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自分の姿、見出すたのしみ 書肆侃侃房・田島安江さん

 「されどわれらが日々」は1964年8月10日の発刊。私は大学に入ったばかりだった。その頃まで、正直、日本の小説が苦手だった。湿っぽいというのだろうか。だから、芥川賞受賞で話題になった本書も、友人から勧められ、やっと手にとった一冊。読み終わった感想は、やはり、湿っぽいなあだった。じめじめとした心理描写が多い。
 50年も前の恋愛や結婚を、同年代の今の若者はどう読むのだろう。小説の持つ魅力とは、その中に自身の姿を見出(みいだ)すこと。当時の私を捉(とら)えたのは、ただ一点。いつまでも変わらない、男と女の感覚のズレだった。小説が顕(あら)わにするのは、人生における矛盾、生きることの虚(むな)しさ、むずかしさだ。登場する誰もが相手の思いと自分の思いとのズレに気づきながら、ズルズルと日々を重ねていく。
 文中、何人もが自殺したり、自殺未遂をしたりするが、なかの一人、優子は「抱かれたことのない、接吻(せっぷん)されたことさえない二十一歳! なんて醜いの!」と叫んで男を挑発し、妊娠した末に男に疎まれ、睡眠薬による死を選ぶ。人生に挫折して死を選ぶ若者の姿は痛ましい。どんな理由にしろ、だ。登場人物に、何人もの友人の姿が重なる。学生運動を単なる通過点とし、若い頃の麻疹(はしか)みたいにさっさと卒業して就職、平凡な人生を歩んだ彼ら。
 海外文学では味わったことのない、等身大の自分に出会うたのしみ。それが日本の小説なのか。今の私は、海外、日本の別なくおもしろい小説を編みたいと思う。だから当分、私の麻疹が癒えることはなさそうだ。=朝日新聞2019年9月4日掲載