- 澤田瞳子『落花』(中央公論新社)
- 武川佑『落梅の賦』(講談社)
- 上田早夕里『リラと戦禍の風』(KADOKAWA)
澤田瞳子『落花(らっか)』は、南都焼き討(う)ちから始まる『龍華記(りゅうかき)』と同じく、戦争を背景にしている。
節を付け経典を歌う梵唄(ぼんばい)が得意な寛朝(かんちょう)は、豊原是緒(とよはらのこれお)の教えを受けるため、楽器の腕を出世につなげたいと考えている千歳らを供に東国へ向かう。そこで寛朝は、平将門の乱に巻き込まれていく。
本書は戦争と音楽を対比させているが、戦争を悪、文化を善とする単純な物語にはなっていない。
目的のためなら手段を選ばない千歳が事態を悪化させる展開は、野心や業が肥大化すれば、文化さえも争乱の火種になる現実を描いているように思えた。その一方で著者は、人の命を奪う戦争の音に心ならずも感動してしまう寛朝を通して、争いの中にそれを浄化する要素があることも指摘して見せる。戦争を抑止したり、終結させたりするために、文化には何ができるのかを問うテーマは重い。
甲斐の武田家の基礎を築いた信虎を描く『虎の牙』でデビューした武川佑の第2作『落梅の賦(ふ)』は、信玄の異母弟・信友(のぶとも)、一門衆の穴山信君(あなやまのぶただ)(梅雪〈ばいせつ〉)を軸に、武田家の滅亡までを追っている。甲斐は山国で、武田家は騎馬隊の印象も強い。ところが本書の冒頭には、武田と北条との海戦が置かれているのだ。武田家転落の契機とされる長篠の合戦も、従来とは解釈が異なっており、独創的な着眼点には驚かされるのではないか。
著者は、人の心を傷付ける過酷な環境や、命令の問題点に気付いた人間を認めず抑圧する硬直化した体制が、武田家滅亡の遠因になったとする。これは現代の組織でも起こりうるだけに、身につまされる読者も少なくないだろう。
『破滅の王』が直木賞候補になった上田早夕里(さゆり)の『リラと戦禍の風』は、歴史小説、政治ドラマ、スパイもの、ファンタジーなどが一体となった壮大な物語である。
第1次世界大戦の西部戦線で負傷したドイツ軍兵士イェルクの精神は、特殊な能力を持つ伯爵に呼び寄せられ、仮の肉体に入れられた。伯爵にポーランド人の少女リラの護衛を頼まれたイェルクは、時空を超えた冒険の旅に出る。
物語が進むと、祖国を蹂躙(じゅうりん)され仲間を殺された歴史の怨念、経済的に豊かになりたいという飽くなき欲望、敵国の兵士にも自分と同じように家族や友人がいるという想像力の欠如が、戦争の原因になっていることが明らかになる。
人類は、戦争を生み拡大する負の連鎖を断ち切れるのかを突き付けたラストは、考えさせられる。=朝日新聞2019年5月12日掲載