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豊田利晃監督が自伝「半分、生きた」を刊行 「映画館は世界の広場。みんなもっと来てほしい」

文:福アニー、写真:有村蓮

映画のためになるならなんでもやりたい

 傍から見ても山あり谷ありの人生を、半分、生きた。まずはここまで生きると思っていたか、率直な気持ちを聞いてみた。

 「ここまで長生きするなんて想像できなかったし、やっぱり若い頃は天才に憧れるから、夭折を夢見ますよね。ジョン・レノンにボブ・マーリー、ラリー・レヴァン……。でも28歳で初めて映画を撮ってから、次の映画を作ることしか考えていないし、年を食うことがリアルにわからないから、生き死にについてそんなに現実的に考えて生きてないかもしれないです。ただ、自分が尊敬する美術家の篠田桃紅がいま106歳なんですよ。なので100歳もいいなってのは最近思いますけどね」

 映画とそれを取り巻く人々への愛情はもちろん、死者への哀しみと旅先で出会った自然への憧憬が胸に迫る本著。死生観をたたえたエピソードを読んで、ちょうど浜田真理子さんの「のこされし者のうた」やビートたけしさんの「嘲笑」を聴いた後のような気持ちになったと伝えると。

 「死生観を感じるのであればそれはこの本の中に入ってるし、俺が作った映画の中に入ってるし、いま口でどうこう言う言葉を持ち合わせてないな。ただ、小笠原諸島で4年間『プラネティスト』の撮影をしてる時に、遠く離れた場所にずっとひとりでいたんだけど、自分の映画の助監督が亡くなったりいろいろあったりして。振り返ってみると、亡くした人がすごく多いなって。それを書き留めたい、残しておきたいっていうのが本を書くきっかけになったことではありますね。

 それからショッキングなことがあった後に旅に出ることが多いのは、うつ病患者がうつを治すには知らない街に行くのが効果的だと言われているように、同じことを無意識にしてるのかもしれません。日本は広いので行ったことない場所がいろいろあるし、知りたいこともいっぱいあるし、なにより旅は楽しいから、そこに向かって移動しているってだけですね」

 もともとは2020年公開予定のドキュメンタリー映画「プラネティスト」の写真集に寄せて書いていた文章。今回、自伝として上梓するに至った経緯やそこに込めた思いとは?

 「新作映画『狼煙が呼ぶ』のキャンペーンの一環ですね。俺は映画のためにしか生きてないので、映画を作った時に書籍があれば、人の目にも触れやすいじゃないですか。お客さんが映画館に来る可能性が一つでも広がるのであれば、そのためにはなんでもやりたいなと思うし」

人生を描くときの最初の出発点は家族

 さかのぼること2019年4月、豊田監督は銃刀法違反容疑で逮捕された。しかし自宅にあった銃は父の形見であり、天皇の近衛兵だった祖父の護身用。すでに錆びついて使えないものだった。9日後に釈放された監督は、そのとき感じた思いを胸に、すぐさま映画制作に取りかかる。異議申し立てを声高にするのではなく、映画監督は映画で返答する。そう考えたからだ。

 そうして2カ月足らずでできたのが、新作「狼煙が呼ぶ」。7月にライブハウスである東京の「渋谷WWW」で初上映、16分だが通常料金、全国37館で一斉上映と、映画の枠組みそのものを揺さぶる試みにもなった。不穏さが増し、閉塞感に満ちた現代日本社会で、映画と観客にどんな希望を見い出しているのか?

 「一つは映画館に映画を観に行くことです。そうすれば映画は変わっていくし。若者の45%が映画館に来ないっていうのは、結構な問題かなと思っていて。そういう時代になってるんだろうけど、映画館は世界の広場だから。俺なんかの場合はある種の避難所にもなってたからね。どこにでもあったし、人と出会う場所でもあった。俺ができるのは映画を作ることだから、年配の方々だけじゃなく10代、20代の若い子達にも届いてみんなが映画館に集まれば、世の中変わるか変わらないかわからないけど、風通しは良くなるんじゃないかな。『狼煙が呼ぶ』の上映をしてみて、もうちょっとダイレクトにいろんな表現が人に届けられればいいなって思いましたけどね。

 いまの世の中が窮屈になってるのは、端的に想像力がないからでしょ。頭を使わないっていうか。でも俺が98年に『ポルノスター』を撮って、『閉塞的な社会を打ち破る』みたいな形で喧伝された時に、ソウル・フラワー・ユニオンの中川(敬)さんが『閉塞感のある社会っていう言葉自体がもう古い』って言ってたぐらいで。それがいまだに言ってんのかって、マスコミやものを書く人の想像力のなさ、言葉の作らなさ、そういう一つひとつが問題になっているんじゃないかなとも思う」

 「狼煙が呼ぶ」で見下ろす都庁と新国立競技場、「ポルノスター」と「モンスターズクラブ」で横切る渋谷スクランブル交差点、あるいは「ナイン・ソウルズ」で佇む東京タワー。豊田監督にとって「東京」とは?

 「東京に30年暮らして思うことは、良いところもあれば悪いところもある。問題の塊でもあるけど、人に助けられることもあるし、人との出会いもあるし。『人が集まる場所』であるのは確かですよね。映画やイベントが気軽に観られるという意味では、東京は本当にいい街だよね。俺も大阪にいたとき、あっちにはミニシアターが少ないから、東京に映画観に来たりしてたしね」

 豊田作品の中で挫折と再生が描かれる時、家族、血と暴力、銃と刃物というモチーフが選ばれるのはなぜなのか。

 「人生や集団を描くときに、やっぱり家族っていうものは常にそこにあるから。最初の出発点じゃないですか。作品に通底しているのは必然だと思いますよ。それはなにも俺の映画だけじゃなくて、どんな映画もそうなんじゃないかな。黒澤(明)さんしかり、小津(安二郎)さんしかり、バットマンにしたって家族の話ですよね。家族があるから自分がいる。会社にしろ友達にしろ、人が集まれば擬似家族のようになりますしね」

 スローモーションや真正面から人物を捉えるさまが印象的でもある豊田作品。その動きや表情から感情が立ち上がってくるが、なかでも気に入っている場面を教えてもらった。

 「それはもう『狼煙が呼ぶ』の、渋川清彦が出てくるところです。いつも最新作が一番いいと思ってるし。高速度撮影はそんな意味はないよ。なんとなく自分の感性なんで」

 そもそも監督は、9歳から17歳まで将棋奨励会に所属していた将棋少年。その時の体験をもとに、21歳で阪本順治監督の「王手」の脚本を手がけ、映画界にデビューした。映画監督になったのはたまたまだというが、将棋と映画、それぞれの魅力と通底するところは?

 「将棋と映画は全く違うもんです。将棋は将棋だし、映画は映画。ただ、江戸時代から続くいろんな将棋指しがいて、いろんな戦いがあって、その戦いで描かれてるようなことは今の自分の映画とも通ずるものがあるし。将棋はただのゲームじゃないんだよ。心の読み合いっていうか、メンタルのボクシングみたいなもんなんだ」

好きなことを誠実にやればいい

 先日、シネマート新宿で行われた「新宿のろし一揆!!!」(「狼煙が呼ぶ」の上映、監督とキャストのトークショー、豊田監督のVJと照井利幸さんのライブという複合的なイベント)も大いに盛り上がりを見せた。そのVJが、「モンスターズクラブ」の終わりに朗読される宮沢賢治の「告別」から始まったところにグッときたので、宮沢賢治との出会いについて聞いてみた。また、ずっと好きな本と最近おすすめの本は?

 「宮沢賢治の『告別』に関しては、岩手県の花巻にある宮沢賢治記念館に行った時に、その壁に『告別』の詩が書かれてて、まるで自分のことのようだなと思って。どこで、いつのタイミングで書いたのかとかいろいろ調べて、すごく気になった詩なんですよね。それでたまたま『モンスターズクラブ』の世界観に合ってたんで、それを使ったんです。ようは天才はいっぱいいるんだから、その中でも日々努力しないと駄目だぞというようなことを、宮沢賢治がある一人の生徒に向かって書いた詩ですよね。それは自分に引き当ててみても思い当たる節もあるし、すごくリアルな詩だと思いました。

 あと、夏目漱石はずっと好きですね。『モンスターズクラブ』でも瑛太に『草枕』の一説を読ませましたし。最近だと、マヒトゥ・ザ・ピーポーの『銀河で一番静かな革命』がよかったな。背表紙めくったところに『通達』が書いてあったのがいいよね。そのことをOLEDICKFOGGYの伊藤(雄和)に教えられて、『マジですか』って家帰ってすぐ開きました(笑)。本以外だとYOSHIROTTENってアーティストもいいし、ラーメン屋無垢もいいし、CANNABISって原宿のセレクトショップで働いてるHIMAWARIちゃん周辺の連中も。世の中的にどうかはわからないけど、俺の周りの若者は元気いいし、パンチ効いてるやつ多いよ」

 またイベントのトークショーの際、切腹ピストルズ(「狼煙が呼ぶ」の音楽担当)の隊長・飯田団紅さんが豊田監督のことを「巻き込み力がすごい」と言っていた。『半分、生きた』の出版元であるHeHeの中村水絵さんも監督とは25年来の仲。末永く人間関係を続けるコツ、教えてください!

 「好きなことをやればいい。自分の好きなこと、たとえばカメラ撮るとか音楽やるとか、そのことだけは誠実にやってると、いい関係は生まれてくるんじゃないかな。俺もそんな人に自慢できるような人間じゃないけど、映画作りに関してはすごく誠実にやってるし、それを貫いていたら運よく映画を撮り続けてこれたから。

 『狼煙が呼ぶ』を作る時だって、時代劇撮りたいからって和楽器の切腹ピストルズに声かけて、(松田)龍平に映画やるぞって言って。映画があるから関係が続いてるだけで、もし映画がなかったらそういう関係はないです。だから本当に若い人達にも、好きなことをやりたいように、行きたい場所に行きたいように行ったらいいって伝えたいですね。そのことに関しては誠実に、純粋になれると思うし、それを貫いてもらえれば世界が広がっていくような気がします」

 豊田監督の不屈の精神を支える原動力とは? また、映画を作りたいと思っている人、創作を志す人に必要なものを聞いた。

 「自分の原動力は、一本の映画を撮りたいって、ただそれだけですよ。映画一本撮ったら、やり残したことややれなかったことがあって、次はこういう映画が作りたいって。そのときに人を動かすものは、いい脚本。だから日の目を見ないものもあるかもしれないけど、脚本は書き続けてますね。

 これから映画を作りたい人に必要なものは、謙虚さと度胸。映画はとくにひとりの力では作れないし、いろんな人の力を借りないと成立しないんですよ。お金集めも宣伝も、関係性の中でしか物事を進められない。なので、ものづくりに関しては誠実であることが重要。それだけは裏切らないように謙虚さを持って挑んで行けば、道は開けるんじゃないかなと思います」