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ロバート・キャンベルさん「井上陽水英訳詞集」インタビュー 陽水ワールド、余白の挑発

ロバート・キャンベルさん=興野優平撮影

「それはいい事?」議論呼ぶ問いかけ

 翻訳のきっかけは2011年夏、大病を患って入院したことだ。動けずに病室で寝ていたある夜、20代のころから好きだった陽水さんの「青い闇の警告」を聴き、歌詞の英訳を思い立った。一日一作品のペースで翻訳を続け、回復してからは陽水さん本人に疑問点をぶつけた。

 環境や身体性が、描かれると不可分のものとして現れていることが、陽水さんの特徴の一つと位置づける。例えば「ジェラシー」は、俳句的な表現で、一刹那(せつな)を切り出し、様々な残響が感じられる。浜辺にちらばった化粧品を波がさらっていく。女性の固有性が海に引き込まれていくと共に、彼女に対するかなわない気持ちが一連なりとなって描かれる。西洋の歌にはあまりないが、すっと日本語では理解できる感覚だという。

 そこには、余白やあいまいさが存在する。「翻訳していると、余白は一種の挑発となり、聴く人、読む人に、それぞれが余白を埋めなさいと投げかけているように感じる」

 初期の代表曲「傘がない」。主人公は若い男で、外は雨が降っている。部屋の中でテレビがつき、識者がなにか語っている。「君のところに行きたいけれども傘がない。とにかく、彼女のところに走って行く。おそらく、ほとんどの人がそこに共感するでしょう」

 だが、キャンベルさんは20代で初めて聴いてから、「それはいい事だろ?」と繰り返されるフレーズがずっと気になっていた。「たぶん玄関先で、鉄の扉を開けて、スニーカーを引っかけた瞬間、我に返って、その欲望が正しいのか、揺らぐ瞬間があった。彼は冷静で、新聞もニュースも見ているから」

 こうした陽水さんの魅力を、「ハモの小骨がのどにひっかかっているような感覚」と評する。宮沢賢治の詩「雨ニモマケズ」を題材にした「ワカンナイ」にも通じる。

 「賢治は、多くの日本人にとって、正しく、非の打ちどころのないもの。そこに陽水さんは、それって冗談だろう?と一つ一つ理詰めで、正確になぞりながら泥を投げつける」。聞き手である私たちは、賢治の言葉の意味を考え直す。

 「その問いかけのような余白に気づき、埋めていくかは読者の自由。陽水さんの歌詞は、自分や世の中が本当にこれで良いのかということを、とても洗練された、しかしパワフルな形で問いかけ、一人一人を突き動かす力を持っている」

 国際芸術祭「あいちトリエンナーレ」で「表現の不自由展・その後」が中止になったことで、表現について改めて考えさせられたという。「ふだん私たちが芸術や表現に求めるものは、じつは自己肯定や安心で、それ以上のものが現れると非常に激しく抵抗する。その感情を十分理解し、政治家たちが発言したという側面もある」と感じた。

 それは、余白や問いかけが、芸術表現やそれを取り巻く社会から消えつつあることを意味している。

 「陽水さんの言葉は、私たちがいろんなことを考えたり、思ったり、ひょっとして議論し合えるような場をつくってくれたりしている。ご本人は意図しないだろうけど、そんな気がするんです」(興野優平)=朝日新聞2019年8月21日掲載