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大切な人はみんなバレーボールだ 白岩玄さんが高校時代に出会った映画「キャスト・アウェイ」

 高校時代は帰宅部で、映画ばかり観ていた。週に四本以上、レンタルビデオ店で気になったものを借りてくる。過去の名作からミニシアター系までかなりの本数を観たのだけれど、今となってはそのほとんどは覚えていない。そんな中、トム・ハンクス主演の「キャスト・アウェイ」という映画を、今でも忘れられずにいる。

 事故で無人島に打ち上げられた男が、その島で自活し、いかだを作って脱出を図ろうとする物語だ。ただストーリーそのものにはそこまで興味がなくて、ぼくが強烈に惹かれたのは、中盤で「唯一の友達」を失う場面だった。

 砂浜に流れ着いた漂流物の中にバレーボールを見つけた男は、そのボールに顔を書いて、島の孤独な生活を共にする「友達」を作るのだが、いかだで海を渡る際に嵐に襲われ、友達を高波にさらわれてしまう。いかだから手を離せば自分の命が危ないという状況で、男は海に落ちた友達をどうしても助けることができず、「すまない」と大泣きしながら謝り続ける。実際には友達はただのバレーボールなわけだが、ぼくはそこに人間という生き物のおかしみを感じて涙が溢れた。あぁ、人間ってこういうものだよなと思ったのだ。

 もともと赤の他人だった何の思い入れもない誰かを、時間をともにすることで、自分の大切な人だと考えるようになってしまうこと。あらゆる人間関係はすべてこの構造で成り立っていて、ぼくらは相手への思い入れの深さによって、誰かを愛していると実感したり、その人がいなくなったことに涙したりする。要するに、人間にとって他者はすべて「容れ物(いれもの)」で、喜びも、悲しみも、自分の想いをその人に注ぐから生まれているのだ。だから、他人から見れば何の価値もない、顔を書いただけのバレーボールが、男にとっては唯一無二の親友になる。

 ぼくらは、自分の想いをたくさん詰め込んだ他者に囲まれながら生きている。言い方はあれだけど、あなたの大好きな恋人も、大事な家族も、気の合う親友も、愛すべき子どもも、みんな等しくバレーボールだ。どんなに目を凝らしても外側しか見ることのできない他者という存在に、いつも勝手に想いを注いで、そこに何か大事なものがあると思い込んで生活している。でも、ぼくはその勘違いの営みこそが、人間のもっとも愛しい部分だと思うのだ。孤独から決して逃れられない生き物が、誰かを信じて関わろうとする中で積み重ねていく様々な感情。ぼくは普段小説を書くときも、そうした「感情の蓄積」を表現したいと考えているし、そこに人間という生き物の奥深さが現れるのだと思っている。