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孤高の作家の知られざる幻想ミステリを集成 皆川博子さん「夜のアポロン」インタビュー

文:朝宮運河 写真:山田秀隆

「驚異的なクオリティ」の短編群

――『夜のアポロン』は1970年代、80年代に書かれた初期作品を中心に、これまで単行本未収録だった幻のミステリ16編を収めた短編集です。これらの短編が今日まで埋もれていたことに、まず驚きました。

 理由は単純で、本にしようという出版社がなかったんですよ。短編のオーダーはあちこちからいただいていたんですが、書いたらそれっきりで、短編集にまとめようという話にはならなかった。たぶん1冊目の短編集の『トマト・ゲーム』が、あまり売れなかったからだと思うんですけど。

――しかしいずれ劣らぬ名品揃い。本書の編者である日下三蔵さんの言葉を借りるなら「驚異的なクオリティ」の作品ばかりです。

 そうでしょうか。デビュー当時は何をどう書いていいのか分からなくて、ずっと手探り状態だったんですよ。素人の習作を雑誌に載せていただいて、原稿料までもらえるなんて申し訳ないことだなと思っていました。当時の編集者からは「毎号目次に名前が出ないことを恥ずかしいと思いなさい」と発破をかけられましたけど、とてもとてもそんな勇ましい気持ちにはなれなかったですね。

――皆川さんが小説現代新人賞を受賞してデビューされたのが1973年。当時は〈中間小説〉と呼ばれるエンターテインメント文芸の全盛期でしたね。

 あの頃の中間小説誌って、会社帰りにバーで一杯引っかけて帰ろう、という元気なサラリーマンが主な読者層で、わたしのような世間知らずの主婦が書いていいような場じゃなかったんですね。
 小説現代新人賞の選考会で、ある選考委員の先生が「この人は何も知らないで書いているね」とおっしゃったらしいんですが、後日それを聞いて、見抜かれちゃったなと思いました。わたしは女子大を中退してから、お見合い結婚をして、子どもが生まれてという当時の奥さんのお決まりのコースしか歩んでいない。お勤めすらしたことがないので、デビューしてから本当に困りました。社会勉強として時々飲みに連れていってもらいましたけど、わたしはお酒が一滴も飲めませんから、麦茶で雰囲気だけ味わって(笑)。

「家庭の主婦ということを忘れちゃだめ」と言われ

――本書の表題作「夜のアポロン」は、サーカス団の若いオートバイ乗りとダンサーの人生が交錯するサスペンスフルな恋愛ミステリです。どんな経緯で執筆された作品でしょうか。

 それがまったく覚えていないんです。これを表題作にしますという連絡をいただいても、内容が思い出せなくて。どうしてこんな小説を書いたんでしょうね。当時、4つ年下の弟がオートバイによく乗っていたので、初期はオートバイの話がいくつかあるんですね。ただサーカスのオートバイの曲乗りは、写真か何かで見たことがあるだけで、実際目にしたわけではないと思います。

――続く「兎狩り」は中年男性二人が若者を兎に見立てて〈狩る〉という犯罪小説。いかにも皆川さんらしいショッキングな短編だなと思いました。

 これがですか? イヤだあ(笑)。中年男性を見ていると、生き生きした若者に妬みを抱いているんじゃないかと思える瞬間があって、そこから想像を膨らませた作品です。
 書き始めた当初は自分のお嬢さん的なところをぶち壊したくて、あえてアンモラルな題材を取り上げるようにしていました。お行儀のいいものは、断じて書かないぞと。
 当時、主婦はこうあるべきという枠がかっちり決められていて、そこからはみ出すと後ろ指を指されてしまう時代でした。わたしも新人賞を受賞した直後、「家庭の主婦ということを忘れちゃだめだよ」と周りの人たちに何度も言われました。現実がそうだったからこそ余計に、小説ではアンモラルな世界を描きたくなったのかもしれません。

――女性視点のエロスを描いた作品も多数含まれていますね。湖畔での秘められた体験を描いた「サマー・キャンプ」、バレリーナが不実なダンサーに狂わされてゆく「はっぴい・えんど」などです。

 当時は官能シーンのある作品が求められていたんです。自分としては大の苦手で、できることなら書きたくなかったですね。一度ある雑誌で〈最初から最後までベッドを下りない小説〉の特集があって、わたしだけは病院のベッドを下りない話を書いてごまかしたことがあります(笑)。

赤江瀑さんがいたからやっていけた

――皆川さんと同時代、耽美的な作風で知られる赤江瀑さん(作家・1933~2012)も活躍されていました。赤江さんには影響を受けているそうですね。

 とても影響を受けています。当時の中間小説誌に載っているミステリって、現実に立脚した男女関係を描いたものがほとんどだったんです。でなければ社会派かトラベルもの。そこに赤江さんが颯爽とデビューされて、日常とかけ離れた世界を、きらきらした言葉で表現してくださった。こういう方がいるならわたしもなんとかやっていけるかもと感じられた、心の支えのような存在でした。
 赤江さんと同じようなものは書けませんけど、せめて恥ずかしくないものを書こうという気持ちはずっとありましたね。実際にはなかなか誉めていただけなかったですが、『トマト・ゲーム』に収録した「獣舎のスキャット」と「蜜の犬」はお気に召したみたい。倫理的に問題があるので、最初の文庫版からは省いた2編ですが、これはいいとおっしゃってね。

――今回個人的に心惹かれたのが、非行少女の更生施設を舞台に〈笛吹き男〉の噂を扱った「魔笛」という作品でした。本書に先だって刊行された幻想小説集『夜のリフレーン』(日下三蔵編、KADOKAWA)とも響き合うような、不穏で幻想的なムードが漂っています。

 これもどこから思いついたんでしょうね。『聖女の島』という長編で、更生施設を舞台にしたのでその影響かなと思ったんですけど、年表を確かめるとこの短編の方が先なんですよ。
 わたしの家はとても厳しくて、わたしも勇気がなかったので、不良の世界とはまるっきり縁がありませんでした。だからこそ憧れる気持ちがあったんだと思います。一歩道を踏み外したら、自分も向こう側に行っていたかもしれない、という感覚もあったでしょうね。幻想的な要素は意図して入れていたわけではなくて、書いていると自然にこうなってしまうんです。

――その他、時代ものの「死化粧」、洒脱な暗号小説の「ほたる式部秘抄」と、さまざまな種類のミステリが収録されていますが、ほの暗い人間心理に向けられた視線は一貫していますね。

 やっぱり世の中のことを知らないですから、社会派ミステリはいくら書けと言われたって書けません。でも人の心ならいくらか知っているし、書くことができるかなと思ったんです。
 読者としてはアガサ・クリスティーとかエラリイ・クイーンのような、トリックのしっかりした本格ミステリが好きです。1953年に早川書房の〈ポケミス〉が創刊されて、海外のミステリを夢中になって読みあさりました。自分でもその手の作品を書きたいんですが、頭の作りがずさんなので、本格ものは書くのが一苦労ですね。

友達と遊ぶより、部屋で本を読んでいるのが好き

――もうひとつ印象的だったのが、孤独な少女がミシンの下に居場所を求める「閉ざされた庭」という作品でした。こうした言いようのない淋しさや寄る辺なさも、本書全体を貫くテーマですね。

 この齢になっていうのも気恥ずかしいんですが、そこは自分の性格が投影されていると思います。子どもの頃から友達と遊ぶより、部屋で本を読んでいるのが好き。大人になって家庭に入ってからも、主婦という役割にうまくはまることができませんでした。世間と折り合えないという感覚が、ずっと昔からあるんです。幻想的なものを好む方は、わたしに限らず大抵の皆さんがそうだと思いますけどね。

――大いに共感します。では全16編中、特に思い入れのある作品はどれでしょうか。また初期作を久しぶりに読み返してみてのご感想は。

 思い入れがあるのは「塩の娘」というごく短い作品です。小説の取材で訪れたヨーロッパで、岩塩坑を見た経験が下敷きになっています。マンションの一室で奇妙な死を遂げるKという男性は、取材に同行していただいた評論家の小森収さんがモデル。自分の作品を久しぶりに読み返してみての感想は、暗いなあということですね(笑)。なんて暗いものを書いていたんだろう、と。

――昨年はデビュー45周年を迎えられ、記念本『皆川博子の辺境薔薇館』(河出書房新社)も刊行されました。半世紀近くにわたって、物語を紡いでこられたその原動力は何でしょうか。

 くり返しになるようですけど、やっぱり日常になじめない、違和感があるというのが原動力じゃないでしょうか。物語の世界だけは、自分の好きなように想像ができますから。デビューした当初は物語が次々と湧きだして、書かずにはいられないという気持ちになったものでした。最近はもう枯れてしまって、締め切りに追われなければ、書けなくなってしまいましたけど。

「死の泉」が、作家人生の転機に

――1997年発表の歴史ミステリ『死の泉』(早川書房)が、作家人生の転機になったとよくお話しされていますね。

 ええ。それまではあまり興味のないジャンルを、求められるままに無理して書いているようなものでした。『死の泉』は翻訳文学に強い早川書房さんからの依頼だったので、思い切って外国を舞台に、非日常的な題材を扱いました。すると予想以上に多くの方に読んでいただけて、他の出版社でも外国もの、幻想ものを書けるようになったんです。まあ『死の泉』以外はそんなに売れなくて、わたしと同じような趣味の方はやっぱり限られているんだな、というのも分かりました(笑)。

――近年は18世紀のロンドンを舞台にした『開かせていただき光栄です DILATED TO MEET YOU』が若い世代に受け入れられ、豊穣な皆川ワールドが〈再発見〉されるという現象も起こっています。

 『開かせていただき光栄です』は、わたしにしては本格ミステリを意識した作品です。楽しみながら書いたものですが、幸い若い読者にも喜んでいただけて。過去の作品にまで手を伸ばしてもらえているのは、本当に嬉しいことだと思います。もちろんそれは日下さんや東雅夫さん、千街晶之さんなど埋もれた作品に光を当ててくださった評論家の皆さん、応援してくださる編集者さんのおかげでもあります。

――現在は『ハヤカワミステリマガジン』にて、アメリカ独立戦争を背景にした『INTERVIEW WITH THE PRISONER インタヴュー・ウィズ・ザ・プリズナー』を連載中。こちらの展開も気になるところですが、今後の執筆予定について教えていただけますか。

 『インタヴュー・ウィズ・ザ・プリズナー』は、『開かせていただき光栄です』シリーズの3作目。まだ完結までは時間がかかりそうですが、アメリカに渡って牢に囚われたエドワード君が、安楽椅子探偵として活躍する予定です。
 その次にはハンザ同盟を扱った歴史小説を、河出書房新社の『文藝』に連載する予定です。ハンザ同盟の中心都市リューベックと、交易のあったロシアのノヴゴロド、その中継地点であったスウェーデンのゴットランド島を主な舞台に、さまざまな時代の断片的なエピソードを連ねて、ひとつの流れが見えてくるような作品にできれば、と思っています。

――なんと魅力的な設定! 創作意欲はいつまでも尽きることがないですね。

 意欲はあっても体力がないのが困りものです。今ならどれだけ趣味に走ったものを書いても受け入れてもらえるんでしょうけど、わたしの方がへろへろになっちゃって。なんとか毎日パソコンの前に座ろうとはしているんですが、ペースが遅くていやになっちゃいます。

――ところで、今回のインタビューは「ホラーワールド渉猟」という連載企画なのですが、皆川さんにとって〈怖いもの〉とは何でしょうか。

 あらゆるものが怖いです。現実的な恐怖も、非現実的な恐怖もどちらも苦手ですね。それこそ道路を歩いていても危険な目に遭いそうな気がしますし、幽霊の絵やお話は作り物だと分かっていてもぞっとします。良いことなのか悪いことなのか、怖がりなのは幾つになっても変わらないですね。