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相沢沙呼さんが思春期に心震えたアーティスト・坂本真綾 自分の心を暗闇から救ってくれた

 実は、音楽とは縁遠い生き方をしていた。

 今回のエッセイを書くにあたり、第二回目のテーマである〈音楽〉について十代の頃を思い返してみると、自分の青春には音楽を聴くことへの情熱が欠けていたのかもしれないな、と思い至った。もちろん、まるでぜんぜん音楽を聴いてこなかったわけではない。それでも記憶を掘り起こしてみると、僕にとっての〈音楽〉は、何かしらのものに付随して世界観を補完するものに過ぎなかった。すなわち、アニメやゲームの主題歌、BGMといったふうに。まずは主となる別メディアの作品にハマって、その作品を通して音楽を知っていく、という具合だった。

 だから、特定のアーティストに惚れ込んだことは殆どなく、それは今となってもあまり変わらないような気がする。

 そう、たった一人のアーティストを除いては――。

 坂本真綾さんは、僕が十代後半に耳にしたアーティストだ。

 彼女は声優として活動しているけれど、僕が初めて耳にしたのは、アーティストとしての彼女の歌声の方が先だった。

 とあるきっかけで聴いた「マメシバ」という曲が、僕の心を震わせた。そのときの感情を、正確に表現するのはとても難しい。歌声は透明感がありキュートですぐに聞き惚れてしまったし、軽快で疾走感のある曲調はすぐに耳に馴染んでいった。けれど、それよりもなによりも印象的だったのは、その歌詞だった。そこで歌われる歌詞は、少年だった僕の中でなにかの化学変化でも起こしたみたいに、激しく感情を掻き乱しながら、内側に眠っていた感性を強く刺激して、新しいものを目覚めさせていったのだ。

 僕はその自分の中で目覚めたものの正体を確かめようと、何度も何度も同じ曲をループしていたように思う。「マメシバ」は「深い暗闇に迷いこんだ彼を誰も助けてくれない」けれど、「私なら愛しさだけでどんな場所へでも迷わないで走ってゆける」と、大切な人のためにどこまでもまっすぐに走っていく女の子の歌だった。だが、どうやらあのときの僕は、〈誰も助けてくれない彼〉の方に感情移入してしまったらしい。

 誰でもそうだと思うけれど、少年だった頃の自分は、孤独に怯えていたように思う。

 理由のない寂しさに震えて、その苦しみを堪えようと、唇を噛みしめながら、青春をなんとか生き延びようとしていた。

 そんな僕は、間違いなく深い暗闇に迷い込んでいたし、そしてそんな自分を助けてくれる存在がいないのは、残念ながら自明のことだった。

 「マメシバ」で坂本真綾が歌うような、自分の元へとまっすぐに駆けつけてくれる女の子なんて、存在するはずがない。それは、自覚してしまえばちょっとした絶望でもある。だが、それと同時に、少なくともこの歌声を耳にしている間は、ほんの少しだけ救われるような気持ちにもなれる。それは仮初めの虚構かもしれないが、歌声は確かに深い暗闇に迷い込んだ僕を、明るい場所へと連れ出してくれたのだ。

 僕の感情を掻き乱したものの正体は、その〈孤独や絶望や救い〉が、ない交ぜになったものだった。そして、僕はその一つ一つのピースに自分の感性を強く刺激された。特に、最後の〈救い〉——。坂本真綾の歌声は、仮初めかもしれないが、自分の心を暗闇から救ってくれた。「マメシバ」だけではない。他のあらゆる曲に、暗闇に怯えていた自分を救ってもらえた。救いというのは、とても美しいものだな、と強く感じた。

 だとするならば、僕にも、僕にしかできない方法で、同様のことができるかもしれない。

 誰も助けてくれないのなら、助けに行くことができるのは、自分自身だけだ。

 僕は、既にその頃から小説を書いていた。

 基本的に、作品のスタンスはそのときから今まで、ほとんど変わっていない。

 いつも、誰かの傍らに寄り添う作品を書けたら、と願っている。

 自分は暗闇に迷い込んだ経験があった。その苦しみや孤独を知っている。そして、そこに救いを見出すことができることも実感していた。それならば、あとはそこへ、たとえどんなにか細いものであっても、どうにか光を届けるだけでいい。

 僕の作品のスタンスは、きっとそのときに定まったのだろうと思う。

 ライブに行くまでハマったアーティストは、やはり今であっても坂本真綾さんただ一人だけだ。

 彼女の歌声ほど多くの人たちを救うことはできないかもしれないが、僕もほんのひととき、誰かの傍らに寄り添える作品を書けたら良いな、とずっと願っている。