1. HOME
  2. インタビュー
  3. 作家の読書道
  4. 作家の読書道 第202回:寺地はるなさん

作家の読書道 第202回:寺地はるなさん

親に隠れて本を読んでいた

――いつも一番古い読書の記憶からおうかがいしているんです。

 タイトルが覚束なかったのでいくつか持ってきたのですが(と、本を数冊取り出す)、幼稚園で毎月1冊絵本をもらっていたなかで、はっきり覚えているのがこのお話なんです。本自体は、あとから買ったものなんですけれど。

――アンデルセンの『お姫様と11人の王子』ですね。

 お姫様に11人お兄さんあがいて、11人とも白鳥に姿を変えられてしまうんです。夜は人間に戻れるんですけれど。トゲのあるイラクサでマントを編んで全員に着せかけてあげたら魔法が解けるけれど、編み上げるまで口をきいてはいけないって言われるんです。子どもの頃に読んで、これはすごくかわいそうだなと思って。すごくきれいなお姫様なので、森でこっそり編んでいたら狩りに来た王様だか王子様だかが彼女をお城に連れて帰ってしまうんですよ。まだ編まないといけないのに。きれいだから連れて行かれてしまうなんて、きれいなのも大変だなって。みんなお兄さんたちが魔法にかけられていると知らないから、お姫様のことを「魔女だ」みたいに言い始めて、磔にされるギリギリのところで編み上げて魔法がとけてめでたしめでたしなんですが、「えー、大変」と思って、それが強烈に印象に残っているんです。

――素敵な物語を読んだ、という記憶ではなく、なにか納得できないものがあった、という記憶だったんですね。

 そうなんです。『シンデレラ』もそうですけれど、お姫様が出てくる話ってだいたい「きれいだから」っていう理由で誰かが助けにきたりするので、「きれいだというのは重要条件なんだな」と思い、子どもながらに暗い気分になっていました。きれいじゃなかったら誰も助けにきてくれないし、靴を落としても探しにも来てくれないということが、お姫様の話を読んですごく気になっていました。
 私は佐賀県の出身なんですけれど、わりと人の容姿について簡単に口に出す土地柄だったんです。結構きれいな人のことでも「あの人は口が大きすぎるけん、いかん」とか平気で言われる。4歳くらいの子どもだった私でも、普通に容姿をけなされたんです。だから 余計気になっていたのかもしれないですね。幼稚園の先生でも普通に「〇〇ちゃんは可愛いから」とか言っていました。

――へええ、それはきつそう...。

 だから『オズの魔法使い』を読んだ時は、すごく新鮮でした。きれいだから幸せになれるということではなく、ドロシーの知恵や優しさにで話が展開していくから、すごく面白くて、すごく好きになりました。読んだのは小学校1年生くらいだったと思うんです。
 何年か後にその続篇があるのを知って、どうしても読みたくて...。結局、最初の5作くらいしか読めなかったんですけれど、2巻目はドロシーが出てこなくて、3巻目の『オズのオズマ姫』でドロシーがまた帰ってくる。そこですごく格好いいなと思った場面があるんです。ラングイディア姫という、顔を30個持っていて、それを着替えるように自由にかえられる人が出てくるんです。1日中鏡張りの部屋で、「きれいやわあ、私」みたいな感じで過ごしているんですよ。その人がドロシーに「あんたの顔ちょうだい」「かわりに26番をあげるから」って言う。そこでドロシーが怒ってきっぱり言うんです。「私、お古はいただかないことにしてるんです。だから、今のでやっていきますわ」って。格好いいと思いました。その頃自分は、当たり前のようにお姉ちゃんや親戚のおさがりをもらっていた子どもだったので(笑)。
 本は好きでした。ただ、うちの親って、本を読むのを嫌がったんですよ。本を読んでも嫌がるし、テレビを見ても嫌がるし、何をしても嫌がる。だから、おおっぴらに本を読めなかったんです。こそこそ読んでいました。

――ご両親は「勉強しなさい」っていいたかったのでしょうか。

 小学生の頃は勉強はしてほしかったみたいですけれど、中学生くらいになって勉強しはじめたら「しなくていいよ」とか言い出して。へんな家族ですよね? どうしてだったのか、全然分からないんですよ。すみません、分からない話をしてしまって。

――いえいえ。じゃあ小説家になった時はどのような反応だったのか気になります。

 それがまた怖いんですけれど、普通に喜んでいました(笑)。「あんた、本好きやったもんね」って。あんまり喜ぶから、私の記憶が間違っていたのかなと思ったくらいでした。

――へええ。ご兄弟はいらっしゃったのですか。その方たちは読書されていたのかなと思って。

 兄と姉がいますが、本は読んでいませんでした。山奥に住んでいたしテレビも見せてもらえないから、図書館で借りてくる本くらいしか楽しみがないけれど、借りても親の前まではランドセルから出さないようにしていました。

――読む本は海外のお話が多かったのですか。

 そうですね。もうちょっと大きくなってからだと、『ナルニア国ものがたり』とか、エンデの『はてしない物語』とかがすごく好きでした。
 でも、5年生くらいではじめて、田辺聖子さんの本を読んだんです。それで内容にびっくりして。最初に読んだのが『言い寄る』だったんですよ。『言い寄る』『私的生活』『苺をつぶしながら』で三部作となっていますよね。その『言い寄る』の文庫を偶然手に入れて、読んでみたら出てくる男の人がちょっとクズみたいな感じで、それが衝撃で。これが大人の世界かと思って(笑)。

――作文や読書感想文など、文章を書くのは好きでしたか。お話を作ったりとか。

 いや、好きでもなかったですけれど、書けなくて困るということもなかったように思います。空想は常にしていましたね。でも、それをわざわざ文字に残しておこうとは思わなかったですね。

――たとえば、どんな空想を?

 自分じゃない誰かが生活している様子を、ずーっと考えるとか。私は今給食を食べているけれど、たとえばフランスに住んでいる私と同い年の女の子は何を食べてるんやろ、みたいなことを延々と考えていました。他に、後にお話を書くようになる要素があるとしたら、自分ではあまりたくさん本を買えないから、夏にやっている新潮文庫の100冊、みたいなものの目録というんでしょうか、あれを本屋でもらってきて、繰り返し読んでいたことですね。

――あらすじ紹介とかを繰り返し?

 はい。それで「こういうお話かな」と想像していました。だから、自分ではすっかり読んだ気になっているけれど、その頃に想像しただけの本とかあると思います(笑)。映画なんかも、チラシを見てすごく想像する癖がありました。今はしないですけれど(笑)。想像の中ではなんでも起こるから、実際の映画を観て「あれ?」っていうこともありました。

――漫画も家では禁止だったのですか。

 はい。でも友達の家で読めました。5年生の時に、同じクラスの男の子の家に遊びに行ったら「りぼん」がずらーっと並んでいたんです。そもそも漫画を見たことがなかったから「なんだこの素敵な本は」と思って。可愛い女の子の絵がいっぱい載っていて、レターセットとか、すごく素敵な付録がついていて。こんないいものがあるんやと思ったんですけれど、そのなかで一番好きだったのが岡田あーみんのギャグ漫画でした。

――『お父さんは心配症』とか?

 そうそうそう、『お父さんは心配症』です! そこではじめてギャグ漫画を一気に摂取して。「りぼん」はどうしても欲しかったので、月に500円くらいのお小遣いのなかから買っていました。でもそれはさすがに分厚いので隠せず、親にばれましたね。まあ、ばれても馬鹿にされるだけなので、別にいいんですけれど。

――でも、親に馬鹿にされるって、心が折れますよね。

 そうですよね。親って絶対的な存在だったので、そういう人に馬鹿にされるというのは悲しいことですよね。

古典名作を読みはじめる

――中学生時代はいかがでしたか。

 中学校の時は......ぼーっとしていましたね。あ、その頃、リヴァー・フェニックスがすごく好きだったんですよ。でも映画も自由に観られないから、映画のチラシを集めたりしていて。『スタンド・バイ・ミー』のスティーヴン・キングの原作の新潮文庫を買うと、カバーの見返しのところに映画の写真が載っていたんですよ。だから読んで、写真を見て、読んで、写真を見て、という(笑)。原作は映画とはだいぶ違うけれどそれも面白かったので、そこからホラー小説を読むようになった時期がありました。キングだと『ミザリー』とか。

――テレビも見られなかった人がなぜリヴァー・フェニックスを知ることができたのでしょう。

 いとこの家に泊まりに行ったら「映画でも観ようか」といって普通にレンタルビデオを借りているので「ああ、なんて素敵な家族なんだ」と思って、その時に「旅立ちの時」と「スタンド・バイ・ミー」を観たのかな。

――その頃はまだリヴァー・フェニックスって生きてました? 若くして亡くなったんですよね。

 (亡くなったのが)高校2年生の時だったんです。名前を口にするのも辛すぎて、つい最近までファンだったことも言えなくて。最後に出演した「ダーク・ブラッド」もまだ観ていないです。観たらなんか、本当に終わってしまいそうで。あれから20年以上経って、この間「別冊文藝春秋」のコラムのお話をいただいた時にはじめてリヴァー・フェニックスについて書いて、ようやく普通に「ファンやったんです」と言えるようになりました。

――そんな若い頃に好きな人に死なれるのは辛いですよね...。と、すみません、脱線させてしまい。中学生の時に話を戻しますと。

 中学2年生の時に、あまりにも成績が悪すぎて、塾に入ろうとしたら入れなかったんです。「ちょっと手に負えません」みたいにいわれて。それで、公文式の教室に行くことになったんですけれど、そこの教材に森鴎外の『高瀬舟』が出てきたんです。抜粋されていた部分がすごく面白くて。でも、『高瀬舟』って短いじゃないですか。

――数分で読み終えられるくらいの長さですよね。

 問題で出されたのもあの短い小説の、かなり後半部分だったんですけれど、問題文を読んだ時はそれが長篇の一部だと思ったので、「続きが気になる」と思って図書室で借りて読んで、あの短さに驚きました。「あ、問題に出た部分はもう終わりのところやったんや、ええー」って。でも、古典的名作といわれるものって難しいと思っていたけれどすごく面白いんだと気づいて、「じゃあ、有名なやつを読もう」となりました。でも、まわりに本を読む人がいないから、どれが面白いかも聞けないし作家の名前も分からない。それで国語の便覧に載っている人を中心に読んでいくことにしたんです。谷崎潤一郎とか、太宰治とか...川端康成は『伊豆の踊子』がなんとなく嫌だなと思って。出てくる学生さんが偉そうだな、って。当時としてはそれが普通の感覚やったんですかね。あとはあれです、『蒲団』。

――ああ、田山花袋の『蒲団』はね(笑)。

 そうそう、大人になった今なら「まあ人間だもんね」って思うんですけれど、中学生で読んだ時は「嫌だ、気持ち悪い」って思っちゃったんですよね。作家の先生が、奥さんもいるのに若い女性の弟子のことを好きになって、その子が使っていた布団に顔をうずめて泣くなんて気持ち悪い、って。今なら、人にはそういう情けないところもあるよねって思うんですけれど(笑)。

――逆に、いいなと思った作品はありましたか。

 谷崎潤一郎の「刺青」の出だしがすごく格好いいなと思って。「其れはまだ人々が「愚(おろか)」と云う貴い徳を持って居て、世の中が今のように激しく軋み合わない時分であった」という文章ですね。「愚」って馬鹿にする言葉なのにそれを「貴い徳」というところが衝撃的でした。
 太宰治も、最初に犬を捨てる話を読んだんです。「畜犬談」ですね。きったない犬を飼っていて、みんなに笑われるだろうから捨てようとしたけれど捨てられなくて付いてきちゃって、家に帰って奥さんに、捨てれんかったわと言ったら「ああ」という反応だったというような話ですけれど。ああ、太宰って面白い人なんだなと思って読んでいました。太宰の短篇は面白いですね。
 夏目漱石は『こころ』が一番好きかな。中学生の時は、わりと難しい言葉が多いなという印象でした。志賀直哉は『小僧の神様』とかは読んだけれど『暗夜行路』は読んでいません。島崎藤村は読んでいないかもしれません。目録を読んで読んだ気になっているだけかもしれません(笑)。

使わなくなった言葉、本の購入基準

――高校時代はどうでしょう。

 高校1年生の時に、担任の先生がまあまあ本の話をしたがるというか、自分が読んで良かった本をものすごく生徒に推してくる先生だったんです。

――国語の先生だったのですか。

 いえ、体育の先生です。珍しいですよね。いい先生で、三浦綾子の『塩狩峠』を強引に推して、夏休みの課題図書にするくらいで、それではじめて読みました。『塩狩峠』ももちろん良かったんですけれど、私は『泥流地帯』が衝撃的でした。
 北海道の貧しい兄弟の話なんですけれど、弟のほうがすごく勉強ができるのに、貧しくてお金がないから賢い子たちが行ける学校にいけない。それで故郷の村で学校の先生になるんですけれど、噴火が起こって村全体が土砂に飲み込まれてしまうんです。兄弟は生き残るんですけれど、他の家族は死んでしまって。これは『続 泥流地帯』もあって、その災害から立ち直るまでも書かれるんです。つまり『泥流地帯』は災害に遭うところで終わりなんですよ。幼馴染みの女の子が女郎屋に売られたりして散々苦労して、辛い辛い辛いで、最後にめっちゃ辛いとなって終わるんです。すごく辛いんです。

――衝撃的だったというのは...。

 自分が当たり前に「そういうものだ」と思っていたことでも「本当にそうなのか?」と気づかされるという、驚きがいっぱいあったんですね。たとえば、「日頃の行い」って言葉はある意味すごく残酷なことだっていうことがずっと書かれてある。災害に遭った後に、ちょっと被害が少なかった地域の人が、私たちは日頃の行いが良かったから家族も畑もあまり被害を受けずに無事だった、みたいなことを言っていて怒りをおぼえるシーンがあるんですけれど。何気なく使われる言葉だけれど、じゃあ、災害で死んだ人は日頃の行いが悪かったのかというと、全然そんなことじゃないですよね。だからこれを読んで、ああその通りだなと思って。それ以降、「日頃の行い」という言葉を使わなくなりました。

――ああ、本当にそうですよね。他に高校時代に読んで印象に残っているものは。

 やっぱり山田詠美さんですね。聖書のように持ち歩いていました。とにかく文章がきれいだなと思って、もう暗唱できるくらいに読んでいました。高校生だったのでやっぱり『放課後の音符(キイノート)』とか、『風葬の教室』とか『蝶々の纏足』といった、学生のお話が多かったですね。

――ちなみに、高校生になってもまだ、親から隠れるように読んでいたのですか?

 そうです。山田詠美さんは恋愛を書かれているから、「そんなの読んで」みたいに言われて馬鹿にされると思いましたし。

――高校を卒業されてからは。

 ぶらぶらしていました(笑)。バイトしたり、パソコンの教室に通ったりして、20歳の時にようやく就職するんです。でも、まあ20年前の話ですが、給料がすごく安くて、月に10万円切るくらいしかもらえなかった。だからその頃、全然本も買ってないと思うんです。で図書館には行っていました。仕事を始めてからは、昼休みに本が読めるし、その頃には自分の部屋があったので、部屋で本が読めるので、それがちょっと嬉しかったですね。
 その頃、図書館で偶然、姫野カオルコさんの本を借りたんです。『喪失記』でした。それがすっごく面白かったんですよ。それで姫野さんの本を読んでいたら、エッセイとかあとがきに「小説は儲からない」「本を買ってもらえないと次の本が出せない」みたいなことが書かれてあって、それで「あ、買わなきゃ駄目なんだ」と思って、そこから無理をしてでも本を買うようになりました。好きな作家の本が読めなくなったら自分が困るわと思って。

――いい話。

 でも、だいぶ前に死んだ人が書いた本は借りて済ませてました(笑)。『嵐が丘』とか。でもそれも、買えば出版社や翻訳者の利益になるんですよね。今はもちろん買うようにしているんですけれど、当時は死んでいるか死んでいないかが、買うか買わないかの分かれ目みたいになっていて。

――本を買う前に著者の生存確認をするという(笑)。いまぱっと『嵐が丘』の書名が挙がったということは、面白かったということでしょうか。

 そうですね。ヒースクリフやキャサリンについて、家政婦さんみたいな人が喋っているのを「私」が聞いているので、すごく変わった形式で書くなあと思って。そこが面白かったですね。でも海外の小説はそんなに読んでいないかもしれません。とりあえず有名なものは読んでおけ、くらいな感じで。

――その頃は作家を志していたわけではないですよね。有名なものを押さえておこうと思ったのは、名作なら外れがないと思ったからなのか、それとも教養として読んでおきたいと思ったからなのか…。

 単純に、一般教養みたいな感じで読むものだと思っていました。高校生くらいの時から、自分のことをすごくあほなんやと思うようになってきて。だから知識を身に着けたいけれど、でも今からまた学校に行くのは無理かなと思い、だったら本とか読んでおこう、という。だから、みんな普通の人は『嵐が丘』を読んでいるだろうと思っていました。そういう有名なものを読んでおいたら、人とも話ができるやろ、くらいに思っていた気がしますね。

――では、他に読んだ海外の名作といいますと。

 『ボヴァリー夫人』とか。なぜか『ロリータ』とか。ガイド的な人がいないから、書店で見つけるしかないんですよね。インターネットも今ほど使い勝手がよくなかった頃だし、田舎の書店って新潮文庫の棚はあるけれど他はあまりないところが多いので、その頃に読んだのは新潮文庫の割合がすごく多いですね。どういうのが面白いのか分からないので「なんとなく」とかタイトルが格好いいとかで選ぶしかなく、自分の好きなタイプの作家とか小説に会うのは遅かったです。川上弘美さんとか知ったのは20代後半でした。

――たまたま何かを読んでみて、いいなと思ったんですか?

 そうですね。最初に読んだのが何かは忘れましたが、『センセイの鞄』とか、すごく好きでした。

文芸誌の存在に感動する

――実家を出られたのはいつだったのですか。

 32歳で結婚して、夫が大阪に住んでいたのでそちらに越しました。まずは、書店が歩いて行ける距離あるってすごいことやなって。今までは車で行っていましたが、大阪ではそんなに街中ではないのに、最寄り駅に書店がふたつあって、すごく感動しました。
 私、小説の単行本とかの最後に「初出」って書いてあるのが長年の謎だったんですよ。「初出『群像』」とか「初出『すばる』」とか。そういう雑誌があるんだろうなとは思ったんですけれど、実物を見たことがなかったので、出版関係者みたいな一部の人が読む特殊な本やろうなとか勝手に想像していました(笑)。でも、大阪の本屋で普通に置かれていて、「ああ、『群像』ってこれか」と、興奮して手に取りました。これが『群像』、これが『すばる』、これが『新潮』、これが『文學界』って。その時の会計は1万円を超えました。

――文芸誌を手あたり次第買ったということですか。

 はい。大阪に来て何を見た時より一番テンションが上がりました。こういうのが当たり前に生活に入ってくる、これが大阪か、みたいな感じで。なんのこっちゃですよね(笑)。地元の図書館にも文芸誌はあったんでしょうけれど、チェックしてなかったんでしょうね。それで、毎月小説が連載で読めるなんてすごいじゃんって嬉しくなって買うんですけれど、いろいろ買うと毎月5000円以上かかってしまって。お金が続かないので、全部買っていたのは最初の何か月かでした。それでも結構買ってましたね。単行本になるよりも早く読めるってすごいことだなと思ったし、連載でちょっとずつ読めるのも楽しかったですね。新連載が始まると「あ、これは最初から読めるんだな」とまた嬉しくて。それに、いろんな方のお話が載っていますよね。それがすごくいいと今でも思うんです。内容がまったく分からない本を1冊買うって、文庫でもそれなりに勇気を要する。でも文芸誌はちょっとお試しみたいな感じで、いろんな人の小説が読める。自分にとって、はじめてガイド的な存在が現れたんです。
 だから私もたまに雑誌とかに短篇を載せてもらう時は、お試しみたいな感じで誰かが読んでくれたらいいなと思って書くんです。

――そうやって読んでいるうちに、お気に入りの現代作家さんを見つけましたか。

 吉村萬壱さん。文芸誌に短篇が載っていて「あ、面白い」と思って本を買って読むようになった人として代表的ですかね。絲山秋子さんも文芸誌で知りました。吉村さんはやっぱり『ボラード病』にびっくりしました。絲山さんだと『沖で待つ』かな。『小松とうさちゃん』も可愛くて好きでした。それと、朝倉かすみさんがすごく好きなんですが、朝倉さんを読み始めたのもこの時期です。どこでどう出合ったか憶えていないんですけれど。

――朝倉さんの作品では、どれが好きですか。

 全部です。読んだ本は全部。

――おお。じゃあ、朝倉さんの最新作の『平場の月』とかも読まれました?

 もちろんですよ。ふふ。好きな人が死んでしまう話ですけれど、でも死んだでしょ、悲しいでしょ、感動するでしょ、みたいな感じでは全然ないじゃないですか。そこがすごく素敵でしたね。つい最近読み終えたばかりで、感動が鮮明に残っています。
ああ、井上荒野さんも好きですね。

――井上さんの作品では、どれが好きですか。

 全部です(笑)。わりと最近読んで印象に残っているのは『綴られる愛人』ですね。

――ああ、歳の離れた男と女が互いに自分の素性を偽って文通をするという話ですね。

 そうです。お互いちょっとずつ手紙に嘘を書くんですよね。その文通相手の若い男の人がバリバリ気持ち悪くて(笑)。便箋に血をつけて「喧嘩してきたんだよ」みたいなことを書いたりして。それで、全然感動的な結末に至らないところが、すごく好きでした。

――全体的に、じわじわくる文章をお書きになる方がお好きなのかな、と。

 あ、そうですね。「お話のスケールがすごい」とかいうよりも、文章そのものがどうか、かもしれません。ものすごくストーリーが面白くても文章が苦手な人だと、その本はあまり好きにならないかもしれません。それは好みですから。だから、好きな文章の人の本だったら、なんだったら未完でも読めると思います。たぶん、文章を味わいたいんですよね。

――私、最初に さんの文章を読んだ時、これは純文学系の人かなって思ったんですよね。でも、ご自身ではジャンルは意識されていませんよね?

 違いがあまり分かっていないんです。私は文章を味わうのが楽しいので、たぶん純文学でもエンターテインしているんですよね。楽しんでいるんですよ。
 でも、考えてみると、ミステリみたいなものが好きな人がタイトルだけで本を選んだら「なんじゃこりゃ」みたいな作品に出合うこともあるわけですよね。私が「これが楽しい」と思う本でも、読んでがっかりする人もいるんですよね、きっと。だからある程度はジャンルを分けたり意識したりする必要があるのかなとは、最近思います。たとえば小川洋子さんの『人質の朗読会』とか、タイトルだけ聞くとミステリっぽいですよね。

――外国でテロが起きて、長期間人質となっていた日本人たちが結局死んでしまい、後日彼らの音声が発見される...という、あらすじ説明でも誤解されそうですね。実際はビスケット食べたりスープ作ったりする話ですものね。個人的に傑作だと思いますけれど。

 私も好きでしたが、ミステリだと思って読んだ人がいたら「え」って思うのかな、って。

小説を書いたきっかけ

――ではポプラ社小説新人賞に応募された経緯はどうだったのでしょうか。自分で小説を書いてみたいと思ったきっかけは。

 文芸誌を買っていると、毎回賞の応募要項が載っているんですよね。お金の話になって申し訳ないんですけれど、賞金も書いてある。私はパートの時給が800円スタートだったんです。だんだん上がって1000円になったんですけれど、パートだから1日4時間しか働けなかったんです。130万円超えたら社会保険に入れなきゃいけないって雇い主の人が言うので制限していました。だからお金がなかったんですね。それで、賞金50万円とか100万円とか、大きい賞になると500万円とか、すごいなと思って。最初は、本当に最初だけなんですけれど、宝くじを買うようりもこれは確率が高いんじゃないかくらいに思ったんです。厚かましいんですけれど、その時は簡単に書けると思ったんですよ。

――それまで小説を書いたことはあったのですか。

 どうだろう。ちゃんと書いたことはないと思います。それで、35歳の夏、お盆休みが終わったら書き始めようって思ったんです。自分のパソコンを持っていないので夫の持っている古いノートパソコンを借りるしかないんですけれど、お盆休みは夫がずっと家にいるので、書いたらばれるかなと思って(笑)。そんな「小説を書き始めます」と言う必要もないだろうと思い、お盆休みが終わったら夜にこっそり書き始めました。

――そんなすぐに書けるものですか。

 クオリティは別として、一応最後まで書けました。空想が得意なので(笑)。よく「いきなり書き始めておしまいまで書ける人は少ない」みたいなことを言われますが、それがちょっと分からなかった。今でも分からないです。

――どの賞に応募するかはどう決めたのですか。太宰賞で続けて最終選考に残り、日本ラブストーリー&エンターテインメント大賞で最終に残り、そのあとでポプラ社小説新人賞で受賞されていますよね。賞のタイプが全然違う。

 最初は、分かっていなかったので、確率が高そうだと思って地方の文学賞みたいなものに応募しようと思って探していたんですけれど、やっぱり賞金も低いんです。賞金が高いのはミステリの賞なんですが、それは無理だなと思いました。枚数も多かったし。
 最初は100枚くらいのものを書いて、ろくに推敲もせずに何かに送ったんです。その後で太宰賞に応募しました。賞金が100万円もあっていいわと思って(笑)。小説を書き始めたのが8月でしたが、太宰賞の締切が12月だったのかな、直近に書いたものを送ったら最終に残ったから、これはやはり宝くじよりも確率が高いと思いましたね。で、落ちたので、甘くないってことをはじめて知りました。その時に編集者の方に「来年も頑張りましょう」と言われ、次の1年は太宰賞に出すものを頑張って書こうと思い、3作くらいしか書いていないんです。そのあとで宝島社の日本ラブストーリー&エンターテインメント大賞とポプラ社小説新人賞に応募したものを書いたんです。

――2014年に「ビオレタ」でポプラ社小説新人賞を受賞されるわけですが、ちなみに賞金がいくらだったんですか(笑)。

 200万円です。高いんです(笑)。本当は駄目ですよね、賞金額で決めるなんて。

――「作家になりたい」というのとはまた違う動機で書き始めたともいえますが、デビューが決まったとなるとどういう感覚だったのでしょうね。

 デビューしたとしても、「書いてください」と言われなかったら書けないんですよね。需要があるうちは続けられるんだろうと思ったんですが、もちろん一生安泰だとは思いませんでした。まあ、やれるうちはやったらいいし、依頼がなくなったら他の仕事をしようくらいに今も思っていますね。

付箋をたくさん貼った本

――今日お持ちくださった本の中に、たくさん付箋が貼られたものもありますよね。長野まゆみさんの『あめふらし』とか畑野智美さんの『国道沿いのファミレス』とか。

 長野さんは単純に文章が好きだという。『国道沿いのファミレス』は畑野さんのデビュー作ですが、小説を書き始めた頃にテキストみたいな感じで買ったんですよ。デビュー前、新人賞受賞作みたいなものを一通り買って読んだんですね。そのなかで、これはすごく参考になりました。出だしに街の描写を入れているな、とか。お話の中でどれくらいの時間の経過とか、何週間後に事件が起こるとか、実は序盤に違和感をおぼえる場面がある、とか。そういう箇所に付箋を貼っています。畑野さんのお話は、初登場の時にちょっと嫌な感じだった人が、途中ですごく印象が変わることがあって、それがすごく、手品みたいな鮮やかさなんです。だから、これもなるほど、なるほどと思いながら読みました。
 逆にデビューした後のほうが書き方が分からなくなって、初心者向けの小説の書き方の本などを読みました(笑)。ハリウッド脚本術みたいな本を読んで「そっかー」と思ったり。

――そうだったんですか。ところでそこにある、朝倉かすみさんの『静かにしなさい、でないと』にもたくさん付箋が貼られていますね。

 これは本当に文章が好きで。これも30代になってから、デビュー前に読んだものです。長野さんの『あめふらし』と朝倉さんの『静かにしなさい、でないと』の2冊は、単純に表現が好きってところに付箋を貼っています。こういう好きな本はいつも鞄に入れておいて、パラパラッと見たりしていますね。
 あまり読書のためにまとまった時間が取れないんです。怒られるかもしれないけれど、洗面所に短篇集とかを置いておいて、歯磨きしながら読んだりするんですよ。

――プロデビューしてから、読書生活に変化はありましたか。

 本をためらいなく買えるようになりました。家族には「あんなに積んでいるのにまた買ったの」と言われますが、「読むのも必要なので」と。最近は、たくさん読みたいので好きな本を読み返すというより、新しい本が多いですね。

――そういえば、読んだ本をツイッターでつぶやかれていますよね。

 インスタグラムに載せていて、たまにツイッターに連動させています。最近はもうとにかく「面白そう」という基準で選んでいます。好きな作家さんの新刊が出たら買いますし、なるべく書店に行って、コーナーが作られていたりして書店員さんが個人的な思い入れを持って推している本はなるべく買っています。推されているってことはそれだけ魅力があるってことだから。それと、普段読まないようなジャンルの本でも、話題になっているものをなるべく買って読んでいます。話題になっているということは、それだけの要素があるわけで、その要素が知りたくなります。

――では、最近面白かった本は。

 ミランダ・ジュライの『最初の悪い男』がすごく面白かったです。名前は知っていたんですけれどちゃんと読んでいなくて。なんでもっと早く読まなかったんだろうと思って。1行1行、全部面白かったです。

――寺地さんは岸本佐知子さん訳のものが好きかもしれない。

 ああ、翻訳者で選ぶというのもありますよね。あとは、チョ・ナムジュの『82年生まれ、キム・ジヨン』も面白かった。一昨年だったか、まだ翻訳が出ていない頃、私の『みちづれはいても、ひとり』の韓国語版が刊行された時にこの本の話題が出て、「来年翻訳が出ます」と聞いていたので、ずっと読んでみたくて、読んだら面白かったです。

――82年生まれの女性の半生を追いながら、韓国社会の女性の生きづらさが浮き彫りになっていく内容ですよね。

 辛いです。ひたすら辛い。これくらい書かないと伝わらないのかなと考えながら読みましたね。チョン・セランの『フィフティ・ピープル』も面白かったですね。50人以上が出てくる群像劇で、こんなにいっぱい人が出てくるなんて書くのが大変だけど楽しそうだなって。自分でも書いてみたいなと思いました。でも、今すぐ書き始めると「真似した」と言われるので、もっと時間が経ってから(笑)。

――韓国文学の翻訳は今すごく話題作が多いですよね。翻訳者の斎藤真理子さんがすごく活躍されていて。

 ああ、この2冊も翻訳が斎藤さんなんですね。すごいですね。あとは......(と、スマホを出してインスタをチェックする)。

――インスタに読んだ本の写真を挙げるのって、いい記録になりますね。

 後からぱあっと一覧として見られるので便利です。ああ、そうそう、畑野智美さんの『神さまを待っている』も若い女の子の貧困を書いていて面白かったです。伊藤朱里さんの『緑の花と赤い芝生』も。

――『緑の花と赤い芝生』は、片方の結婚で義理の姉妹となったタイプの違う27歳の女性二人が、一時的に一緒に暮らす話。

 すごく細かいところまで設定して書いてあるなと思いました。片方の、杏梨ちゃんというゆるふわみたいな可愛い子のことを、めっちゃハーブティー飲んでそうやなと思って読んでいたら、本当に飲んでいて。しかも「ルピシアのハーブティー」と書いてあって、「ああ、確かにルピシアって感じやわ」と思って。そういうところも面白かったです。

新作のこと、書きたいこと

――ご自身は、小説の題材はどのように決めているのでしょうか。たとえば『今日のハチミツ、あしたの私』などは、養蜂のことも相当調べて書かれたのではないかと思いますが、取材をされたりするのかな、と。

 題材は打ち合わせで「こういうのが読みたいです」と言われてその場で考えることが多いです。『今日のハチミツ、あしたの私』の時は養蜂のことは調べましたし、取材にも行きましたね。ちょっと離れたところから巣箱を開ける様子を見せてもらったりしました。

――『みちづれはいても、ひとり』はロードノベル風ですが、旅先の村の感じとか...。

 それは以前、夫の祖父母の家に毎年10日くらい泊まりに行くイベントがあったので、その体験をもとにしました。

――新作『正しい愛と理想の息子』は、陰気な32歳と、可愛げのある30歳、違法カジノで働いて失敗して、窮地に陥っている二人の男の話ですよね。

 以前、他の出版社の人に「男性同士の関係性がすごく独特でいいですよね」みたいなことを言われて「あ、そうなんだ」と思って。すごく印象に残ったのでアイデアとして保留しておいたんです。それとは別に、「愛って気持ち悪いな」とずっと思っていて、それを組み合わせたらどうやろなと思いました。打ち合わせの時に、ぼやっと「詐欺みたいなことをしている人の片方のお母さんが認知症か何かになって...」くらいの話をしたら「すごくいいですね」と褒めてくださって調子に乗って、その場で「認知症だと民生委員みたいな人も出てきますよね」とかどんどんアイデアが出てきて、書くことになりました。

――「愛って気持ち悪いな」というのは、どういう局面で、でしょうか。

 自分も子どもの相手をしていると過剰に叱りすぎてしまうこともあるし、すごく悩むことも多いんです。その時に「すごく愛情を持って育てているから大丈夫だよ」みたいに慰められると、「え、愛していたら何をしてもいいの」と思って。それで、振りかざされる愛って気持ち悪いなと思ったんです。そんなに万能なものでもないでしょう、ということが言いたくて。

――「家族だから」とか「愛してるから」とか言って片づけられがちなものに対して、「そうでなくていいのではないか」ということをいつも書かれている印象が。

 そうですね。いろいろ書いているようにみえて同じことをずっと書いているかもしれません。自分でも、家族は他人だってことをずーっと言っているなと思います。それと、世の中で「こういうものだよ」と言われているものを、本当にそのまま受け止めていいのかなってことは、ここ数年で本当に考えるようになりました。

――今は専業ですか? 1日のサイクルなどは。

 一昨年、仕事は辞めました。毎日、子どもが8時くらいに小学校に行くので、帰ってくるまでは執筆の時間が確保できますね。少なくとも午前中はずっと書いています。1日10枚から15枚くらい書くと決めていて、もっと書きたくてもそれ以上は止めるんです。調子がいい時にガンガン書いたものって、意外と面白くないんですよ。もうちょい書きたいくらいで止めていくのがちょうどいいみたいです。結果的にそっちのほうが早く書き終えるなということにも気づきました。

――では、今後のご予定を教えてください。

 「asta」で連載していた連作を、今年の4月か6月くらいに刊行する予定です。ひとつの街でマーケットみたいなものが閉店すると決まってからの1年間の話です。
「yom yom」で、「ここにない希望」という連載が始まっています。打ち合わせの時「『架空の犬と嘘をつく猫』の、お母さんが出さなかった手紙がひどくて、でもそこをもっと読みたくなりました。 さんのひどい部分を出していきませんか」って言われたので、性格の悪い人がたくさん出てきます(笑)。