数年前、実業之日本社の小説誌『ジェイ・ノベル』で「商店街特集」があったので墨田区京島(きょうじま)の「キラキラ橘(たちばな)商店街」に行った。ここは20年前、小説『あぶく銭』(角川書店刊。集英社文庫版は『マネー・ロワイヤル』)を書く際に来たことがあったのだ。古い木造家屋の密集する下町で、主人公はここで生まれ育った設定とした。
久しぶりに京成曳舟(ひきふね)駅に着いてみて驚いた。かつては地面を走っており、明治通りを踏切で延々堰(せ)き止めていた線路が高架化されているではないか。駅も新しく工事中であり、駅前は再開発が進んでいた。かつてのゴチャゴチャした町並みは、一掃されていた。
ただし駅前から離れてみると、昔ながらの風景が残っていた。ここはこうでなきゃいけない。商店街も昔のままで、年老いた店主が奥にポツンと座っているような店がいくつも並んでいた。特集の企画にもピッタリである。
近所のお風呂屋に行って汗を落とし商店街のもつ焼き屋に入った。風呂上がりの生ビールはこたえられない。編集者と2人、ありがたく乾杯した。
ただしこの店はお持ち帰りの方がメインのようで、テーブル席は3つしかない。1つには常連さんらしい客が陣取っており、あまり長居はできそうにない。軽く呑(の)んで食べると店を出た。
道向かいに持ち帰りの餃子(ギョーザ)屋があったため1パック買い求め、酒屋で缶ハイボールを仕入れて公園に行った。ベンチに腰を下ろし、改めて乾杯する。この公園には中央に巨大な滑り台がでんと聳(そび)えており、小説でも重要なモチーフとして使った。見上げながら呑むと、味わいはまた格別である。
さて、特集記事の内容としてはこれくらいか。公園で呑むのも乙なものだが、外だと蚊に刺されて困る。どこかの店で呑み直そうという話になった。
明治通りに出た。渡った先に、鋭角に切れ込むように路地が伸びている。その角に古い造りの居酒屋が見えた。とたんに私のアンテナがビビビと反応した。あの店、絶対に当たり!
暖簾(のれん)を潜(くぐ)った。路地の角度と同じく店の形も尖(とが)っており、カウンターも鋭角に曲がっている。その上に大皿料理が並べられていた。壁の短冊や黒板にも、そそられるメニューが目白押し。
見るとここ、「元祖焼酎ハイボールの店」という。ならば呑まないという選択肢はない。あり得ない。
夫婦で切り盛りしている店だった。アットホームで、初めての客にも気軽に話し掛けてくれる。こんな雰囲気の中、味わう酎ハイの美味(うま)いこと。あぁいい気持ち。済いません、もう一杯!!
同じ東京23区内と言っても、ちょっと足を伸ばしてみれば景色はガラリと変わる。土地土地の美味に出会えればそれで充分、心豊かな旅なのだ。=朝日新聞2019年3月30日掲載
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