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批判から諦念へ、戦争と政治の今 「気分はもう戦争3(だったかも知れない)」「銃座のウルナ」

 この4月なかば、朝日新聞朝刊に「漫画アクション」の全面広告がどーんと出て、度肝をぬかれました。矢作俊彦作・大友克洋画の『気分はもう戦争』の38年ぶりの新作。胸を高鳴らせながらページを開きましたが……。

 『気分はもう戦争』がマンガ誌で連載されたのは1980~81年。まだ米ソの冷戦時代で、この題名は良心的な反戦感情を逆撫(さかな)でしました。私は「危ねえなあ、このマンガ」と思いつつ、その面白さに魅せられました。
 中国とソ連の戦争が勃発したという設定ですが、そこには米国とソ連の裏取引があり、冷戦はもはや偽りの〈制度〉でしかない、という冷徹な認識があります。さらに、主人公の日本人青年2人は、この中ソ戦に義勇兵(!)として参加し、彼らを勧誘して米ソの裏をかこうと提案する日本の自衛隊の士官にこんな啖呵(たんか)を切るのです。

 「俺は好きこのんで戦争してるんだ あんたらと一緒にしねェでくれ!」
 これは、戦争という卑劣な政治の継続に対する痛烈な批判でした。

 新作「気分はもう戦争3(だったかも知れない)」では、主人公の日本人青年はともに初老となり、片方は、独立戦争中らしい沖縄で、中国と対峙(たいじ)する自衛隊にベトナム人らを傭兵(ようへい)として提供する人材派遣業者となり、もう片方は、東北地方が独立国家になった中国で、日本企業の誘致をおこなっています。国境が溶けた世界で、戦争は局地的緊張とテロだけになり、核ミサイルの炸裂(さくれつ)にも人はそんなに驚かなくなっている……。これはもはや完全な戦争のお笑い化です。40年前の『気分はもう戦争』の批判的緊張感はなく、投げやりな諦念(ていねん)さえ感じられます。

 当然のことでしょう。戦争のできる普通の国をめざすかのような現政権は、特定秘密保護法を成立させて戦争下の情報統制を狙い、集団的自衛権の行使容認を閣議で決定しました。「戦争しないとどうしようもなくないですか」という丸山穂高衆院議員の発言は、「気分はもう戦争」という周囲の空気をほとんどパロディになるほどの忠実さで映しだしたものかもしれません。

 それでも、戦争を国家統合の道具にしようとする政治への根源的批判を蔵した傑作マンガが、この3月に完結したことを言っておかねばなりません。
 伊図透(いずとおる)『銃座のウルナ』です。架空の国の戦争もので、ヒロイン・ウルナは優秀な狙撃兵。敵をたくさん殺して勲章を貰(もら)い、故郷に帰還するのですが……。後半の捻(ひね)りに心底驚愕(きょうがく)させられます。紛れもなく本年屈指の傑作です。=朝日新聞2019年6月12日掲載