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「物語」批判作家の不確かな自伝 朝日新聞読書面書評から

評者: サンキュータツオ / 朝⽇新聞掲載:2018年12月15日
もどってきた鏡 (フィクションの楽しみ) 著者:アラン・ロブ=グリエ 出版社:水声社 ジャンル:欧米の小説・文学

ISBN: 9784801003620
発売⽇:
サイズ: 20cm/302p

もどってきた鏡 [著]アラン・ロブ=グリエ

 世の中には「物語」が溢れているし、人は「物語」を求めがちだ。
 立身出世、復讐、恋愛、親孝行、怪談に笑い話。良い作品の評価は、わかりやすい物語やその構成に満足できたかどうか、あるいは人物に共感できたかどうか、という点に収斂され、偉業を達成した人物は「努力と苦労」、凶悪犯はすぐに「こうして異常になった」という安易な物語に落とし込まれる。人が理解を試みると、世界は即座に「物語」の餌食となる。
 20世紀のフランスで活躍したロブ=グリエを、多少のアレルギーを持って難解、つまらないという評価を下している人は多い。たしかに「物語」側にいる人たちからしたらそうなる。
 彼は、スタンダールやバルザックといった王道のご都合主義的な「物語」の紡ぎ手たちを否定し、その後に続く実存主義のサルトルや、サルトルと決別したカミュさえ批判の的とした。真理を覆い隠す人間の傲慢さ=人間中心主義に辟易し、文学における物語性、形容詞性(悲しい、懐かしいといった主観的な言葉)、主観を表出させる比喩なども指弾した。人間自身よりも、人間を取り巻く世界の描き方を極限まで追求し、それでも観察する主体である人間の問題と闘った。以降、『弑逆者』『消しゴム』『覗くひと』『嫉妬』『迷路のなかで』を執筆し、1950年代当時は絶大な影響力を持つ作家として、また63年の『新しい小説のために』で優れた評論家としても知られた。
 60年代以降、ロブ=グリエの活動はその後映画にも広がり、その方法論の汎用性を証明する作業に入った(現在、渋谷を皮切りに日本全国で特集上映中)。
 ところが、である。そのロブ=グリエが80年代に入り、突如「自伝」という一番信用ならない、物語の権化のような形式の文章を発表し出したのだ。その一冊目が本書である。自伝というほど時系列に並んでおらず、思索の断片を寄せ集めたようなこの作品は、「私」がその「内部」「について語る」という、彼自身が否定してきた三要素について語るところからはじまる。一切その思想的背景を語らなかった作家が、影響を受けた作家にカミュの名を挙げ、戦争体験が「物語」を否定する根幹にあることに触れた点は注目に値する。だが、虚構と実際、幻想と現実といった境界線も曖昧なまま、尻尾を?ませない。人間の記憶の不確からしさはこの作家のテーマでもある。
 過去に葬り去られた作家なのだろうか。自分や自分(たち)の来歴について、安直な物語に呑みこまれていないか、わかった気になっていないか、自戒を込めて読む。こういう体験をさせてくれるのはこの作家だけだ。芳川泰久さんの翻訳にも注目してほしい。
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 Alain Robbe-Grillet(1922-2008)。ヌーボーロマンを代表する仏の作家。映画監督でもあり、東京・渋谷のイメージフォーラムで特集上映「アラン・ロブ=グリエ レトロスペクティブ」が開催中。