プロデューサーや、さまざまなバンドを掛け持ちする凄腕ミュージシャンとして知られている。
そんな高野が対談集『夢の中で会えるでしょう』を刊行した。この本は、番組の20周年を記念して開催されたトークイベントを彼自身が編集したもの。テーマは「過去から未来へ」。対談相手には、高橋幸宏、Boseといったなじみの面々から、女優・ミュージシャンとして活躍するのんや菓子研究家のいがらしろみまで、ヴァラエティ豊かな7人が並ぶ。
今回は、今年で活動30周年を迎えた高野が、そのキャリアの中で移り変わる時代の変化をどのように受け止めたのかを聞いた。
トークライヴの雰囲気を残しつつも、読みやすく
ーー『夢の中で会えるでしょう』は高野さんが実際に執筆され、編集にも関わられたそうですね。ミュージシャンとして活動をしながら、こんなに情報量の多い本を制作するのはものすごく大変だったんじゃないですか?
大変ではありました(笑)。けど、準備期間が長かったし、制作自体はスムーズに進みましたよ。この本は僕が1995年から1年間MCを担当していたNHK教育テレビ(現・Eテレ)の番組「土曜ソリトン SIDE-B」の20周年を記念して、吉祥寺のイベントスペース<キチム>で開催していたトークライヴがベースになっています。最初は2016年12月で、最後が2017年の秋頃だから、約1年くらい。その間、トークライヴが終わる度に一回ずつ文章にはしてました。あとこの本の編集を担当してくれた藤原(康二)さんから、最初に「こんな感じがいいと思うんですよ」と古今亭志ん朝さんの対談集『世の中ついでに生きてたい』(2005年・河出書房新社)をいただいて。その本は、話し言葉のテンポ感を最大限に感じさせながらも、読んでてダレないように作られていたので参考になりました。最初から目標になる到達点が共有できていたのは大きかったですね。
ーー僕らはこうして実際に取材をして、録音データを文字おこしして、原稿にまとめる、という作業を行なっているので、この本のクオリティの高さには本当に驚かされました。
そう言っていただけると光栄ですね。なるべくトークライヴの雰囲気をそのまま表現できるようには工夫しました。例えば、(高橋)幸宏さんのパートはお酒を飲みながらやったんですよ。だから飲み屋トークの雰囲気は残しつつ、文章として読みやすくしようと。編集作業はしつこいくらいやりましたね。やっぱりトークライブをそのまま文字にすると、かなり散漫になっている部分もあったし。わかりにくいところは、会話の順序を入れ替えたり、補足したりして、読みやすく整理しています。
ーー対談相手はどのように人選したんですか?
このトークライヴにはミュージシャン以外の人も呼びたかったんですよ。あと幅広い世代の人と対談したかったんですが、なかなか20代の対談相手が見つからなくて。そしたら、書籍化の作業を進めてる中で、のんちゃんと一緒に仕事をする機会ができたので、彼女に声をかけたんです。その辺りの詳しい経緯は、是非本を読んで下さい(笑)。トークライヴの通底したテーマが「過去から未来へ」だったので、僕は相手のこれまでの道のりを掘り下げつつ、これから何をやるのかということを話していきました。書籍化のタイミングで他の対談ゲストとも繋がりが深いのんちゃんが加わったことで、最後のピースが埋まったというか、幸宏さんからはじまった僕自身の「過去から未来へ」も表現することができました。これは、書籍化の作業がすっかり遅れてしまった偶然の産物なんですけどね(笑)。
コツコツ努力して、バージョンアップするタイプ
ーー互いに京都精華大学の講師として、世代間のコミュニケーション感覚の違いを共感しているBoseさん(スチャダラパー)との対談は貴重だと思いました。
5年間の現場での体験談なので、リアルですね。ネット上でリサーチ結果をまとめた情報ではないので。でも、講師と学生たちとの意識が乖離してしまっているというのはものすごく切実な問題なんですよ。僕らが「自分たちの時代はこうだった」と話しても、親父のぼやきみたいになってしまう。じゃあ、何をどうやったら伝えられるのか?というテーマがいつも立ち上がります。
ーー世代間のコミュニケーションで悩んでいる人は多いと思います。
最初は僕も「どうしたもんかな」という感じでしたね。同じ学年でも、すごく幅があるんですよ。音楽好きの両親から影響を受けているような子は古い音楽も掘り下げていて、世代の違いを感じることなく話せるんだけど、一方でボンヤリした子もいて。「YouTubeのおすすめで出て来た関連動画を順番に観ています」みたいな。自分で調べる努力をしないことに対して、なんの疑問も持ってない。最初はそこに戸惑いました。
ーーちなみに高野さんはどのように価値観の違いを乗り越えたんですか?
若い子たちの状況について改めて考えてみたんですよ。そしたら今の世の中には誰もが共有できる時代のアイコンが全然いないということに気づいたんです。RADWINMPSと星野源くんくらいかな? でも、僕らが若かった90年代には、Mr.Childrenとか、宇多田ヒカルさん、小室哲哉さんみたいなアイコンたりえる人たちがもっともっとたくさんいた。さらに言うと、いまはネットの時代だから新譜と旧譜の境もないし、ボーカロイドの曲を聴いて泣いたりする子もいる。みんなに、それぞれのアイドルがいる時代になったんです。そしてスピード感が全然違う。たぶん今の若い子にとっての1年には、僕らが過ごしていた当時の3〜5年分くらいの情報量がある。そうすると、いろんな子がいて当たり前なんです。それを受け入れることで、僕自身の考え方もリセットできました。大変ですが、共有できることを模索しながらそれぞれに向き合うしかない、と心を決めてからは、さらにバージョンアップできたとも思っています。
ーーあと個人的に興味深かったのは、菓子研究家のいがらしろみさんが高野さんから直筆のファンレターの返信をもらったという話。90年代のアーティストは未だに根強い人気がありますが、その背景には若かりし頃の努力があったことを記録した貴重な記述だと思いました。
あはははは(笑)。僕がオリジナルラブの田島貴男くんに影響を受けて、ファンレターの返信を始めたという話ですね。実際には、すぐに忙しくなっちゃったので直筆で返信していた期間はすごく短いんですよ。ヒットより前に見つけてくれたファンは、ありがたい存在でした。
ーー高橋幸宏さんとの対談では、若くしてザ・ビートニクスのツアーに参加した際の裏話など、デビュー当時の貴重な逸話もたくさんでてきますね。
今年でデビュー30周年ということで、自分のデビューしてからのこれまでを1年ずつ振り返った長文のエッセイをnoteというサイトに書いているんですよ。当時の写真を全部スキャンして、日記やしばらく読んでなかった資料を改めて読み返してみると、あの頃は自分が記憶している以上に頑張っていたようで(笑)。日々起こるいろんな出来事に四苦八苦していたんだなって。
ーー見ている側からすると、高野さんは天才肌というイメージでした。
いやいや。僕は努力しないとモノにならないタイプです。イチローさんじゃないけど、練習し続けて創り続けてきたからここいるという感じ。京都精華大学の授業も、本当に大変でした。ポップ・ミュージックは、クラシックのように楽譜では勉強できない、感覚で習得する部分が大きいんです。僕自身は独学で、感覚を頼りにやってきました。テキストもメソッドもない状態で、価値観もそれぞれ違う学生に対して、自分が感覚で掴んできたことを言語化するのは本当に悪戦苦闘の日々でした。でも僕は地道にコツコツ何かをやることに、あまり苦痛を感じないタイプなんです。だからそれすらも学びで、楽しかったですね。
転校生である、という解消されないルサンチマン
ーーこの本を読んで、物事を俯瞰した視点から見ているとも感じました。
そこは自分でも意識していますね。以前、テレビに頻繁に出ていた頃、自分のイメージがどんどん一人歩きしていく感覚があったんです。僕は「高野寛」というメディア上の偶像を作って、その中で生きていくようなことができないタイプの人間だったんです。「土曜ソリトン SIDE-B」は司会者という立場だったし、初めてテレビの中で自分の「素」に近い存在で居られた番組だったと思います。
ーー俯瞰した視点が身についた背景には、本の中でも何度か言及されていた「転校生気質」が関係あるのですか?
自分が転校生である、ということはいまだに自分の中で解消されてないルサンチマンなんだなって、本を作ってみて改めて感じましたね(笑)。noteで書いてるエッセイのために昔のインタヴューを読み返すと、転校の話が度々出てくるんですよ。自分の奥底に怨念のように付きまとってる感覚なんだなって。ある意味、僕の創作の原動力なのかもしれない。そこで感じた不満や違和感、自分は何者なのかという問いかけ、さらにはわかってほしいと渇望する気持ち。
ーー幸宏さんとの対談では、ソングライターは精神的なゆとりがあるといい曲が書けないと指摘されていましたね。
同じことを言ってるミュージシャンはたくさんいるんですよ。強い曲ができる時は、追い込まれた負の感情をバネに、作品にすることでプラスに転じて昇華する。そういう仕事なんですよ。どうやら。
ーーでも同時に幸宏さんは「自分が前に出すぎるのは好きじゃない」と話している。つまり自分の内面と向き合いつつも、ナルシシズムに酔いすぎるのは好きではない、ということですよね。このバランス感はまさに「転校生」的だなと思いました。
転校生って、異文化圏に突然放り込まれて、自分がどう見られているか、ここでどう立ち振る舞えばいいのか、そこを鋭く見ていかないとサバイブできない立場なんですよ。だからどうしても客観的になってしまうし、そういう自意識が身についてしまう。
フラットでいることが大事
ーー実はこの本を読んで高野さんの心の奥にはグツグツと鬱屈した感情があるのかな、とも思いました。特に片桐仁さんとのパートでは、昔書いたアナーキーな歌詞について言及する場面もありましたし。
若い時は、特にコンプレックスが強かったですね。10代の自分には絶対に戻りたくないですし。あの頃は、いつも「居場所がない」という感覚とともに生きてました。子供の頃はインドア派でずっとプラモデルばかり作っていて、エジソンの偉人伝に影響されて発明家になりたいと思っていました。でも音楽にのめり込むようになって、音楽は形のない発明なんじゃないかと思うようになって。特に活動初期の頃はそんなことを思ってましたね。
ーーそんな高野さんがミュージシャンになって、ここが自分の居場所だと感じたことはありますか?
憧れてた幸宏さんやトッド・ラングレンと一緒に仕事ができた時ですね。音楽の歴史という大きな河の中に飛び込むことができた。けど一方で、この河は最大公約数の大衆に受ける大河ではなかったという現実もあって。僕がデビューした当時、一番の大河はJ-POPでした。J-POPのリスナーは、歌手の人となりを歌詞とその歌に感じて、そこに感情移入する聴き方をしていた。つまりカラオケ文化ですね。なのに、僕の作る曲は歌いにくい曲も多かったし、リスナーが一番求めるラブソングをうまく書けなかったり。いつも自分の音楽性と、J-POPが求める自分との間でどう折り合いをつけるかすごく悩みました。
ーー高野さんは売れたいとは思わないんですか?
できるだけたくさんの人に聴いてもらいたいといつも思うんですけどね。最大のヒット曲(「虹の都へ」)が「売れたい」と思って作った曲じゃなかったので、「売れたい」と思わない方がいい結果を生むというのが僕のジンクスなんです(笑)。
ーー本の中では「日本の音楽が鎖国化してる」と話していましたが、現在の日本の音楽シーンをどのように見ていますか?
その話は、幸宏さんとの対談で出た話ですよね。確かにジャズとか大人の音楽は、日本よりも海外のほうが広く市民権を得ていると思います。でも最近、世界中でローカライズが進んでいるのかも?と思うようになっています。20世紀までは、アメリカとイギリスのヒットチャートはほとんど同じ曲だったけど、最近は全然違うんです。これは情報の洪水があふれた結果、世界中の人たちが逆に身近な人たちで情報をやりとりするようになったことの表れかもしれないと思うんです。
ーー鎖国化はある種の必然だ、と。
でも閉じることが良いとは思ってません。違う価値観と人と話すのにはエネルギーを使うし、そこで断絶が生まれてしまうのも必然だと思う。これはもう止められない流れ。僕は国内外問わず、まだ知らない価値観から刺激を受けていたい。だからフラットでいることが大事だと思う。そうすれば情報に溺れそうになっても流されずに済むのかなって。きっと東京オリンピックに向けて、日本はまた劇的に変わっていくと思うし。
ーーどういうことですか?
いまオリンピックに向けて、同時通訳のソフトの開発が急ピッチで進んでいるみたいで。もし、スマホやネット上に今よりもずっと正確な翻訳エンジンが普及したら、直接海外の人と言葉を交わす機会も増えて、日本のコンテンツはさらに海外へ羽ばたいていくと思う。音楽も、役者さんも、文章も。同時に日本だけで許容されていたいびつな価値観も正されていくはず。その際にカオティックな混乱があると思うけど、変化を目撃できるのはすごく面白いと思うんです。
ーー高野さんのこの対談集は、激動の時代にフラットな感性でいるためのヒントがたくさんが記されていると思いました。
そうだとしたら嬉しいですね(笑)。