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道尾秀介さんが顔をしかめながらも好きだった「製紙工場の煙」 〝働く大人〟の姿、思い描いた

 東京都北区、王子の町で育ったので、王子製紙の工場から立ちのぼる白い煙をしょっちゅう眺めていた。あの煙には独特のにおいがあり、さほど刺激的ではないが、鼻の奥まで届き、物理的ダメージよりも心理的ダメージのほうが大きく、はっきり言えばおならにそっくりなにおいだった。いまの製紙工場には臭気を抑える技術が取り入れられているようだけど、当時は風向きによって僕たちの校庭に煙が届くと、「こいただろ」「お前がこいただろ」と、それぞれ仲良しの相手とのお決まりのやりとりが行われたものだ。馬鹿馬鹿しいけど楽しい時間だった。だから僕も、たぶんみんなも、顔をしかめながらも本当はあの煙が好きだった。

 あれは忘れもしない小学三年生のとき。
 珍しくはっきりと憶えている。給食の前だったから、四時間目。体育の時間に先生がポートボールの説明をしているのを聞き流しながら、僕は煙突の煙を眺めていた。眺めながら、働く大人のことを思った。あの煙の真下では、たくさんの大人が働いているのだなあ。あんなにおいの中心で働くのはさぞ大変だろうなあ。そしてふと思った。自分もいつか大人になって働くんだなあ――。
 そんなことを考えたのは、じつのところ初めてだった。当時はいつも、その日のことで頭がいっぱいで、なんというか、自分は小学生として生まれ、ずっと小学生でいるというような、いま思えばかなりSFじみた世界観の中で生きていたのだ。たぶん馬鹿だったのだろう。
 子供時代は〝働いている大人〟を見ることがほとんどなかった。父親が家にいるのは働いていないときだし、母親がやっていた刺繍が内職だと知ったのはあとになってからだったし、先生は先生だし、八百屋さんも魚屋さんもスーパーの店員さんも、〝そういう人〟という認識しかなかった。申し訳ないけれど、働いているという発想がぜんぜんなかったのだ。なのに製紙工場の煙を見て〝働く大人〟を思い、自分の将来のことまで想像したのは、きっとその人たちの姿を一度もこの目で見たことがなかったからだろう。これはたとえば、普段から接している友人知人に対しては〝そういう人〟と決めてかかるくせに、実際の姿を見ることがない小説の登場人物に関しては、その人の人格や心理などをあれこれ細かく想像するのに似ているかもしれない。

 と、ここまで書いたところで、なんとなく王子製紙のことを調べてみた。
 すると驚いたことに、王子製紙は王子に工場を持っていなかった。いや昔はあったのだが、会社が分裂した際、十條製紙がその工場を引き継いだらしい。
 いつも友達と「王子製紙の工場がさあ」と言い合っていたのは、どうやら僕たち共通の勘違いだったようだ。何だ、あれは十條製紙の工場だったのかと、冒頭からの記述を書き改めようとして、その前にもうちょっとだけ工場のことを調べてみた。すると、また驚いた。十條製紙が引き継いだというその工場は、僕が生まれる二年も前に閉鎖されていたのだ。
 僕たちが眺めていたあの煙は、いったい何だったのだろう。
 僕が最初に思い描いた〝働く大人〟は、どこの誰だったのだろう。

 インターネットのおかげで調べ物が楽になったので、たぶんこの疑問の答えも、知ろうと思えば簡単に知ることができる。でも、わかってしまうと子供時代の記憶の一部が塗り替えられてしまう気がする。過去(むかし)の自分が現在(いま)の自分に小説を書かせているという思いがあるので、迷った末、調べるのはやめておくことにした。仕事に変な影響が出てしまってはまずい。――と、こんな上手な対処ができるようになったのも、あの日、体育の時間に想像したとおり、自分が〝働く大人〟になったからなのだろう。
 時間は目に見えないから、本当に過ぎ去っているのかどうか、いつもよくわからない。でもこうして、過去と現在のことを書いてみると、急に実感がわいてしまう。
 なるほど、時間というのは、本当に経つものらしい。