今までのイメージを覆す、奇想天外のあやとりを発見
――私、てっきり日本固有の文化だと思っていました。そもそも、野口さんがあやとりに興味を抱かれるようになった経緯を教えてくださいますか。
わたくしと言うよりも、20歳で結婚した夫(故・野口廣氏)が最初、あやとりに興味を持ったのです。早稲田大学の数学の教授だったのですけれど、幾何学のトポロジーの研究をしており、特に「結び目理論」の専門家でした。あやとりとの始まりは1972年、きっかけは「科学朝日」という雑誌だったんです。
――「科学朝日」、懐かしいですね。でもなぜ。
「科学朝日」編集部から電話があったんです。読者から、あやとりについて教えてほしいという投稿があったらしいんです。それで「何か先生、ご存知ですか」。夫はあやとりなんてやったこともないし、まあ「女、子どもの遊びだろう」というぐらいに思っていました。ただ、ちょうどその時期に学園紛争というのがありまして、早稲田大学は閉鎖されたんです。授業ができず、時間が空いたので、あやとりについて調べてみようと思ったんです。
そうしたところ、早稲田大学の書庫に『Fun with String Figures』という英語の本がありました。「外国にもあやとりがあるのか」と思って開いてみたら、今まで見たこともないようなあやとりがいっぱい載っていたのです。ビックリした夫は、「何気なく垂らした釣り針に大きな獲物がかかった」と感動しておりました。
その頃は図解もなし、もちろん日本語のあやとりの本もありませんでしたから、辞書を片手に一所懸命、一つひとつ翻訳しながら、あやとりをとってみたんですね。そうしたら、本当に素晴らしいものがたくさんあったのです。その年の夏休みは、夫は書斎をまるで氷の部屋のように冷房を効かせて、あやとりのとり方を研究し続けていました。現在の本には「とり方」が載っていますけれど、当時のものには図解もなく、文章だけのものも少なくありませんでした。
――しかも英語で。
しかも難しくて。ですから、やってみても完成できないものがたくさんありました。でも、いくつかやっているうちに完成できたものはどれもこれも、奇想天外の、今までのイメージを覆すようなものばかりだったんです。あやとりに、すっかりのめり込んでしまいました。外国の文献を取り寄せ、今みたいにインターネットなんか無い時代でしたから、苦労して海外のあやとりの文献を集めたんです。
――最初に先生がご覧になった本は、イギリスですか。
はい。今から150年ぐらい前に、イギリスで廃れゆく……夫の言葉で言いますと「土着の」民族の文化、それが、新しい文明が入ってくるとどんどん廃れてしまう。廃れていく文化を残そうという運動が起こりました。英国政府から探検隊が派遣され、オーストラリアとパプアニューギニアの間のトレス海峡。その探検隊に参加していたケンブリッジ大学のA.C.ハッドン博士というかた。彼は1888年、島民の文化を探しているうちに、あやとりに出会ったんですね。あそこは、あやとりの宝庫ですから。博士はかなり多くのあやとりを採集し、文献にして、英国で発行したんです。
ちょうと同じ頃、米国でもカナダ極北圏のバフィン島のあたりで、探検隊があやとりに出会った。アメリカで文献が発表されました。それにより世界じゅうで、あやとり採集の研究が始められたんですね。
夫がそんな本を見つけたわけです。もう「素晴らしい!」と。それで海外の珍しいあやとりをたくさん翻訳して、1973年の暮れに『あやとり』という本を河出書房新社から出版しました。
オセアニアは明るく愉快、極北圏は難易度の高いあやとり
――漫画のコマのように、とり方を進展させているのですよね。
これには苦労しました。なにしろ、あやとりって、とっている本人から見た形が一番奇麗なんです。他人に見せる時は裏側を見せている。自分から見たのを撮影するとなると、頭が邪魔なんです。回り込んで撮らなければいけない。これがベストセラーになり、河出さん、ご機嫌で「先生、続きをお願いします」。すぐに続編が出ました。続々編も出しました。傑作もあるし、愉快なものもあります。
オセアニアには明るく愉快なものが多いんですね。あるいは、動くもの。ダイナミックなものが多いです。極北圏のものは、家の中でゆっくり長い時間をかける。ですから、手の込んだ、難易度の高いものが多い。たとえばこれは「耳の大きな犬」。(あやとりをとりながら)犬に見えますか。耳があって顔があって、足が4本で尻尾がある。これが、左右に動かすとお散歩するんですよ、ワンワンワン……。
――へえ、紐の上に見立てた「犬」が左から右に動いた! そんなことができるのですね。
戻すこともできるし、早くやれば走ることもできる。紐のひき方一つ。とり方も、とても複雑です。極北のイヌイットのあやとりなんですね。凄いでしょう。これを考えた人がいるんです。凄いです。こういうのを見ているとビックリします。ベストセラーになったので、テレビには随分出演しました。
――1976年2月、野口博士は「徹子の部屋」にも出演されたのですよね。
ええ。とにかく、あやとり三昧の数年間でした。あるとき、朝日新聞に東大の男子学生数人がキャンパスであやとりをとる写真が掲載されたんです。当時、どちらかというと男子学生、社会人のかたの目に留まったんですね。
――どちらかと言えば、女の子の遊ぶイメージがありましたよね。
それを覆したと思います。学者さんもあやとりに興味を持ったかたがいらっしゃいました。著作を通し、あやとりが日本じゅうに広がったことで、夫はあやとりを後世に残そうとよびかけて、「日本あやとり協会」を立ち上げたのです。1978年に機関誌「あやとり」を初めて発行しました。
その翌年、イギリスから「会員になりたい」というかたが現れました。フィリップ・ノーブルさん。イギリス国教会の宣教師でいらっしゃいました。何年間かパプアニューギニアに派遣され、コミュニケーションをとるのに彼らが誇りとして用いるあやとりを覚え、親しくなったのです。宣教の道具として用いるうちに、面白くなってしまった。いっぱいパプアニューギニアのあやとりを集めて、イギリスで本を出版されました。
日本あやとり協会が世界規模に発展
――年配のかたなんですか。
いえ、夫よりはちょっと若かったから、当時40歳ぐらいでした。そのノーブルさんが、英語圏にはあやとりの愛好家が何人かいるので英語版の季刊誌を発行したいとおっしゃって、日本語版と英語版の両方が発行され、英語圏の愛好者が続々と入会するようになりました。日本語版の投稿者が少なくなって、反対に英語版の投稿者が増え続けたので、本部をアメリカに移し、夫はカリフォルニア大学のマーク・シャーマン博士に編集長をバトンタッチして組織も「国際あやとり協会」という名前に変えました。1994年のことです。
――世界規模になり、学術的見地からの要素も深まり、昇華されていったわけですね。
シャーマンと彼の協力者が世界中に出て行って、廃れゆく文化を探しに行ったんです。20年ぐらいかけて、世界じゅうのあやとりは殆ど探し尽くしたぐらいになったんです。最初は大変でした。というのは、いろいろ……、文明国ではないところに入っていくわけですから。西洋文明の入っていないところであればあるほど、あやとりは残っているわけです。森の深いところに行くわけです。ある1人の会員のかたが、モントリオールから奥地に入っていったところ、それっきり彼は帰らぬ人になってしまった。そんな犠牲もあるんです。熊とかが出ますから。そういう話もあるぐらい、大変な作業だったと思うんです。
――あやとりに殉死してしまったわけですね。
そういうことがあっても、それでも皆さん、精力的に各地で集めたものが3000種余り。
外国のあやとりは動きがあり、立体的
――それを今回は、全5冊・約160種類に厳選しているのですね。野口さんご自身、あやとりに関する数々の著書を記され、ご主人の廣先生と合わせると、日本あやとり界の第一人者として走ってこられたと拝察しております。世界のあやとりを改めてご紹介される経緯について教えてくださいますか。
編集者のかたがイヌイットのあやとりの存在を知り、極北圏のあやとりの本を出したいというメールがわたくしのもとに届きました。
――70年代のベストセラーから時を経て、モノクロではなくキャッチ―な本に、という意図があったのでしょうか。
担当編集者)とり方を紹介する書籍はたくさん出ていますが、今回の本ではあやとりの造形的な面白さをみなさんに知っていただきたいと考えました。私が最初に出会った極北圏のあやとりには、先ほどの「耳の大きな犬」のように動くあやとりがあったり、身近な動物のかたちや動きをとてもリアルに描写しています。海外のあやとりは日本のあやとりと比べて立体的で、歌やお話が付いているものもあったり、「遊び」以外にもさまざまな機能をもっています。そうしたところを写真や解説を通じて楽しんでいただけるような本をつくりたいということで、野口先生にご提案しました。
日本のあやとりと、外国のあやとりの違い。いくつかあるんですね。外国のあやとりには、動きがあって、立体的。例えば蝶々のあやとり。わたくしが子どもの頃に習った蝶々は……いくつかあるんですけど、アメリカのアリゾナ州北東部・ナバホの蝶々は、まったくとりかたが違うんです。完成形もまったく違って立体的なんです。
――しかもバタバタ動けるんですね。面白い。同じ蝶々なのに、全然違うのですね。日本のものは、立体性には乏しい。
子どもの遊びとして伝えられたので簡単なものが多いですね。「富士山」のあやとりは日本的な静かさがあります。それに対してこれがアフリカの山では、取り方が全然違うんです。こうやって……(とり始める)。
――うわ、ダイナミック。激しい山並み。
とり方は簡単ですけれども、3つの山と谷川があって。ザンベジ川にあるバトカ峡谷というのがあるのですが、無駄な線が全然ないですよね。
――『オセアニア①、②』で驚いたのは、無数の島々が点在するかの地域において、その殆どの島にあやとりが伝承されていた、ということでした。
子どもの教育にあやとりを用いていました。たとえば「マヌジェ」という英雄がナウルにいたらしいんです。敵を槍で倒して国を救った。それを記念してつくったあやとりがあります。ナウルの切手にもなっています。
――民族の英雄なのですね。
もう1人、ナウルの女王様「エカイブウィット」というあやとりも同様で、国を平和に治めて人々から尊敬されたのでしょう。今なら銅像や記念碑を建てるように、あやとりで功績をたたえ、記念に遺したと言われています。ナウルは面白いです。ドイツ人医師が故郷に帰る時に船に乗る姿を、記念写真のようにあやとりで記録しています。カメラもペンも無い時代。あやとり紐1本で子孫に残す写真にするような、銅像にするような役目を果たしていたのです。
――それで後世に語り継ぐわけですね。素晴らしいですね。まったく知らなかった。
あやとりだけでも素晴らしいのですが、あやとりの連係も素晴らしい。たとえば「天の川」が天高く登ったら、川岸に「人食いワニ」が出てくるよ、近づいてはいけない。それでパプアニューギニアでは「天の川」と「人食いワニ」のあやとりを続けて示していたのです。
――警句の役割も果たしているんですね。第3弾の本が「南北アメリカ」。オセアニアとアメリカの、あやとりの特徴の違いってあるのでしょうか。
やはり違います。今回調べてビックリしたのですけれど、ナバホの先住民の歴史を紐解いてみると、彼らは気候の厳しい、寒暖差の激しい環境で決められた居留地に限られて住んでいるわけです。そして同時に、空が澄み切っている。だから星のあやとりがたくさんあるんです。
――「金星」「プレアデス」「嵐の雲」。たしかに、空や天気をモチーフとしたものが多いですね。
オセアニアはのびのびとした、空も海も広いあやとりが多いんです。撮影するのに一苦労なほど、ダイナミックなものが多い。比べてアメリカは、宇宙の始まりの話から星の話、天体の話を子どもたちに、たくさんの星をつくって聞かせたんです。お天気も、嵐や稲妻、スコールがぱっとやみ、晴天になる。そんな天候を表すあやとりが多いんです。ウサギ、フクロウ、毛虫。小さな動物のあやとりもいっぱいあります。
日本独自と思われている多くのあやとりは世界共通
――次回は2019年6月刊行の4冊目「極北編」と5冊目「アジア・ヨーロッパ編」です。知らないことがまた、いっぱい出てきそう。
「アジア・ヨーロッパ編」には日本も含まれます。それから世界共通のもの。日本独自と思っているあやとりの多くは、世界共通です。白人とアジア人の共通のものがあるんです。不思議なんです。流れがどうなっているのか。どっちが先なのか。
――興味は尽きないですね。
同じ極北圏でも、場所によって名前が違う。アラスカとカナダの奥地では同じあやとりでも呼び名が違います。何に見立てるかで名前が変わるんですね。
――歴史や風土、そこに根差した文化に照射されているものが、あやとりなのだということが分かってきました。
いろんな角度から見て面白いです。愛好家のかたたちはいろんな観点から興味を持っています。夫のような数学者、文化人類学者、民俗学。あと芸術家はカタチ。
「天の川」や極北圏の手の込んだあやとりを見るにつけ、とてもとてもつくれるものではありません。「神様は文明人、文明から遅れた人の区別なしに、公平に知恵を与えておられた」というのが結論です。「未開だ」などと言われてきた国でも、天才はどこにでもいる。西洋の文明から遅れた人々を軽蔑するなどとんでもないことだと思いました。
1本の紐さえあれば、あやとりは周囲の人たちと仲良くなることができます。病院の待合室でも、飛行機の機内でも、学校や幼稚園でも、高齢者ホームでも、話題は無限に広がります。
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