政治に翻弄された人々「写真で証し残す」
林さんは今夏、フォト・ドキュメンタリーの著書『朝鮮に渡った「日本人妻」』(岩波新書)を発表した。1959~84年に在日朝鮮人ら9万人余りが日本から北朝鮮に渡った「帰還事業」。その際、夫とともに朝鮮半島に移った日本人配偶者が「日本人妻」と呼ばれた。1800人に上ると推計されている。
祖国の親族と連絡が取れなくなった人も多く、ほとんどの人は一度も里帰りができていない。高齢化も進み、故郷の親に会えないまま亡くなる人が相次ぐ状況だ。
中央アジア・キルギスで行われる「誘拐結婚」、過激派組織「イスラム国」に襲撃されたヤズディ教徒……。現地に深く入り込む手法で、林さんは国際的に評価されてきた。今回の取材について「同じ社会に暮らす在日の人々の歴史を知らないことがずっと気になっていた」と話す。
国際NGOや研究者、担当編集者らの援助を得ながら北朝鮮当局に取材を申し込み、渡航を重ねた。取材には必ず「通訳兼案内人」が同行した。撮ったコマをチェックされることはなかったという。
宮崎県出身の井手多喜子さん(16年9月に89歳で死去)には、北朝鮮東部・元山の自宅アパートで2回取材した。井手さんは61年に帰還事業で、夫とともに日本を離れていた。親からは在日朝鮮人との結婚に反対されたという。
生前、「死ぬ前にもう一度ふるさとに行きたい」と言っていた。「死んだ後でもいいから日本へ行けるかな? お母さんのお墓の隣に」とも。
林さんは今回そのふるさとへも足を運び、井手さんの親族に取材した。母親が生前に仏壇で毎朝、井手さんとその子どもたちの名を唱えていたことが分かったという。
東京生まれの皆川光子さん(80)は、60年に夫とともに北朝鮮へ渡っていた。親は在日の男性との結婚に反対し、結婚式に出席しなかったという。母親からは北朝鮮行きも制止されたけれど、いずれは簡単に行き来ができるようになると当時は思っていた、と林さんに証言した。
交流が国境で途絶されること自体が新たな悲劇の土壌になる様子も見えた。たとえば、日本人妻が故郷に手紙を出しても届くとは限らない現実があった。結果、日本の親族に「手紙を送ったのに返事も寄越さない」との誤解が生まれている例もあったという。
女性たちが朝鮮半島に渡った背景に、当時の日本の在日差別もうかがえたと話す。「もし夫に対する強烈な差別を見たら、『このまま日本にいたら将来、自分の子どもも差別されるのでは』と私も不安になったかもしれません」
林さんは取材をこう振り返る。「妻として夫や子どもと一緒にいたいと願ったり、周囲の在日差別に反発したり……政治や時代に翻弄(ほんろう)されながらも自分の生き方を持とうとした彼女たちの姿に、共感できる自分がいました」
「写真を撮ることで、彼女たちが北朝鮮で生きていること、生きてきたことの証しを残したかった」(編集委員・塩倉裕)=朝日新聞2019年9月4日掲載