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大衆が求めた、もう一つの鉱脈 尾崎紅葉「金色夜叉」

おざき・こうよう(1867~1903)。作家。

平田オリザが読む

 この連載をお引き受けする際に悩んだことがある。「百名山」と言うからには「名作」を選ばなければならないのか?
 深田久弥氏は名著『日本百名山』を執筆するにあたって、その選定基準を以下のように分類している。「品格」「歴史」「個性」。標高や山容は、たしかに山の価値を決める大切な基準だが、それだけでは面白くない。歴史的に外せない山もあるし、低くても別の魅力のある山もある。この連載も、そのような方針で臨みたいと考えた。
 さて、鴎外が『舞姫』を書き、一葉が短い生涯を閉じた十九世紀末、多くの若者たちが「文学とは何か?」「日本語で新しい文学は可能か?」と煩悶(はんもん)苦悩していたときに、日本文学には、もう一つ、大きな潮流が起こっていた。いまで言う「大衆文学」の路線である。
 『金色夜叉』はその代表作で、新聞連載中から話題となり、後に何度も映画化された。現代の読者の皆さんは、「来年の今月今夜、再来年の今月今夜、10年後の今月今夜のこの月を、僕の悔し涙で曇らせて見せる」という台詞(せりふ)で記憶している方も多いだろう(原文は少し異なる)。
 私たち演劇人からすると、つかこうへいさんの名作『熱海殺人事件』も、この『金色夜叉』がなければ生まれなかったはずで、その影響は計り知れない。
 主人公は高等中学校のエリート学生である間貫一。彼は許嫁(いいなずけ)のお宮が金に目がくらんで富豪の息子のところに嫁ぐと聞いて激怒する。先の台詞は、その別れの場面。芝居では熱海の海岸で貫一がお宮を足蹴にしながら吐く口上だ。その後、貫一は学業を捨て金の亡者となって世間に復讐(ふくしゅう)を果たそうとする。
 いま読むと物語の展開はご都合主義のそしりを免れず、作者が途中で亡くなって未完なことからも「不朽の名作」とは言いがたい。だが、作品の歴史的意義は大きい。明治の文学青年たちの苦悩とは別に、日本文学は一つの鉱脈を発見した。それは、小説はうまくやれば、「売れる」という発見だった。=朝日新聞2019年6月1日掲載