「子を持つことが善」という価値観への問い
始まりは2008年、30歳の夏子は、豊胸手術のため上京する姉を駅で待っている。姉の巻子は39歳のホステス。地元の大阪で12歳の緑子を一人で育てている。「乳と卵」は夏子が東京のアパートに巻子と緑子を迎えた3日間を描いた。『夏物語』はその3日間と8年後を描く。
「乳と卵」を起点としたのは「まだ書かれるべきことがたくさんあると感じていたから」。2作目の小説で、当時は書く技術が伴わなかった、とも。「女の人が生まれ、生きていくことを書きたい」。その根っこには、常に倫理への問いがあった。「子どもの頃からよく取り返しのつかなさを考えます。一番は死。そして、生まれてくることも同じように取り返しのつかなさがある」
8年後、38歳になった夏子は小説やエッセーを細々と書いている。性的な欲求がなく好きな人もいない。だが、自分の子どもに「会いたい」と思い、第三者から精子提供を受ける人工授精(AID)を調べる。実際に精子バンクのサイトをたどったり、AIDから生まれた当事者の本を読んだりしながら、主人公と一緒にひとりで妊娠することを考えた。「行きずりの一夜の妊娠と精子提供はどう違うのか。相手のことを知っているかどうか? 相手のことを知っているって本当はどういうことなのだろう」。AIDから生を得た人々の、父がわからない苦しさは読む者の心をえぐる。「子どもを持つことは掛け値なしの善だという考えのもとに行われるけれど、ある日突然、真実を突きつけられ、アイデンティティーが崩壊することもある」
シングルマザーや専業主婦、登場する女性たちは様々な状況を生きている。生殖医療が進み、男の性欲も女の性欲ももはや必要ないのでは。産まないことは選択の結果というより女性にとって自然なことなのでは。彼女たちの会話は過激だが、それぞれの立場を描く中で言葉があふれてきた。「子どもを産んでも、どうして産んだのか聞かれないのに、産まなかったらなぜ産まないのかと聞かれる。自分自身にも産まなかった理由を問い続けるでしょう。誰かが誰かの人生を価値付けることなんてできないんだ、という気持ちがありました」
自身は8年前に結婚、小学1年生になる長男がいる。「子どもを産んだ今でも、女性にとって産まない方が自然なのではという気持ちがある。出産は利己的なもの。産んだ側の人間として、自分は何をしたのかを手放さずに考え続けたい」(中村真理子)=朝日新聞2019年8月7日掲載
「好書好日」掲載記事から