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画期的、風景描写に哀しみが 国木田独歩「武蔵野」

国木田独歩 くにきだ・どっぽ(1871~1908)。作家、詩人。

平田オリザが読む

 先月取り上げた二葉亭四迷は、デビュー作『浮雲』執筆後、自分には、小説に書くべき内容がないと考え、その後長くロシア文学の翻訳に専念する。なかでもツルゲーネフの『猟人日記』からとった「あひびき」は名訳とされ、多くの若者に影響を与えた。

 国木田独歩もその一人だった。一八九八年、『武蔵野』(当時の題名は『今の武蔵野』)を執筆。私見だが、文学史的な位置づけとしては、言文一致体で書かれた最初の随筆と言ってもいいだろう。明治の近代小説がそうであったように、ここにも「近代的自我」が登場する。

 もちろん『枕草子』『徒然草』以来、日本には長く、すぐれた随筆文学の歴史がある。しかしそこに書かれているのは、作者の感想に過ぎない(と明治の文学青年たちは考えた)。『武蔵野』では風景を描写するだけで、作家の内面の寂しさや哀(かな)しさが伝わってくる(と青年たちは感じた)。「寂しい」「悲しい」とことさらに書かなくても、作家の心情が痛いほど解(わか)る。これはやはり、画期的なことだった。

 ただし『武蔵野』は、世間一般ではあまり高く評価はされなかった。広葉樹林の描写が淡々と続くだけだから、それは当然だったろう。文壇での評価は高まっていったが、独歩自身は四迷と同様、やはり「書くべきものがない」という想(おも)いがあった。ツルゲーネフの『猟人日記』は、ロシアの農奴の貧困を描くという社会性を有していたが、『武蔵野』にはその側面はない。独歩もそのことを自覚、痛感していたはずだ。

 もともと新聞記者だった彼は、文学から距離を置き、今のグラフ誌の走りとなる『婦人画報』などを創刊、多くの雑誌の編集長を兼務した。しかし日露戦争後の出版不況で会社は倒産。やがて独歩も肺病を病み、三六歳で早逝(そうせい)する。皮肉なことに、死の前後から独歩の評価は高まり、自然主義運動の中心的存在となった。明治近代文学は、また一人、殉教者を生んだ。=朝日新聞2019年9月7日掲載