- 谷崎由依『遠の眠りの』(集英社)
- 三浦雅士『石坂洋次郎の逆襲』(講談社)
- 久世番子『よちよち文藝部 世界文學篇』(文芸春秋)
一般に、現代文学と歴史小説は相性が悪い。あつかう時代がちがうからではない。手法が正反対なのだ。なるべく人物の心理を精密確実に定着させようとする前者の手法と、なるべく人物の行動をダイナミックに印象づけようとする後者の手法。
その折り合わないものを折り合わせる果敢なこころみが谷崎由依『遠の眠りの』だ。時代は大正昭和期であり(この点では歴史小説)、その文章はかなりの部分において主人公・絵子の心理の描写ないし叙述にさかれる(この点では現代文学)。ほかでは得られぬ読みごこち。
ストーリーの前半は一種の出世譚(しゅっせたん)で、絵子という福井の農家の娘が人絹(じんけん)(人造絹糸)工場の女工になり、百貨店の食堂の給仕になり、少女歌劇団の脚本家となる。出世の理由を「本が読めるから」一点にしぼった設定はユニークだし、歴史的にも正しい。
絵子の出世とは、近代へ参加した者の出世なのだ。他人との会話では素朴な福井弁を使い、内心では複雑な標準語をあやつる彼女の言語生活は、この設定にいっそうの説得力をあたえている。現代の私たちも絵子かもしれない。
三浦雅士『石坂洋次郎の逆襲』は長篇(ちょうへん)評論の本ながら、これまた女性の物語である。石坂洋次郎という1950年代、60年代に絶大な大衆的人気を博した作家の本質を、著者は「女を主体として描く」ところに見るからである。代表作『青い山脈』でもそうだったし、戦前の出世作『若い人』でもそうだった。
著者はそこに「母系制の神話」を見る。バッハオーフェンの援用もいいが、ことに石坂の故郷・弘前での女たちの生活のたくましさを想起する筆致の熱っぽさときたら。やっぱり文芸評論はおもしろい。
3冊目も一種の文芸評論といえるだろう。久世番子のコミックエッセイ『よちよち文藝部 世界文學篇(ぶんがくへん)』は「小説の中の外国人(カタカナ)名前が覚えられない」著者の食わずぎらい克服記。
『老人と海』『高慢と偏見』等、いわゆる王道の作品をあつかうが、ドストエフスキーの訳者である「圧倒的海外文学強者」亀山郁夫氏に話を聞いて「先にあらすじを読めばいい」の一句を引き出したあたり、じつは古典主義の基本をさりげなく伝えている。
前作は「日本文學篇」だった。次はぜひ「中国文學篇」をお願いします。=朝日新聞2020年3月8日掲載