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高橋英夫さんを悼む 「文学を読むことは感動」基本姿勢に 仏文学者・清水徹さん寄稿 

 高橋英夫は、私の旧制一高文乙のクラスの同級生である粕谷一希(中央公論社員として活躍し、のち「東京人」という特色ある雑誌を刊行した男)から、もう70年ほどまえに彼の都立五中時代の親友で大変な蔵書家だとして紹介された。その直後に高橋は初の評論集『批評の精神』を私に送ってくれた。

 この評論集は「小林秀雄との出会い」という章にはじまる。そこで高橋は、敗戦という混乱期に、小林秀雄の『モオツァルト』と『無常という事』に出会ったときの感動を熱っぽく語っている。対象をばっさりと切る、しばしば喧嘩(けんか)ごしの時評家小林秀雄ではなく、作品との出会いの感動を鮮やかに浮き彫りにする批評家小林秀雄が少年高橋英夫をどのように感動させたか、彼はそれを語ろうとしているのだ。文学作品を読むことは感動することだという姿勢が基本姿勢なのである。つづくページでは、河上徹太郎、福田恒存、神西清、林達夫、唐木順三といった、たがいに親和性に結ばれた批評家や、批評的な色彩のつよい文学者たちが論じられる。そうやって批評家高橋英夫の姿がくっきりと輪郭づけられた。

 そう、彼は「学者批評家」という定義がふさわしい。実際、彼はホイジンガという文人学者の『ホモ・ルーデンス』の翻訳を刊行することから文学活動をはじめているのであり、そのあとも東大独文科出身らしくいくつかのドイツ関係の翻訳を発表している。

 また、『批評の精神』以後、モーツァルト好きの彼は小林の『モオツァルト』に応えるように美しいモーツァルト論を発表したほか、リルケ論、西行論、折口信夫論を書き、日本作家論としては、志賀直哉や清岡卓行などごく少数の好みの作家だけを論じている。

 生来内気な彼は、たぶん日本の文壇独特の「座談会」などに出たことはないし、まして「論争」をしたこともない。いわゆる「文壇づきあい」などまったくしなかったと思う。それでも彼の書く作家論はその深い読みの姿勢と穏やかな口調のため、愛読者もかなりいたと思うし、そういう点を注目されて、彼のいくつかの著書は文学賞をうけた。他方で、文芸雑誌を読むことで現代日本の文学状況を知り、それとの関連で個々の作品を理解し、みずからも作品制作の場に乗り出そうとする野心的な文学青年たちにとってはたぶん無縁の批評家であったと思う。高橋英夫はじつに独特な批評家であった。

  ◇13日、88歳で死去。=朝日新聞2019年2月27日掲載