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「トランジット」 遊牧民の知恵と生きる難民たち

評者: 都甲幸治 / 朝⽇新聞掲載:2019年03月30日
トランジット (フィクションの楽しみ) 著者:アブドゥラマン・アリ・ワベリ 出版社:水声社 ジャンル:小説

ISBN: 9784801004078
発売⽇: 2019/02/15
サイズ: 20cm/193p

トランジット [著]アブドゥラマン・アリ・ワベリ

 今の世界を知るにはワベリを読めばいい。ヨーロッパやアメリカに貧しい人々が押し寄せる。どんな国境も法律も彼らを止められない。なぜか。彼らは、どうして自分たちには人権も快適な生活もないのかと叫ぶ、普通の人間だからだ。そしてこの正義に反論できる者などいない。
 本書の登場人物バシールもその一人だ。アフリカの小国ジブチの内戦で兵士として闘った彼は、フランス行きの飛行機に乗り込む。もちろん難民として、より良い暮らしを求めてだ。そのために言葉がわからない愚か者のふりをする。泣いて同情を得ようとする。
 彼の姿勢は欺瞞だろうか。いや、権力者の前で生き延びるには、本心を隠して移動を繰り返し、正面衝突を避けるのが正しい。それにそもそも、ジブチを暴力に満ちた国にしたのは、かつてそこを植民地としていたフランスではないか。
 バシールの知恵は遊牧民のものだ。ベドウィン時代の記憶を持つアワレは言う。「遊牧民の時間がどの暦にも従わず、いかなる記録文書にも煩わされることはなく、フランス第三共和政の山羊(やぎ)ひげたちによって求められた行政書類にも署名していないということだ」。そしてそんな彼らを真に支配できる者などいない。
 1965年生まれのワベリは、ジブチで話されている生のフランス語も交えて見事な文章を織り上げる。時に詩と散文の間のようになる作品は高く評価され、今や彼はフランス語圏を代表する書き手の一人だ。
 もちろん、遊牧民にも弱みはある。フランス式の教育を受けた者たちは伝統を見失い、ヨーロッパ人を仰ぎ見るようになる。フランスで教育を受けたハルビもそうだ。だがそれでは誇りを持って生きられない。
 トヨタの小型トラックを改造して作ったソマリアの戦車のように、ヨーロッパと先祖代々の知恵を統合すること。このワベリの試みは、東洋人である我々にもひとごとではない。
    ◇
 Abdourahman A.Waberi 1965年、仏領ソマリランド(現ジブチ)生まれ。給費留学生で渡仏。『バルバラ』など。