自惚れ鏡
私の筆名、高田ほのか。よく、「本名ですか?」「本名じゃないなら、どうやってつけたのですか?」「もっとかっこいい名前にしたらよかったのに~」などといわれる。いつもなんやかんやはぐらかしてきた。
今回取り上げる少女漫画は『恋愛カタログ』(通称恋カタ)。ここまでいえば、恋カタファンはすでにお気づきだろう。わたしの名字、“高田”は恋カタに登場する高田修二から名付けたのだ。小学生のころ、『天使なんかじゃない』『ご近所物語』『NANA』などで知られる矢沢あい先生は名字“矢沢”を、敬愛する矢沢永吉からとったと知り、(わたしもペンネームをつけるような職につけたらそんな風に名付けよう!!)と決めていたのだ。社会人になり短歌の賞に応募する際、“筆名”という欄があり、迷わず高田と書いた。若気のいたりをあえて貫くことで、少女マンガの神様がその世界に導いてくれる、という変な確信があったのかもしれない。
ちなみに、拙書『ライナスの毛布』(書肆侃侃房)の表題作「メリーゴーゴーラウンド」に登場するミカ、シュウ、ユウの名前も恋カタの登場人物から借りた。この110首からなる連作は、少女マンガのように「こことあそこの短歌が繋がっていたのか!」という驚きや、読者に何度も読み返してほしくて、心の葛藤を男女交互にかけ合わせたりと、新しいレトリックをたくさん用いている。
永田正実『恋愛カタログ』は、まさにわたしの青春の代名詞といえる少女漫画だ。中学一年生のときに連載が始まり、1話目からその絵のかわいさ、日常をリアルにほのぼの描くストーリーの虜になった。
手鏡で前髪ちいさく整える 耳奥でひらく冬のルクリア
主人公の実果と相手役の高田君が結ばれたのはなんと単行本20巻目。上記の短歌はその直後、実果が鏡をみつめるワンシーンだ。ルクリアは冬に咲くちいさなピンク色の花の名前で、花言葉は「清純な心」。少女マンガでは登場人物の背景にそのときの心情やそのキャラクターを象徴する花が描かれることが多く、その世界で〝花を背負う〟と呼ばれる。ルクリアは実果にぴったりの花。その花を使い、恋人と結ばれた幸福感を「耳奥でひらく」と表現した。
色とりどりの恋模様を丁寧に描き続け、必ず盛り上がる鉄板ネタは引き延ばしてる感をまったく与えなかった。そして、主人公の純粋性が最も活きる形で着地させた作者の力量には感服せざるをえない。
「帰りたくなかったから嘘ついただけだもん」
きゅーん。
マンガのあとがきなどで作者が他の漫画家さんについて触れていると、(おお、この漫画家さんと仲良かったったんだ!)と意外な交友関係を知れたりして楽しい。恋カタは少女マンガとしてはかなり長い34巻(連載期間12年)で完結。34巻の巻末では、いろんな漫画家さんが永田先生に称賛とねぎらいの言葉、そして恋カタに対する熱い想いを書いており、(どんだけ愛されてたんだよ…!)と泣けてくる。
キャラクターの年齢が1歳上がる毎に自分も共に大人になっていく感覚。恋カタはわたしが中学一年生のときに連載が始まった。そこから歩幅を合わせ、12年間も一緒に歩んでくれた。これも、永田先生がほぼ休まれることなく連載を続けてくださったからこそ味わえた感覚だ。
12年という歳月は先生自身の考え方や感じ方も自然と変えていったそうで、実果や高田くんも、こんなキャラでよかったか…?と悩むこともあったそう。マンガだけを読んでいると忘れがちになるが、(そうだよなあ、先生自身にも時は流れてるんだよなぁ)と、長期連載ならではの苦労の欠片を知った。
「鏡」という言葉で思い出す出来事がある。
中学1年生の夏、家族で旅行にいったときのこと。靴を脱いで旅館の部屋に上がる。畳の感触が気持ちいい。窓際の広縁で外の景色を眺めたり、ちいさな冷蔵庫をあけて、(ふむふむ、オレンジジュースか。夜はこれを飲もう)と勝手に決めたり、押し入れを開けて無意味に布団を確認したり。
洗面所は…と見回し、ふと鏡をみると、なんかいつもよりかわいく見える!驚いたわたしは、妹にも自分の顔を見てみよ、と洗面台の鏡の前まで連れていった。「どう?!いつもよりかわいく見えへん?」と聞くと、しばらく見つめて「いつもと同じやん」という。そうか、わたしだけの錯覚(?)か…と洗面の電気を消そうと指をのばしたとき、和室から「俺もさっき見たときそう思ったぞ」という父の声が。えっお父さんが?!普段あまり会話のない父が言ったということに驚き、以外な人物の同意によりテンションが上がった。
父は洗面台にやってきて、鏡のなかの自分を見つめながら「うん。これは自惚れ鏡やな」といった。自惚れ鏡…なかなかうまいこというやんと思いつつ、鏡のなかの父とニヤッと見つめ合った。