天下人・豊臣秀吉の怒りを買ったとされる茶聖・千利休(1522~91)は、実は切腹していなかった――。そんな新説を打ち出した『千利休 切腹と晩年の真実』(朝日新書)が出版された。
著者は文教大学の中村修也教授。様々な1次史料を調べ、利休が切腹したという記述は江戸時代以降にしか出てこないこと、利休没後とされる1592年の秀吉の書状に、肥前・名護屋で利休の茶を飲んだと書いてあることなどを根拠に、利休は九州にかくまわれたとの説を示す。2015年に出版された、同じ筆者の『利休切腹』(洋泉社)を一部下敷きにしているものの、茶の湯の歴史の研究者らしく、利休の茶はよく言われるような『わび茶』だったのか、といったテーマに紙数を割く。
結論は「利休の茶=わび茶」とするイメージは、江戸時代の元禄期に生み出された――。利休の生前には「わび茶」という概念は存在していなかったという。日本の茶道史に一石を投じる一冊といえそうだ。(編集委員・宮代栄一)=朝日新聞2019年3月27日掲載