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フルポン村上の俳句修行 芸人と俳人、下北沢の夜

文:加藤千絵、写真:樋口涼

 『芸人と俳人』は、堀本さんが又吉さんに俳句を教えた入門書です。昨年1月には「蒼海」という結社も立ち上げた堀本さんが目指すのは、「蒼海の一粟(いちぞく)の上(え)や鳥渡る」の一句に表される俳句。「海原の中に一粒の粟が漂っている、それって俯瞰すると絶対見えないですよね。でも宇宙における人間ってそういうちっぽけで、淡く儚い存在。それを自覚しながら、自然を謙虚にとらえて俳句を作っていきたいなと思っています」

 小説を書きたいと思っていた大学2年生の時、サークルに入ったのが俳句との出会い。「芥川とか漱石とか鏡花とか、だいたい昔の文人は俳句を詠んでたので俳句をやれば散文も磨かれるんじゃないかなと」。しかし角川春樹さんの結社「河」に入り、編集長になって真剣に俳句に向き合うと、その魅力が分かったと言います。「すごく省略された中に、凝縮された思いとか風景とかが否応なく詰まってるんです。小説は時間をかけて読んでもらわないと相手に伝わらないけど、俳句って十七音をつぶやくだけで、相手の胸に届きやすい。十七音の言葉の矢をピッと放って一瞬にして心に刺さる、言葉の矢の伝わり方の速さ。速いだけじゃなくて、味わうごとに表している世界の深さが伝わる。そこもやっぱりすごい魅力だと思います」

 そんな堀本さんが主宰する「たんぽぽ句会」は、平日の午後8時スタートで、東京・下北沢のカフェで食事もできるという、仕事帰りでも気軽に立ち寄れるスタイルです。参加はウェブで申し込み、毎回、満員御礼の人気ぶり。事前に宿題のお題(兼題)を出して投句してもらい、当日それをまとめた用紙を配ります。今回のお題は、路上などで水が遠くにあるように見えて、近づくとまた遠ざかってしまう現象「逃げ水」と、桜の咲くころに急に冷え込む「花冷(はなびえ)」と自由題。提出は3~5句で、村上さんは5句提出しました。(原文ママ)

  • 花冷えのシンクにひとつマグカップ
  • 染みは消えまだ濡れている春の服
  • トンネルの狭き歩道や暮の春
  • 逃水やポケットに霊丸(れいがん)の指
  • 消去法で笑って窓の花吹雪

 この日は堀本さんと村上さんを含めた参加者22人がそれぞれ特選1句を含む5句を選び、披講するところからスタート。堀本さんの選には入りませんでしたが、参加者の人気を集めた句のひとつは、朋代さんの「花冷や剝がされてゆく掲示物」でした。

五七:私が感じたのは、ちょうどこの時期なんで選挙ポスター。掲示物で伝えたいことが伝えきれたのか、伝えられないで終わったのか。そんな状況と「花冷」にすごくマッチを感じました。

堀本:いい解釈ですね。これ、村上さんも佳作で取られていましたか?

村上:あんまり人の句が分からないんで、「なんかいいな」でしか選ばないんですけど・・・・・・。

一同:(爆笑)

村上:でも掲示物が剝がされていくっていう感傷みたいなもの、掲示物に興味ないけど剝がされるとようやく自分の考えが向く、っていう。その感じが「花冷」っていう春だけど少し寒いっていう季語と合うなと思いました。

堀本:なるほど、いい解釈ですね。作者に聞いてみようか。

朋代:ありがとうございます! 幼稚園で働いてるんですけど、花冷えの頃に自分でいっぱい(掲示物を)剝がしたんですよ。ちょうど3月末とか春休み中とか掲示板がいっぱいだったんだけど、期限が過ぎて剝がしていきながら「花冷えだな」と思って作りました。

堀本:聞いてるといい句に聞こえてきたなあ。やっぱり佳作にします(笑)。

朋代:やったー!(笑) ありがとうございます。

 堀本さんの句会の特徴は、句を作った本人に作品を解説してもらうこと。読み手の解釈にゆだねる俳句の世界ではヤボだと言われますが、「作った本人からしたらめちゃめちゃ気持ちを込めて作ってるので」と堀本さん。これには村上さんも「すごくいいと思います。だって言いたいですもん!」と大賛成。というのも、今回は「逃水やポケットに霊丸の指」の「霊丸」、「消去法で笑って窓の花吹雪」の「消去法で笑って」などの意味が理解されず、なかなかの苦戦で――。

村上:霊丸って、『幽☆遊☆白書』という漫画の主人公の必殺技があって、その時に指で銃をつくるようにするんですけど、男の子とかって大人になってもいまだに何か漫画の必殺技を出せるんじゃないかと思うじゃないですか。まあ出せないんですけど、僕はやるんですよ。ポケットの中だけでちょっとこう、霊丸の指を。それやってると、世界から切り離されて主人公になれた気持ちになれるんですよ。それが逃げ水という幻想的なものと合うかな、っていう感じで作ったんですけど。

堀本:ほんと、男の子ですねえ(笑)。僕ね、ジョジョ句会っていうのをやったことあるんです。それは『ジョジョの奇妙な冒険』が25周年を迎えた時に、何人かで集まってジョジョを題材にして句会をやったんです。特殊なある種の用語っていうのは、その世界を知らないとなかなか通じないから、「幽☆遊☆白書句会」だったらこの句は特選かもしれない。

一同:(笑)

村上:そうですね。歴史的な用語は許されているのに、漫画とか、現代のものは許されないのはちょっと癪だなと思ってるんです。「消去法で笑って窓の花吹雪」は「消去法で笑って」だけが言いたかったんですよ。

一同:(笑)

堀本:どういうことですか?

村上:人に何か言われたときに、怒るでも悲しむでもなく笑うしかないときもあるな、と思ったんですよ。そういう笑顔もあるな、って。「消去法で笑う」ということがすごい気に入っちゃって。ごまかしてるのか合わせて笑ってるのか、判断は任せる感じですけど、それだけが言いたいからあとはとってつけた何かっていう。それが桜であれば場違いな美しさだったんですが、自分でもどうかなとは思いましたけど。

堀本:今お話を聞いて情景が分かりましたね。なるほど、おもしろい句ですね。

 又吉さんと本を出しているからか、堀本さんの句会にはお笑いが好きな人や、「プレバト!!」を見て句会に参加したいと思った人が多く、あいさつ句がたくさん投句されたり、村上さんが発言するたびに笑いが起きたりして終始なごやかな雰囲気でした。しかし結局、村上さんの句で選ばれたのは、堀本さんの佳作になった「トンネルの狭き歩道や暮の春」と、秀逸になった「花冷えのシンクにひとつマグカップ」のみ。「みなさんが僕の句を取ってくれなかったことだけは忘れないでいようと思います!」と村上さんが毒を吐いてもうひと笑い誘ったところで、句会はお開きとなりました。

「芸人と俳人」~村上健志×堀本裕樹バージョン~

――村上さんの句の印象はどうでしたか?

堀本:佳作に選んだ「トンネル」の句は、「狭き歩道」の発見がよかったですね。晩春のちょっと孤独な旅人が、トンネルの中の歩道を黙々と歩いている姿が見えてきました。「シンク」の句は一番整っていて、一人暮らしのさびしさみたいなのを感じたんですね。シンクにマグカップがぽんと一つ置いてある。まだ洗ってない感じがあって、そこにすごく寂しさを感じて。シンクとマグカップって外来語が二つ入ってくると散らかったりするんだけど、1句の中でよく収めたなと思いました。流しじゃなくてシンクの方が花冷えの「冷え」が伝わってくる感じがするし。そのへんの言葉の気遣いっていうのも感じましたね。

村上:僕も一人暮らしですけど、台所って家族の中ではむちゃくちゃ温かい象徴なのに、だからこそ一人暮らしになった瞬間に「なにこれ」って言うくらいさみしいものに変わるっていう。「マグカップ」が自分の中では迷いました。同棲してた人が一人いなくなった感みたいなのもある、そうすると言い過ぎてる感もあると思いながらも、って感じでしたね。

堀本:ほかに候補はあったんですか?

村上:言葉がきれいじゃないんですけど、カップヌードルの容器とか。あとは、考えるのをあきらめちゃったんですけど、恋をにおわせるのであればイニシャルが入っている茶碗的なこととか、一緒に作りにいったとか。それは俳句では収められないので、短歌的な感覚ではあるんですけど。

堀本:今のお話を聞いて、やっぱりマグカップがしっくりくるような気がしましたね。イニシャルが入ったのは、短歌に回された方が落ち着くと思いますね。

――この連載では先生にアドバイスをいただいているのですが、村上さんがステップアップするために何かありますか?

堀本:そんな偉そうなことは言えないですけど(笑)。逆に村上さんがどういう句を作っていきたいとか、こういう風に磨きたいとかありますか?

村上:何度か句会に参加してきて、俳句に限らず、短歌も詩とかもいろんな人がおもしろいかもな、と思える世界観がいいなと思うんです。そういう時に、今回「霊丸」とか「消去法で笑って」とかが俳句としてそんなによくないなっていうのは分かるんですけど、でもああいう句を公式の場で出していって、いつかそのちょうどいいバランスのところに行き着けたらな、っていう風には思います。

 短歌では主観というか、感覚的なものがかなり許されると思うんですけど、俳句だとすごくむずかしいなって思っちゃうんです。自転車の句(花冷えの夜に自転車のよこたはる 由希)で先生も今日、「なんで花冷えの夜に自転車が横たわっているのか一切述べられていないけど、そこを想像して読み手が物語を作っていく楽しさがある」っておっしゃってましたけど、物語が広がるおもしろさがあるから、きれいなだけじゃないものが入れ込めないかな、って思ってるんです。

堀本:そこが村上さんの挑戦ですね。いいバランスで、いい感覚で落ち着いて表現できるようになれば、それが村上さんの句になってくるから。村上さんの攻めていく姿勢、俳句でここを詠めたらかっこいいのに、また別の広がりができるのに、そこを今お話を聞いて目指してほしいなと思いました。

――「きれいなだけじゃないもの」を詠みたいと思う理由は?

村上:もともと短歌から入ってるからだと思うんですけど、「僕の周りは美しいだけですよ」って世界は誰のことも引きつけられないじゃないですか。この人にはこんな弱さもあるとか、醜い部分があることを露呈していくから、人は「この人の話なら聞いてみたい」と思うのが小説や短歌にはあるなと思うし、だから僕は好きなんですけど、俳句にもあると思うんですよ。人が見過ごしてしまうものとか、少し斜めから見ることに詩があるっていうか。マイナスって意味ではなく、影があるって意味ではなく、例えば葉の裏側を見るって普通の人にはない感覚を俳句が広げてくれるわけじゃないですか。俳句を目指して、美しい世界をなぞってるだけって少しさみしいじゃないですか。若者がもっと俳句に来るには少しそういう影っぽいのがある方が僕は魅力だな、って思っちゃうかな。

堀本:もともと和歌っていうのは雅なものだったんですね。でも俳句っていうのは、昔は俳諧って言ってたんだけど、俳諧は和歌の、雅なものに対する鄙びであり反措定で生まれたようなところがある。だから「聖と俗」でいったら俗の特性の方が強いんですよ。でも、なぜか知らないけど、俳句を知らない人に「作ってみませんか」って言うと、「いやいや私なんかそんな雅な世界は詠めないですから。そんな素養ないですから」って言う人がほとんどなんです。

 そうじゃないですよ、と。俳句っていうのはもっといろんなものを飲み込んで、いろんなことを詠んでいいんだと。だから今日、糞って言葉が出てきたでしょ(血と糞とポマード匂ふ闘鶏師 五七、堀本さんの特選)。もし俳句が美しいだけの世界だったら、絶対糞なんてのは詠んじゃダメなんですよ。でも全然詠んでいい。だからいろんな言葉を取り込んで、その人の俳句にしていけばいいと思います。村上さんだったら村上さんの句に、詩にしていくっていうのは、すごくいいことだと思うし、それを見た俳句を知らない若い人が、こんな詠み方もある、俳句ってこんな広がりもあるっていうのでおもしろがる人が増えるかもしれない。そういう世界の広がり方って僕はとてもいいなと思います。だから村上さんのその挑戦は続けてほしいですね。

【俳句修行は次回に続きます!】