真っ暗闇の撮影や、静寂の録音は不可能だ。録音テープを聞いただけでは、「何もない」と「無音の物体が実在する」を区別することはできない。これと同様に、光を出さないとされるブラックホールの写真撮影などできるはずはなさそうだ。
その不可能な偉業を成し遂げたのが、17の国・地域からなるEHT(事象の地平線望遠鏡)研究チーム。世界中の電波望遠鏡8台を繫(つな)いで地球サイズの一つの望遠鏡とすることで、約5千万光年先の楕円(だえん)銀河M87の中心にある太陽の60億倍もの質量の巨大ブラックホールを観測した。
分野越え共同で
4月10日に公開された画像の中心部には、ドーナッツ状の光に包まれた文字通りブラックホールの「黒い穴」が空いている。これこそ「後光」を受けたブラックホールの「影」の姿なのである。
この穴の見かけの大きさは、大阪にある髪の毛の断面を東京からみた場合とほぼ同じ。かくも驚異的な視力に対応する画像は、すでに芸術作品の域に達している。日本チームの代表である本間希樹さんを始めとする天文学者グループと情報科学者の池田思朗さん達の、分野を越えた共同研究が、EHTの成功に果たした貢献は大きい。
本間さんが著した『巨大ブラックホールの謎』は、巨大ブラックホールを縦糸として、一般相対論、電波天文学、さらにEHTプロジェクトまでを、わかり易(やす)くまとめた好著。今回の画像の科学的理解のみならず、それに至る科学者の芸術性まで味わいたい方には一押しだ。
意外なことに、ブラックホールは質量が大きくなるほど安全になる。太陽質量のブラックホールに近づくと確実に死んでしまうが、EHTの撮影した60億倍太陽質量ブラックホールの場合、仮にその「穴」に入り込んだとしてもすぐには気がつかないだろう。
この視点から書かれたのが『ブラックホールに近づいたらどうなるか?』。タイトルからわかるように、ブラックホール観光ツアーの疑似体験を通じて、その性質を説明するスタイルなので、楽しみながら読める。
ミクロな世界も
上記2冊は、天文学的視点でのブラックホール入門書であるが、最後の『ブラックホール戦争』は、ブラックホールが理論物理学の進歩にどのような役割を果たしたかに焦点を絞った相補的な解説書である。
正直に言えば、この本は買ったことすら覚えていないまま、ほぼ10年間、私の部屋の本棚に埋もれたままだった。今回の書評の依頼を受け、ふと思い出して読み始めたところ、その面白さに引き込まれ、500ページを超える分厚さにもかかわらず一気に読み終えてしまった。
著者が20年以上にわたって悩まされたのは「ブラックホールの中に落ち込んだ情報は消え去ってしまうのか」という疑問。
車椅子の天才として知られるホーキングは「量子論によればブラックホールは完全なブラックではなく、そこからは光が放射される」という衝撃的な発見をした張本人である。しかし彼は、ブラックホールからの光は情報を持たないと結論した。
情報はブラックホールに落ち込んだとしても保存されると確信する著者は、長い論争の末、世界の万物は「紐(ひも)」から構成されるとする「超ひも理論」に基づいて、ホーキングが間違っていたことを明らかにした。
このように、ブラックホールは、一般相対論や天文学といったマクロな世界のみならず、それとは真逆(まぎゃく)の極限であるはずのミクロな世界の理解の革命にも重要な役割を果たしている。
これら3冊をひもとけば、単なる「黒い穴」にとどまらないブラックホールの魅力を存分に堪能して頂けるに違いない。=朝日新聞2019年5月25日掲載