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「内面」描く新しい文学を予言 北村透谷「内部生命論」

きたむら・とうこく(1868~94)。評論家、詩人

平田オリザが読む

 硯友社を立ち上げた尾崎紅葉が華々しい活躍を始めた頃、一方で「文学とは何か?」「日本語で文学は可能か?」を真剣に悩む若い一群があった。今も名が残るところでは島崎藤村、上田敏など。そして、当時まだ二〇歳前後の彼らにとって、兄貴分にあたるのが北村透谷だった。
 「内部生命論」など一連の著述で透谷は、人間には「内面」というものがあり、それを表現するのが文学の役割だと記した。これは当時、とても新しい感覚だった。透谷は旧来の勧善懲悪の戯作(げさく)や、当時勃興しつつあった大衆文学を鋭く批判し、そこに描かれているのは「恋愛」ではなく、単なる肉体の欲情に過ぎないと喝破した。今の私たちから見れば、それはそれで単純すぎる断罪のように思うが、一部の急進派の文学青年たちから、透谷は圧倒的な支持を集めた。
 しかし透谷は、自らの文学論にかなうだけの作品は残せなかった。そして、新しい文学の概念だけを予言して、二五歳の若さで自死する。残された者たちの衝撃は大きかった。彼は日本文学史上最初の殉教者となった。実際には、おそらく透谷は、いまで言ううつ病などの精神障害だったと思われるが、当時の同輩たちはそうは考えなかった。
 小説や詩を書けないという苦悩だけで人は死に至る。いや、文学は死に値するほどの崇高なものなのだと透谷は身をもって後続の者たちに示した(と藤村たちは思った)。
 透谷の文章は読みづらい。
「人間の内部の生命なるものは、吾人(ごじん)之(こ)れを如何(いか)に考ふるとも、人間の自造的のものならざることを信ぜずんばあらざるなり」
 こんな感じの、肯定だか否定だか一読では読み取れない、今の基準で言えば悪文が並ぶ。だがおそらく、この難解な文章さえも、当時の若者たちにとっては格好良く映ったのだろう。
 実際、明治近代文学における透谷の影響は計り知れない。多くの若者たちが透谷のように生きたいと思った。透谷の書けなかった小説を書きたいと考えた。=朝日新聞2019年7月6日掲載