平成30年。大学の授業を終えたさつきのもとに幼い少女が訪ねてくる。兄・大樹の幼い娘で姪のあやねだ。聞けば両親がケンカしているという。穏やかだった兄が豹変し、妻につらく当たっていたのだ。「現実にはないものが見えるようになった」と憔悴する兄に、さつきは一家が封印していた過去の不幸を思い出す。やがてさつきも幻影と幻聴に苦しめられるようになり……。
さかのぼって昭和40年。愛する妻と幼い娘と幸せに暮らしていた清孝が突然、陸橋の上から身を投げる。優秀で誰からも慕われ、ましてや戦争から奇跡的に生還した兄の清孝が自殺するなど考えられない。弟の省吾は兄の死の謎を探るうち、戦地で敵から逃げていた兄が遭遇してしまった凄惨な事件を知る。
物語は平成と昭和の時代を行き来しながら、謎と恐怖が交錯していく。
作者の阿部さんにとって今回の執筆は「初めてづくし」だった。「初めての出版社、初めての編集者とのお仕事だったので、それならばこれまで書いたことがないような物語を一緒にゼロから作っていこうということになりました」。そこで出たアイデアが「二つの時代をまたぐ物語」だったという。
「過去と現代がまるで振り子のように行ったり来たりしながら、最後はその振り子がピタッと止まるように二つの物語が符合する。そうした構造がまず決まりました。その上で、私はこの作品で『加害者の中の被害者意識』を描きたいと思った」
当初、過去の物語はもう少し現代に近い時代に起きた殺人事件をモチーフにしようと考えた。しかし、どうもうまくはまらない。出口が見つからない状況でふと脳裏に浮かんだのが、学生時代に聞いた学徒出陣体験者の講演だった。「教科書に書いてあるよりもはるかに生々しく、普通の人が被害者にも加害者にもなったという現実に愕然としました」
戦争を描写することには、しかし葛藤があった。「歴史物は書かない」と決めていたからだ。「歴史小説ってほとんどが作家によるファンタジー。でも、読者はそれを現実だと勘違いしてしまう。大学で歴史を専攻し、研究した私が、誤解が生じるようなものを書くのは学問に対して不誠実だし、読者に対してもフェアじゃない」。戦争を物語の重要なモチーフにすることで、それまで避けてきた「歴史を書く」ことに近づかざるを得なくなってしまった。苦悩はあったが、それでも踏み切ったのは、「この世相だからこそ、私はこの小説を書くべきだと思ったから」と阿部さんは語る。
「戦争が忘れ去られそうになったり、あるいは美化するような風潮があったり。平成が終わろうとしている今、フィクションという形でも私なりに、わずか数十年前にあった現実を書いておく必要があると考えたのです」
しかし、現実世界を描くことは「困難を極めた」。ファンタジーではない長編小説は今作が初めてとあって、「リアルは、まぁ書きにくい」と苦笑する。「ファンタジーと同じように現実世界を描写しても、誰もが知ってることを書き連ねるだけで何もおもしろくない。これまでの手法は使えないと気づきました」
「八咫烏シリーズ」は個性豊かな登場人物も作品の魅力だが、今回はそれもあえて封印。登場人物のキャラクター描写はできる限り廃した。「そうすることで、誰にでも、自分にも起こりうる物語なのだと強調したかった」。確かに個性的なキャラクターに読者は惹かれるが、自分には投影しにくい。「『キャラが立ってない』と批判する人もいるかもしれないけれど、今回はいろんな意味で挑戦作だったので、そこは日和ってもしょうがない! と吹っ切りました(笑)」
試行錯誤を繰り返し、構想から3年かけてようやく物語は完成した。ところが脱稿当初「結末に違和感があった」と阿部さんは振り返る。
「私は行き当たりばったりで物語を書くことはありません。全体の構成を考え、綿密に伏線も張り、思い描いた終着点まで描き切る。でも今回は何かしっくりこなかった。編集さんの反応もイマイチで、もしかしたらここが終わりじゃないのかも……と思い始めて。そこから悩みに悩み、あがいてあがいて、校了前にラスト数ページを書き加えました」
昭和と平成の物語がクロスするとき、さつきと兄、さらに父は「全く考えもしなかった『真相』」を知ることになる。そして迎える結末。ハッピーエンドではない。それを絶望ととるか、絶望の中に微かな希望を見たととるのかーー。実は最後に加筆した部分に、阿部さんの思いが込められている。
「過去は変えることなどできやしないし、人生において理不尽な状況に追い込まれることだってある。そんな状況に置かれたときに自分を救えるのは、結局、自分でしかない。陳腐な言い方をするなら『考え方ひとつ』なんです。だとしたら、その考え方を支えるものとは一体何なのかーー。それを、この物語を通して、読者の皆さんに考えてもらえたら」