「トラックに轢(ひ)かれて死んだはずの無職・引きこもりのタカシは、異世界に転生。熱膨張で敵の砲を使えなくする作戦を始め、現代の知識を使い活躍する」というのは異世界転生もののあらすじにしてもあまりに既視感が強すぎる。だが、これが息子を交通事故で亡くした母親により書かれたものだとしたら?
伊藤ヒロは、ヒーローが実在するアメリカ現代史を描くアラン・ムーアの名作『WATCHMEN』(小学館集英社プロダクション)の日本版に挑んだ『魔法少女禁止法』(エンターブレイン)、沼正三『家畜人ヤプー』をライトノベルに「リメイク」した『家畜人ヤプー Again』(鉄人社)など挑戦的な作風で知られる書き手。そんな彼の『異世界誕生 2006』は、事故死した長男の「異世界転生後」を書き続ける母親・嶋田フミエの物語だ。
しかし少なくない読み手が早々に挫折するのではないかと心配になるほど、本書で描かれる光景は痛々しい。息子の死を受け入れずに執筆に没頭するフミエのせいで嶋田家は崩壊寸前。さらに肝心の彼女の小説は稚拙なもので、だというのにタカシを殺してしまった自責の念に駆られる元トラック運転手の片山青年は、まったくの善意で彼女の作品をネットで公開しようとし、当然のごとくそれは匿名の悪意に晒(さら)される。正直、評者も読んでいて胃が痛くなった。
だが、最悪の展開の中にも伏線が差し込まれ、タカシの死の真相が明らかになるにつれ、物語の雰囲気は変わっていく。遺(のこ)された者たちが、小説を書くこと、読むことで、ひとりの人間の死を受け入れていく、再生の物語の様相を見せ始める。このどん底からの展開が実に鮮やかである。
タイトルのとおり本書の舞台は2006年だ。ライトノベルにおいてもファンタジーの流行は過去のものになっていた時代の空気が巧みに映し出されている。現在のウェブ小説発の「異世界転生もの」ブームなど想像もできなかった黎明(れいめい)期の書き手は、どんな気持ちで作品を投稿していたのだろう。フィクションだが、実際フミエのように、物語を書くことそのものによって救われた人々もいたのかもしれない。そんな「異世界転生もの」誕生の瞬間に思いを馳(は)せたくなる一冊だ。=朝日新聞2019年9月21日掲載