島尾敏雄、庄野潤三に憧れて九州の大学に進んだ。バブル前夜でポストモダンの嵐が吹き荒れた時代だった。地方の大学でも浅田彰の『構造と力』『逃走論』が売れていた。思想誌を開けば、エクリチュールだのシニフィアンだの、衒学(げんがく)的な言葉が踊っていた。
福武書店(今のベネッセコーポレーション)に就職し、文芸誌「海燕(かいえん)」の編集部に配属されたが、後に浅田彰・柄谷行人責任編集の「批評空間」の編集スタッフも兼務することになった。ポストモダンの本丸に放り込まれたのだった。
ここでホルクハイマーとアドルノによる『啓蒙(けいもう)の弁証法』に窮地を救われた。
「何故に人類は、真に人間的な状態に踏み入っていく代(かわ)りに、一種の新しい野蛮状態へ落ち込んでいくのか」(序文〔初版〕より)
階級に縛られ、職業選択の自由もなく、政治参加もできない前近代から、近代に移り、自由や論理や理性が貴ばれるようになった。しかし、行き着く先はファシズムと享楽主義だった。
『啓蒙の弁証法』は、近代主義や理性主義の恐ろしさを語っていた。
本書によって、近代という、マッチョで単細胞の思考の反作用がポストモダンだったのだと直覚した。
レヴィ=ストロースの構造主義はもとより、デリダの脱構築も、ドゥルーズとガタリのリゾームも、根底にあるのは「反近代」だ。自分なりの見取り図を作れると勇気が湧いてきた。
やがて、この「反近代」が、優れた文学作品には必ず埋まっていることに気づくことになる。=朝日新聞2019年10月23日掲載