二条駅前で待ち合わせ
夏の終わりの午前10時45分。駅舎にかかる大きな木の屋根が特徴的な「二条駅」に到着。雨が降ったり止んだり。待ち合わせの時間より15分早く着いたけれど、さらに早く、奥田直美さんは待ってくださっていた。なにやら神妙な面持ち。どうしたのですか?と尋ねてみると、「緊張して…(笑)」というお返事。「大丈夫。大丈夫」と深呼吸してみたりしながら、まずは駅前でポートレイトを一枚。そして、ゆっくりと二人で歩き始めた。
今日連れてってもらう「カライモブックス」は奥田さんご自身のお店。10年間運営していた地からちょうどお引越し中。そんな大変な折に、だからこそ聞けるお話もあるかもしれないと、無理を言ってお邪魔させてもらえることになった。
雨林舎で一休み
まずは、駅のすぐ近くのお店で一休みしようと連れてってくださったのが「雨林舎」。「カライモブックス」を一緒に運営する夫の順平さんのお姉さんが営む喫茶店なのだ。“雨をイメージした”という店内。ちょうど外はまた降り出した雨。窓ガラスの向こうの雫が美しい。
奥田さんはベイクドチーズケーキを。私はホットケーキを注文。一口一口がもっちりしっかり。一息ついて、ようやく顔がほころんできた奥田さんに、これまでのことから聞いてみた。
「8歳までは東京で育って、そこからは京都の亀岡の実家で結婚するまで暮らしてました。大勢と遊ぶより、一人で本を読んだり絵を描いたりするのが好きでしたねぇ。本屋をするにあたっても、編集者としての仕事上でも、自分の人生に大きな影響を与えてくれているのが、作家の石牟礼道子さん。石牟礼さんの作品に出会ったのは、実は、高校の受験勉強中。過去問のテキストだったんですよ。こんなことってあるんですねぇ(笑)。石牟礼さんの話をすると抜け出せないくらい長くなってしまうので、この後、本を見ながらお話しますね。」
一休みを終えて外に出ると、この風! 雨が真横から吹き付けるため、歩けば20分ほどのところを、予定を変更してタクシーで北野方面へと向かうことにした。
町家古本はんのきに寄ってから
「カライモブックス」のほど近くに到着。この辺りは長屋や町家がまだまだたくさん残っている。その一角にある「町家古本はんのき」に立ち寄った。ここは「古書ダンデライオン」、「古書思いの外」、「空き瓶Books」の3名の店主が共同で運営をするという古書店。店主の入れ替えは何度かあったものの、このスタイルでもう10年以上続いているのだそう。
扉を開けると、畳の部屋と板の間にぎっしりの古本。この日の店番を担当されていたのは、「空き瓶Books」の水野さん25歳。
「店番が毎日違う人なので、来たら棚のラインナップが変わってる!ってなることが多くて、それが面白いですね。それから、この店は基本的には文学・歴史・思想・美術などを中心に扱っているんですが、例えば、これ(売上スリップを3枚待ち出してきてくださった)。同じ大岡信の本でも、3店主とも選んでくる本が違うんですよね。左から古書ダンデライオンは『透視図法 夏のための』で、古書思いの外は『火の遺言』だし、自分の空き瓶Booksは『春 少女に』というように。」
落ち着いた口調で話してくださる水野さん。何とも絶妙なバランスで本も棚も並んでいるのは、そんな裏側があったのか。思わず、スリップを引っ張りあげてどなたのセレクトかを見てみたくなった。彼らの活動は店舗だけに留まらず、関西圏の古本市やマルシェなどの出店でも出会える模様。面白いなぁ。
水野さんにお見送りいただき、いよいよ「カライモブックス」ヘ。
お引越し中のカライモブックス
結婚を機に初めて亀岡の実家を出て、そこから10年はお店兼住居として三軒長屋の一つを借りて、「カライモブックス」を切り盛りしてきた奥田さん。そんな中、思わぬタイミングで新たな場所へと移転を迫られたのが数ヶ月前のことだった。このまま京都に留まるか、いっそ遠くへ行ってみるか、様々に思い巡らせていたそうなのだ。そうして、たどり着いたのは前の場所からそう遠くはない、北野エリアだった。
「まだ看板も何もなくて…」と話す奥田さんの後ろを付いていくと、一軒の民家に着いた。ガラガラと引き戸を開けるとそこに娘さんの小さな案内版が。
“くつをぬいでおあがりください。本やはあちらです”
靴をぬいで、廊下を抜けて奥に行くと、パっと視界の広がる明るい部屋に到着。天井は8mくらいあるのだろうか。かつては機織り工場として使われていたため、光も風もたっぷり入る空間。書籍の引越しは8割ほど完了とのこと。
「カライモブックス」のカライモとは南九州の方言でサツマイモのこと。奥田さんの話に出てきた作家の石牟礼道子さんの故郷である水俣や天草の土や水に想いを馳せ、名付けられた。石牟礼さんの本はもちろんながら、社会運動、人文、文学、芸術、育児、児童書など、様々な分野の本がみっちりと詰まっている。
数ある中から、新刊でも手に取れる石牟礼さんの本を選んでもらった。
「絵本でおすすめなのが『みなまた海のこえ』(小峰書店・1982年)。石牟礼さんが作った”しゅうりりえんえん”っていう言葉がとてもいいんです。不思議な声ですが、生き物たちの声ですね。音楽的で、感覚的に響いてくるんです。
それから、『あやとりの記』(福音館文庫)は児童文学です。石牟礼さんの自伝的小説で、ファンタジーでもありますが、現代が捨ててきてしまったものがここにはあるような、海と土と、美しい世界がここにはあるような。そんな本です。
最後に『西南役伝説』(講談社文芸文庫)は、西南戦争を体験した古老から聞き書きしたもの。名もなき人たち、庶民の視点を、石牟礼さんのフィルターを通して教えてもらえる一冊です。」
一冊一冊思い入れたっぷりに話してくださる奥田さん。そんな奥田さんは、編集者として育児書の制作にも携わってこられてきた。
「小児科医の毛利子来さんと山田真さんを編集代表として、26年前に創刊された『ちいさい・おおきい・よわい・つよい』(ジャパンマシニスト社)の115号から124号までの10冊の編集人を務めました。お母さんの疑問や迷いに簡単に答えるようなものではなくて、一緒に考えていくためのヒントの詰まった本ですね。私自身も育児をしている上で、自分が知りたいことを、ここで教えてもらうことは多いです。これからも『ち・お』の編集には携わっていきますが、125号からは小児科医の熊谷晋一郎さんが編集人を務められます。一読者としても本当に楽しみです。」
ふと足元を見下ろすと、カラフルで楽しい絵がたくさん。引越し作業中に、娘さんがコツコツと描かれたシリーズだそうだ。真ん中の黒い部分は宇宙。そしてその横にはどこかの海の風景。その一つ一つの表情の優しさと、詰まっている物語に、このお店の軸のようなものを感じたのだった。再オープンの日も、すぐそこ。
いよいよお別れの時間。ガラガラッと扉を開けると、すっかり雨は止んでいた。
またいつの日か、私を本屋に連れてって。