「奇想」という言葉を辞書で引くと、普通では思いつかないような奇抜な考え、といった意味が記されている。今週は思わず作者の頭を覗いてみたくなるような、奇想に満ちた怪奇幻想小説を4冊紹介してみたい。
『前世は兎』(集英社)は、「ハリガネムシ」で芥川賞を受賞した大阪の鬼才・吉村萬壱の最新短編集。兎だった前世の記憶を保ったまま、獣のように放埒に生きる女性を描いた表題作はじめ、暗いエロスと歪んだ妄想が炸裂する7編を収録する。休職中の女性高校教諭がアパートの一室でひたすら〈ヌッセン総合カタログ〉を書き写し続ける「宗教」、雑木林の中にある白く濁った沼に全裸で浸かる者たちの狂態を描いた「沼」の2作は、いずれも怪作としか言いようのない出来映え。人間を突き動かす得体の知れない力の前では、私たちの理性などあっけなく崩れ去るのみだ。ガスの浮いた沼がなぜだか魅力的に感じられてくる後者を、不条理怪談の傑作として知られる半村良「箪笥」と読み比べてみるのも一興だろう。
「この展開は、いったい何!?」という惹句が帯に踊るのが、井波律子編訳『中国奇想小説集 古今異界万華鏡』(平凡社)だ。六朝時代から清代まで、1500年以上にわたって中国で著されてきた膨大な「志怪小説」から、26編を厳選したアンソロジーである。
タイトル通り奇想に富んでいるが、なかでも3世紀前半から6世紀末にかけて生まれた〈六朝志怪小説〉は、素朴な語り口にあっと驚くような展開を含んでいて楽しい。呉均「籠のなかの小宇宙」(『続斉諧記』)は、不思議な書生の口から美少女が吐き出され、その口から別の男が吐き出され、さらのその口からまた……という展開がくり返される、入れ子細工のような物語。
その他、日本でも有名な瞿佑「牡丹灯籠」(『剪燈新話』)、人間がボールのように変形してしまうエピソードを含んだ袁枚『不子語』など、その想像力はまさに変幻自在。こうした物語を紡ぐことは中国の文人たちにとって、「何よりの『消遣(気晴らし)』だった」と編著者は述べている。もちろんそれは読者である現代人にとっても、よきストレス解消になるはずだ。
『夜のリフレーン』(KADOKAWA)は幻想文学の女王・皆川博子の単行本未収録作を収めた短編集だ。福田隆義のイラストに付された表題作「夜のリフレーン」から、中川多理の人形写真とコラボした「そこは、わたしの人形の」まで、バラエティ豊かな24編を収録している。コーヒー・ショップに勤める青年が独身女性の夢の囚われ人となる「夜、囚われて……」、鬼気迫るラストシーンとともに母親の狂気が露わになる「陽射し」、著者が得意とする伝統芸能ものの「笛塚」など、いずれも濃密なロマンの香りを漂わせ、これまで未収録だったことが信じられないほどの完成度を誇っている。
窓から次々と兎が飛びこんでくる「そ、そら、そらそら、兎のダンス」、〈あ〉と〈め〉が〈横棒〉をめぐって争う「水引草」の2編は、奇想のエッセンスとでもいうべき絶品。鮮やかなテーブルマジックを見せられたような読後感に、ただ息を呑むしかない。発表から2、30年経ってもなお失われない、言葉の鮮度にもあらためて驚かされる。
シャンソン歌手として活躍した戸川昌子は、「とびきりの奇想を圧倒的な筆力で描いた」(編者解説)実力派ミステリ作家でもあった。『緋の堕胎 ミステリ短篇傑作選』(ちくま文庫)は、その官能ミステリの傑作を名アンソロジスト・日下三蔵(『夜のリフレーン』も日下編である)が復活させた注目の一冊。堕胎専門の産婦人科医を舞台に不気味な人間ドラマがくり広げられる表題作、新婚直後の花嫁を悪夢のような出来事が襲う「ブラック・ハネムーン」など、エロスと死の気配が濃厚に立ちこめる全9編だ。
狂気を扱ったものも多く、主人公の歪んだ世界観が奇想と結びついていくところに、戸川ミステリの油断ならない面白さがある。主人公が毛むくじゃらの吸血鬼に血を抜かれて衰弱する「黄色い吸血鬼」、羊の皮を被った裸女が海を渡ってゆく「塩の羊」、美青年と人魚の妖しいセックスを描いた「人魚姦図」あたりはひときわ奇想天外で、一読忘れがたい印象を残す。この作者の毒のある短編をもっと読んでみたい、と渇望感を抱く読者も少なくないはずだ。
ときにユーモラスに、ときに怖ろしげに、私たちを翻弄する奇想小説の世界。「そんな物の見方があったのか」という不意打ちめいた驚きを与えてくれるのが、こうした物語の最大の魅力だろうか。