「意図せずシリーズ化」のふたり
今村翔吾 僕は書影とか帯も含めて、直感で面白い本を当てれるタイプやと自分で思ってて、『屍人荘の殺人』もほんまにそれで買ったもん。こたつで寝っ転がりながら一気読みしたん覚えてる。当時めっちゃ狭いワンルームに住んでて。けど、読み終わったときに、同じ作家目線で、次どうすんねやろって思った。大変やろなあ、と(笑)
今村昌弘 まさかこれで自分が作家になるなんて思ってないから、後のことなんか考えてないじゃないですか。
翔吾 それはほんまにそうで。僕も『火喰鳥』(デビュー作「羽州ぼろ鳶組」シリーズ第1作)は完全に完結さしてるんで、いったん。考えてないから、シリーズになりますって言われて、これ以上の話作れる?みたいになるんよ、やっぱり。難しいよね。
昌弘 そうですよね。だって火消しの物語だから、敵というか、立ち向かうのは火でなければならないんだけど、毎回それをどうやって……。
翔吾 火が起こるのは仕方ないから、付き方のトリックでちょっと差を付けるのと、やっぱり人間模様で差を付けていくしかないなと。資料を調べたら、いまと変わらない動機もあって。男性に振られたから火をつけたとか、多いんですよ。お姉ちゃんが振られたから妹が火をつけたっていうのとかもあって。その付け方がまたファンキーで、別れた男の家の屋根の上にのぼって、瓦を剝がして、屋根から燃やしたみたいな。どんな妹やねん!っていう記録があったりとか。それが意味のあった行動とすれば、屋根に上らざるを得ない何かがあったとすれば、一つの物語が組めるなとか、そんな感じかな。
昌弘 僕もほとんど時代ものは読まなかったんですけど、今回初めて『童の神』と『火喰鳥』とを読ませていただいて、何て言うか、小学生のときの、本が好きだったときの気持ちがすごいよみがえってきて。もう、危険ですよ。『火喰鳥』のシリーズ、早よ読みたい(笑)
翔吾 僕も読みたいよ。だから(『魔眼の匣の殺人』は)発売日に買いに行ったし、サイン会にも行ったろかなと思ったけど、さすがに圧迫みたいな感じで嫌やから(笑)
昌弘 「今村です」みたいな(笑)
翔吾 ほんまにずっと好きやった。感覚的にも、同年代の人が書くから、同年代が好きそうなもんわかってはる。僕も意識はしてるし。やっぱり僕らの世代って、小説とマンガとゲームと、色んなもんがピークを迎えて、クロスフェード的になってた時代で。すごく熱かったと思うんよ。テレビもよかったし、映画もよかったし、わくわくするエンタメがあった。僕も小説を書くときは、お決まりのなかにちょっと新しいエッセンスを入れていく。そういうのは意識して。
昌弘 よく、創作のなかでは、予想を裏切るのはいいけど、期待を裏切るなと言われる。(翔吾さんの小説は)もう全然、期待を裏切られることがないんですよ。読みたいと思ったことがどんどん出てきて、ずっと引っ張られるんで。それが面白くて。『童の神』も『火喰鳥』も、登場人物の名乗りみたいなところで、粋なところがあったり。そういうのって、手法としてはすごく見慣れたものではあるけど、こっちもやっぱり期待してるし、やってほしいところだし、そこは絶対外さないんですよね。
翔吾 異名とかもそうなんよ。ちょっと「中二病」と言ったら悪いねんけど、やっぱりそういうのを好きなんよ。日本人は江戸時代からそういうのが好きで。あと僕が異名とかつけてんのは、そうせんかったら覚えてもらえへんって思ってるから。
昌弘 うん、まさにそうですね。
翔吾 異名か名前かのどっちかで覚えてもらったら、キャラクターが立っていくから。
昌弘 僕はシリーズものが元々好きなんですよね。同じキャラクターが次どうやって活躍してくれるんだろうっていうのが好きなので、「ぼろ鳶組」シリーズもこれから読むのが楽しみなんです。『屍人荘』も、ある程度シリーズになれるような終わり方にはしてたんですけど、実際にはまったく考えてないし、この後で次にどんな事件を起こせばびっくりさせられるのか、とも思った。でも、最初に読んで広めてくれた人たちが、どんなものを求めてるかなって考えたときに、やっぱり焦って出して、期待より低かったら、その人たちを一番がっかりさせるなって思ったので、ここはちょっと落ち着いていこう、と自分に言い聞かせて。
翔吾 たぶん、その戦術は正しかったんじゃない? ホームラン打った人の戦術はそうあるべきやと思うし、どっちにしても前の方がよかったと言う層はいるんだから。じっくり考えて、自分の満足したものじゃないと結局、後悔するし。
昌弘 もういっぺん原点に立ち戻って、自分がどういう作品を面白いと思って書きたいのか、というところに立ち返って。本当は(『屍人荘』の)1年後ぐらいに出したかったんですけど、いっぺん書き上げたものを自分で読み返したら、これじゃない、と。これはだめ、足りない、となって、出版社に刊行を延ばしてくれってお願いして。内容が変わったわけじゃないんですけど、色んなものの順序だとか、もうちょっと説明を入れる、あるいは抜くとか、調整したらいまの原型ぐらいにはなったので。やっぱり論理的にちゃんと詰めれるもんは詰めましょう、とか。もうちょっと序盤を面白く読ませるために何ができるかな、とか。でもたぶん、出版社は1年に1冊ぐらいは何か出したいでしょうね。
翔吾 1年に1冊は良いペースやと思うよ、昌弘さんにとっては。
先行作品に目配りしつつ新たなエンタメを
――翔吾さんは多作ですけれど、アイデア帳のようなものがあるんですか?
翔吾 まったくないです。普段もまったくメモは取らなくて。なんか、テレビのCMを見ててポンと1本小説のネタが思いついたり、ほんと些細なことです。まちなかを歩いててとか。僕は書く速度よりもアイデア思いつく速度のほうが上で、書いてないネタはいっぱいある。やりたいことはどんどんたまっていって、これが生涯変わらんかったら、使えへんネタがいっぱいあるなと。いまネタを考えんのやめても、たぶんこの量を10年は書けるなってぐらいはたまってるんで。僕のシリーズのやり方は、いわゆる(漫画の)『ワンピース』方式です。『火喰鳥』は1巻の伏線を7巻で回収してますから。シリーズを書いてけば書いてくほどネタが思いつくし。書くときの資料とかはどうしてるんですか?
昌弘 結局のところ、もうアイデア勝負になっちゃうので。自分では古典の短編集とかを読んで、分析ですよね。これまで使われてるトリックとかネタとか、最近だと犯人特定の方法はどんなのがあるのかな、とか。
翔吾 教えて(笑)
昌弘 本格ミステリーの読者って、ほんとに一番わがままな読者だと思うんです。先ほど期待に応えるって話をしましたけど、他のジャンルだったら求められてることを書けば受け入れてもらえるところがあるんですけど、本格ミステリーだけは、新しいトリックを見せてくれと思ってるんですよ。すでに使われたトリックをやっても満足してくれないところがあって。状況とかは使い古されててもいいんですが、たぶん。
翔吾 過去のことをぜんぶ知らなあかんってことやんね、ある程度は。それが俺は大変やなって思うねん、ほんとに。時代小説のなかでも、一つ謎を引っ張っていかなあかんやんか。『くらまし屋稼業』ではトリックっぽいこともやるんやけど、俺はほんまに昌弘さんと乱歩しか読んでへん、誰が何を使ってるか知らんから、これは俺が考えたもん、って割り切ってやれるし、僕はそこがメインの小説じゃないから割り切りが筆を迷わせない。そっちはそのジャンルにいるから、すごい大変やろなって。
昌弘 読者がいちばん読みたいのがそこだから、そこで人と同じことをするわけにいかないっていうのが……。
翔吾 言うても、限りがあるんじゃない?
昌弘 そう、限りがある。しかも、トリックだけでもだめで、やっぱりどう面白くエンターテインメントにするか。いままでの本格ミステリーって、僕が読んできたなかでも、そこがちょっと足りてないというか、マニアに向けたものが多かったのは事実で。今回はこのトリックです、みたいな話はたくさんあるんですけど、そこまでどう読ませるかを、僕はやっぱり大事にしたくて。『屍人荘』で、登場人物の名前をぜんぶ「こじつけ」で紹介しちゃうとか、ああいうのって素人じゃないとできないことなんですよね。ミステリーをたくさん読んできた人って、わかりにくくても、それが当たり前だから我慢して覚えようとするはず。でも僕は素人だから、読みにくいなと思って。だから、どこかで自分はミステリーを知りすぎるとだめだなと思ってる点も。
翔吾 難しいなあ……知らなあかんし、知りすぎてもあかんし、その案配がね。
――先行作への目配りは、歴史時代小説にもあるのでは?
翔吾 あるある。僕らでいうと、司馬遼太郎さんがやっぱり巨人で。司馬さんがやってる坂本龍馬とかは、しんどいじゃないですか。新撰組を書いたら『燃えよ剣』が勝負の対象になってしまう。僕がデビューする10年ぐらい前に、マイナーな武将を取り上げるみたいなブームが来てたんやけど、やっぱり読者はメジャーというか、世の中の人はもっとメジャーなところから脇を知っていきたいねん。だから、僕はゲームの「戦国無双」に出てるキャラクターのなかから選ぼうって決めてる(笑)。あれぐらいがギリやと思ってる。『八本目の槍』は石田三成やけど、戦の少ない戦国小説なんです。戦国時代は青春がなかった、なんて言われますけど、なんで言い切れるんやろうって思って。三成を書きたかったというより、若い三成と同じときを過ごした賤ケ岳七本槍を通して、戦国時代の人間にも青春みたいなときがあったんじゃないのってことを書いた。『童の神』も、酒呑童子って何となく聞いたことあるじゃないですか。そういう、何となく聞いたことあるぐらいの人物を書いていきたい。
昌弘 一つお聞きしたかったのが、歴史ものを書く上でネックになるのが、用語だと思うんです。専門的なことを書きすぎても伝えにくいし、説明ばっかりになっちゃうので、そのレベルっていうのをどのように意識されてるのかなって。
翔吾 いい質問ですね(笑)。単行本と文庫はまず、違うんですよ、使ってる言葉が。文庫の読者層にはエンタメ要素を高く、テンポを速く、読みやすくっていうことを意識してるんで。いちばん説明しやすいのが、『ぼろ鳶組』では「あばら屋」とか「空き家」とか「ぼろ屋」って書くんですけど、『童の神』では「茅舎(ぼうしゃ)」という言葉に変えてるんです。単行本を読みたい人は腰を据えて読みたい人たちが多いから、そっちの方が受け入れられやすい。常に読者の、読む層の顔を思い浮かべながら使い分けてますね。
昌弘 なるほど、すごいですね。そういう意味では、『ぼろ鳶組』の方がたしかに読みやすくて。『童の神』も読みやすかったですが、一方で、歴史ものを読んでるっていう満足感がありました。
翔吾 『ぼろ鳶組』は時代小説には珍しく、小学生のファンもいてくれるから。その子たちにも読めるようにルビをいっぱい振ってあげて、とか。
昌弘 たしかに、ちょっとしたギャグパートじゃないですけど、会話でくすりとさせるところも今風のやり取りになってて。ツッコミの言葉とかも。
翔吾 そうそう。僕は昌弘さんの作品を読んだとき、ほんまにミステリーは読んでこうへんかったけど、すんなり入ってん。エンタメとしての要点をちゃんと突いてるのが、読んでてわかって。読者にやさしい作家さんが僕は好きなんですよ。僕もそうありたいと思ってるし。楽しませようっていうサービス精神が感じられたんで。
昌弘 そこはハリウッドの脚本術みたいなものも勉強して全体の構成を考えてますし、いま何がいちばん不思議なのかっていうのを改めて一文入れて言わせたりっていうのは意識してて。
翔吾 読んでる人も忘れたりするやん。
昌弘 そうなんですよ。僕も新規参入というか、これからミステリーを読もうとしている人のことをすごく意識してるんですよね。マニアが満足してくれるものを書きたいは書きたいんですけど、どちらかといえば。
――シリーズ続刊のめどはいかがでしょうか?
昌弘 来年には出そうって言うてるんですけど。僕の勝手なこだわりとして、一つの本で2件か3件ぐらい殺人を盛り込みたい。あと、トリックを何か一個入れたい。最近は犯人の突き止めかたが特殊だったり、思わぬ展開やオチがあったりする作品は多いんですけど、結局トリックをやってる人は少ないんですよ。叙述トリックで、実はこの人はこの人と同一人物でしたとか、あそこにああ書いてあったから犯人はこの人なんだよとか、そういう驚きがある作品はたくさんあるんですけど、僕はトリックがやりたくて。てなると、先行作品にないことしなくちゃいけない。それがいちばん大変なんですけど(笑)
翔吾 つらら(消えた凶器)ぐらいしか想像つかんわ。よく使われるやつ(笑)
(構成:山崎聡・朝日新聞生活文化部記者)