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巧みな「コラージュ」で浮かびあがる、芥川の人生の闇 デイヴィッド・ピースさん「Xと云う患者 龍之介幻想」

文:朝宮運河 写真:有村蓮

――ピースさんは1994年から日本在住だそうですね。そもそも芥川とその文学に興味を持たれたきっかけは?

 新宿紀伊國屋の洋書売り場で、英訳版『羅生門』を見つけたのがきっかけです。とても面白くて、とりわけ「藪の中」に感銘を受けました。作家としてデビューする前の話です。その後『河童』の英訳本も手に入れて、そこに掲載されていた伝記から芥川本人にも関心を持つようになりました。

 芥川は明治25年に生まれ、昭和2年に自殺している。つまり明治・大正・昭和という時代の変遷と、人生が重なっているんです。そのことに暗合めいた面白さを感じました。

 以来、神保町などの古本屋をめぐり、芥川の英訳本を買い集めました。芥川はこれまで何度も英訳されていますが、その多くはすでに絶版。当時はインターネット以前だったので、古本屋を漁るしかなかったんです。

 わたしの『TOKYO YEAR ZERO』では巻頭に芥川の「或阿呆の一生」を引用していますし、『占領都市』は「藪の中」の構造を利用しています。芥川から受けた影響は、多大なものがありますね。

――芥川作品のどこに魅力を感じるのですか?

 難しい質問ですね(笑)。あなたは結婚相手の魅力を、たった一言で説明できるでしょうか? わたしにとっての芥川は、まさにそんな作家。ここが素晴らしい、あそこが優れていると長所を並べても、その魅力を言い尽くすことはできません。

 日本には泉鏡花、谷崎潤一郎、坂口安吾、中上健次と好きな作家がたくさんいますが、芥川はどこか別格です。それがどうしてなのかは……うまく説明できませんね。

 おそらく『Xと云う患者』を書くことで、その理由を探ろうとしたのだと思います。と同時に、わたしが愛してやまないこの作家がなぜ自ら命を絶たったのか、という謎についても、考えてみたかったんです。

――ピースさんはこれまで、ノワールや犯罪小説の分野で活躍されてきました。文学者の生涯を扱った『Xと云う患者』は、新しい挑戦ということになりますか?

 というわけでもありません。日本に紹介されているのは(ミステリー系の)「ヨークシャー四部作」「東京三部作」ですが、未訳作品の『GB84』は炭鉱労働者のストライキを扱っていますし、『The Damned Utd』と『Red Or Dead』はサッカーに関する作品です。特にサッカーを扱った2作は、実在するサッカー監督をモチーフにした伝記的な小説なので、『Xと云う患者』に近いと思います。

――いくつかの収録作は、本書に先立ってアンソロジーや文芸誌に発表されたものですね。

 いちばん最初に執筆したのが、「災禍の後、災禍の前」。東日本大震災の復興支援を目的としたアンソロジー(『それでも三月は、また』)に寄稿したものです。

 東京大学の柴田元幸さんに声をかけてもらったのですが、わたしは当時イギリスに滞在していて、震災を直接経験していませんでした。何を書くべきか考えているうちに、関東大震災に関する芥川のエッセイを思い出した。自らの被災体験を記した感動的な文章です。「災禍の後、災禍の前」はそのエッセイから生まれたものです。
その後、日本の雑誌「MONKEY」に「二度語られた話」を、イギリスの雑誌「Granta」に「戦争の後、戦争の前」をそれぞれ発表したことで、本格的に芥川に取り組もうと考えるようになりました。芥川はすっかりわたしに取り憑いて、本を書き上げるまで解放してくれそうになかったんです(笑)。

――誕生から早すぎる死まで、芥川の人生を切り取った12編。いずれも芥川作品の文体模写やパロディ、引用が無数に散りばめられ、現実と虚構が入り交じった世界を作りあげています。こうした実験的な手法をとった理由は?

 主人公がサッカーチームの監督なら試合を、刑事なら凶悪犯罪を描けるのですが、小説家の生活にそんなエキサイティングな場面はありません。一日中机に向かっていますからね(笑)。しかしその頭の中では、さまざまな出来事が起こっている。

 たとえば今日の午前中、わたしの意識は1949年に飛び、(次回作のモチーフである)「下山事件」の起こった現場を歩きまわっていました。小説家を物語の主人公にするなら、現実に起こったことだけではなく、イマジネーションの世界で何が起こっていたかも書く必要があるんです。

――「地獄変の屏風」という短編でピースさんは、芥川の周囲に「無辺の闇と孤独」が押し寄せる、という表現をしています。芥川の人生につきまとったこの「闇」の正体は、一体何だとお考えですか?

 芥川が生まれてすぐ、母親が精神病を発症しています。この事実が彼の人生に暗い影を落としたのだと思いますね。自分も母親のようになるという恐怖から逃げこんだ先が、本の世界だったのでしょう。しかし、本で知る世界は誰かが作りあげたもので、現実とは異なります。そのギャップもまた、彼を悩ませる結果になった。

 傑出した作家を作りあげるのは、並外れた強迫観念ではないでしょうか。芥川が愛読したポーやボードレール、そして芥川自身もまさにそういうタイプでした。そのことは作家としてプラスに作用しても、芥川自身や周囲の人たちを深く傷つけることにもなりました。

――長崎への旅を題材にした「黄いろい基督」「悪魔祓い師たち」や、最晩年の心境に迫った「基督の幽霊たち」では、芥川とキリスト教の関係が取りあげられていますね。悩み多き芥川にとって、キリスト教は救いとなったのでしょうか。

 それはとても重要な質問です。芥川は当初、キリスト教の芸術的でエキゾチックな側面に惹きつけられていました。「黄いろい基督」はその時期を書いたものです。しかしその後、キリスト教は日本には適さないと拒絶するようになる。

 最晩年に芥川は「西方の人」というエッセイを書いていますが、そこに書かれているキリストは芥川自身と重なる、神を信じられない人間です。これはわたしから見ると、致命的な誤解のように思えます。芥川の人生にとっても、このキリスト教への誤解は不幸なものでした。

 夏目漱石は『行人』で「死ぬか、気が違うか、それでなければ宗教に入るか。僕達の前途にはこの三つのものしかない」と書いていますが、芥川の人生は、その3つの道のせめぎ合いだったのではないでしょうか。

――「二度語られた話」では、芥川の分身的キャラクター・堀川保吉が、芥川の生活圏内に登場してきます。ドッペルゲンガー(分身)の不気味さを扱ったホラー、ないしは幻想小説としても読めますね。

 分身譚はドストエフスキーやポー、芥川や谷崎潤一郎など、多くの作家が手がけています。わたしはミステリーのつもりで書いたのですが、なるほど、ホラーや幻想小説としても読めるでしょうね。

 生活と芸術のはざまで芥川は自我の分裂に苦しめられ、それが堀川保吉というキャラクターを生み出しました。こうした精神のあり方は、極めてモダンであるといえます。現代人は誰しも複数の自我を持っていて、シーンによって使い分けていますから。少なくともわたしは芥川の苦悩に共感できますし、多くの読者もそうではないかと思います。

――「河童」を下敷きにした「『河童聖人』」は、語りのテクニックに幻惑される作品。小説の中に小説があり、その中にまた小説があり……という多重構造は、奇書として名高い夢野久作の『ドグラ・マグラ』を連想させます。

 夢野久作の『ドグラ・マグラ』はフランス語版で読んでいるので、無意識的な影響があったかもしれませんね。「『河童聖人』」で意識していたのはボルヘスの作品。フィクションに捕らえられて、抜け出せなくなるような感覚を狙ったものです。そもそも芥川の「河童」自体、精神病院に入院している患者が河童国について語る、という多重構造をとっているので、それに倣ったところもあります。

 ちなみに「河童」は、芥川の最高傑作だと思います。アナトール・フランスのような政治風刺と、幻滅した作家の内面が、あれだけの長さに収まっているのは見事です。死を意識した芥川にとって、書かずにはいられない小説だったのでしょう。

――先人の作品に刺激を受けて、新たな文学を作り出す。そんなピースさんの執筆姿勢は、芥川と似ているような気がしますが……。

 似ていると思います。わたしも幼い頃から本が好きで、そのうちに自然とオリジナルの物語を書くようになりました。芥川が本の世界に魅せられてゆく「本の家」という章(「地獄変の屏風」)は、書いていて気持ちがよく分かりましたね。

 芥川は日本や中国の古典を、近代的な視点でリライトする手法を得意としました。わたしも『Xと云う患者』を書くにあたり、フィクションから新たなフィクションを作るという芥川の手法を踏襲しています。

 イギリスでこの本を刊行した際に、「これは芥川の剽窃でオリジナリティがない」という書評が出ました。芥川もまさに生前こうした批評を浴びていたので、わたしは誉め言葉だと受け取っていますね(笑)。

――芥川がなぜ自ら命を絶ったのか。その謎を解くことはできましたか?

 いいえ。人が死を選ぶ理由について、他人が理解することは不可能でしょう。それは決して答えの出ない問いなのだと思います。

――『Xと云う患者』を執筆したことで、芥川の見方に変化はありましたか?

 それほど大きくは変わりませんね。この作品を書くことで、わたしは自分に取り憑いていた芥川龍之介という存在を、作品として昇華しようとしました。強いて変化した点をあげるなら、わたしと芥川との関係が穏やかになった、ということでしょうか。

 以前は「河童」以降の作品がもう読めないことについて、怒りを覚えていたのですが、今は彼がちょっと身近な存在になりました。傲慢な言い方に聞こえるかもしれませんが、芥川もわたしが『Xと云う患者』を書いたことを、喜んでくれている気がするんです。