――仙人をモチーフにした『僕僕先生シリーズ』や中国時代ファンタジーの『千里伝シリーズ』などを執筆されている仁木さんですが、「三国志」の推しメンはいますか?
三国志は英雄たちの物語です。子どもの頃は何百人も敵を倒したとか、計略で劣勢を覆すような英雄に惹かれていました。ぼくは今年で46歳なんですが、この歳になると逆に負けちゃったり、スペックが高そうなのにフェードアウトしていったり、そういう人物にすごく惹かれます。その中でも1番の推しメンは徐庶です。彼は劉備の参謀で、荀彧や程昱など軍師級の人材を擁する曹操が、彼が登場してから何度も裏をかかれてけちょんけちょんにやられるんです。
ちなみにコーエーテクモのゲームでも、徐庶の知力のパラメーターは孔明と司馬懿に次ぐ評価。制作スタッフに徐庶贔屓の人がいたんじゃないでしょうか。でもエピソードが少ないし、あまり目立たない人物でしょ?この人は劉備に忠義を貫こうとするんですが、彼の存在に気づいた曹操が彼の母親を人質にとって引き抜きます。そして泣く泣く曹操のもとへ行く間際に孔明という人物の存在を劉備に知らせ、有名な三顧の礼の場面につながるという役回り。一方で、曹操は彼の能力を買っていますが、劉備への精忠を知っているが故に重用できず、飼い殺しにされてしまいます。実際に孔明の計略に気づいても、曹操に具申することなく人生を淡々と過ごしていく。もし曹操の誘いを断っていれば、母親はひどいめに遭ったかもしれませんが、劉備のもとで大軍師として歴史に名を残していたかもしれない。でも彼は母親を見捨てることができずに曹操に降りました。
この決断、初めて読んだときは「バカだな」と思いました。あれだけ大事にしてくれた劉備と、これだけ能力を発揮できる職場を捨てる。しかも母親は手紙で「私のことはいいから来るな」と言っているのに、それを押し切って飼い殺しにされるに決まっている曹操陣営に行く。仕事を捨ててでも母親を取らなければならない深い理由が、彼にはあったのでしょうね。
――そこまで登場人物を掘り下げると、自分自身と共感できますね。
こういうことって、事の大小はあれど誰の人生でも有り得ることじゃないですか。自分もあの時同じ状況だったのかな、どこかで判断を間違えたのかなって。だからこういうキャラがすごく心に響きます。
――仁木さんも人生の選択で悩んだり後悔されたことが?
負けっぱなしですよ!ホンマに!でもそういった様々な人のコンプレックスを、三国志は受け入れてくれます。劉備は漢の皇帝の血筋を引いていますが落ちぶれていて、やることなすこと失敗続き。曹操は父親がお金で官位を買った人で、本当の名門ではないという劣等感がある。孫権は偉大な父に死なれ、よくできたお兄ちゃんが殺され、しょうがなく跡を継いだ。ほかの主要な登場人物も何がしかの傷や、しがらみ、苦労を背負っている。大人になって読み返してみると、そういう部分がよく見えてきます。
ほかにも陶謙が劉備に下邳を治めさせた際、もともとそこにいた陶謙の部下が劉備に意地悪をするんです。子どもの頃は無邪気に「嫌なヤツらだな」と思っていましたが、大人になってよくよく考えると見方も変わります。片田舎で威張っていた人からしたら、劉備、関羽、張飛みたいなキラキラした人がよそから来たら「なんやねんこいつら、ウェイウェイしやがって!」って。たぶん自分もそう思います。
――醜さを確認することで自分を省みることになる?
そうそう、かといって性根はなかなか直らないですけどね(笑)。こうした苦みや醜さは実は共感であり、大人になったからこその共感の欠片を読み拾っていくのも、楽しみ方の一つだと思います。
――仁木さんにとっての、徐庶のような人生の分岐点は?
やはり小説家一本でやっていくかどうかというときです。26歳で私塾を開いて、そこそこ普通に暮らせるぐらいには安定していた時期に小説を書き始め、塾を経営しながら「僕僕先生」と「夕陽の梨−五代英雄伝」が賞をとって小説家になりました。それから出版社から発注をいただけるようになったのですが、次作がなかなかOKをもらえなくて苦しんだんです。これは小説家あるあるですが、賞を獲った作品を書いてるときっていつも以上の力が出るゾーンに入ったような感覚があります。ほかの受賞者の作品を読んでも「きてるな」とわかるぐらい。それってターボがかかっている状態なので、以降、普通にアクセルを踏んでも同じ力は出ない。さらに賞を獲ったことで邪念も出てくるし、「売れるものを書かくために編集さんの言う通りにしないといけない。でも自分のわがままも通したい」とか、いろいろな軋轢があって筆が走らないんです。その苦境を乗り越えて原稿が通り、「小説家としてやっていこう」と思えたときが分岐点です。塾と小説家の二足のわらじをしていたらまた違う今の姿があったでしょうし、そう思うと三国志の中で英雄たちが辿ってきた道を、小さいながらもぼくも同じように歩んでいるのかなと思えますね。
――そもそも三国志を好きになったきっかけは?
子どもの頃から父親に奈良に連れて行かれて、神社仏閣や仏像を見ることが多かったんです。それって子どもにとってはファンタジーな世界で、いつからか東洋的なファンタジーを見たり空想するのが好きになっていました。三国志との出会いは、小学校低学年で父親の蔵書にあった吉川英治さんの三国志を読み始めたのが最初です。さらに同時期にNHKで放映されていた『人形劇 三国志』も。川本喜八郎さんの創る人形がかっこよくて、一気にハマっていきました。そして小説を読み終えた頃、朝日新聞社主催の「こども遣唐使」というイベントに参加したんです。数百人の子どもが5泊6日で上海や杭州を周遊するツアーで、これが強烈な体験でした。上海はちょうど呉の支配地域で、小説を読んで夢想した世界と体験が一致していく感覚。もちろん時代も風景も違いますが、この地に物語で見た孫権が実在したんだと思うと単純に興奮しますよね。今から思えば、アニメの聖地巡礼と同じようなものです。
またツアーでは長江の下流や蘇州の太湖を訪れ、中国のスケールの大きさに圧倒されました。吉川英治さんが描写する各シーンは本当に素晴らしくて、関羽が曹操のもとから逐電して5つの関所を抜く関羽千里行や、趙雲が劉備夫人を救出したことで名を挙げた長坂坡の戦いなど、英雄たちの超人的な活躍に心が湧きます。そこに実際のスケール感が重なって、より登場人物の躍動感が増す。それで完全に三国志に取り込まれました。のちに大学の2年間を中国に留学して過ごすのですが、この頃には三国志を入り口にして中国の歴史・文化全般が好になっていました。
――小説家になって三国志を書こうとは思いませんでしたか?
三国志はぼくにとって小説家としての入り口でもあります。だから出口でもあってほしい。三国志を書くときは小説家を辞めるとき。力を尽くして書いたら、一生書かないとは言いませんが、当面書けなくなるような気がします。でも依頼があればすぐにでも書きますよ(笑)
――特に描きたい人物はいますか?
ぼくが書きたいのは趙雲です。劉備、関羽、張飛の義兄弟の二番手である彼は、実際はどんな人物だったのか。美化されて描かれることが多いですが、実は意地悪な描写もあって、「そんなにいいヤツじゃなかったんじゃないかな?」と思うんです。だから本当の趙雲を書いてみたい。
――ほかにも三国志から学んだこと、人生の矜持などはありますか?
有名な「死せる孔明、生ける仲達を走らす」のように、物書きとして自分の名を残す何かを作り上げたいという思いはあります。孔明って実はそんなに戦(いくさ)上手ではなくて、意外と負け戦も多いんです。最期も包囲されて蜀から出られずに終わりますが、五丈原の戦いで司馬懿を翻弄し、歴史に名を残した。こうしたエピソードが残っているのは、誰もが「最期に何かを残したい」と思っているからじゃないでしょうか。
歳をとってわかるのは、自分は英雄にはなれないという冷たい事実。だから徐庶のような人物を見出して共感したりもします。その一方で、英雄にはなれないなりに自分の魂を懸けて何かを残したいという願いは決して消えません。三国志はそういう“男の子的な夢”を持ち続けるための糧になる作品。だからこそ二千年近くも愛され続けているのだと思います。