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謎めいた3文字に秘められた〝土俗の闇〟 碩学・高田大介にしか書きえない伝奇ミステリー「まほり」

文:朝宮運河

 最近は映画でも小説でも、タイトルが長く説明的になる傾向があるようだが、本書は極めてシンプルである。『まほり』(KADOKAWA)、たった平仮名3文字だ。壮大な異世界ファンタジー『図書館の魔女』でその名を轟かせた高田大介待望の新作は、謎めいた3文字の言葉をめぐって展開する、恐ろしくも知的興奮に満ちた伝奇ミステリーだ。

 妹の転地療養のため、家族とともに田舎に引っ越してきた中学生の長谷川淳。夏のある日、彼はたった一人で深山を踏み分け、沢を登っていた。渓流の魚を釣り上げて、彼を「都会もん」扱いする土地の子を見返してやるためだ。
 釣り場で息を殺し、山女魚を待ち伏せていた淳は、場違いな下駄の音を耳にする。おそるおそる顔を上げると、すぐそばに赤い着物姿の少女が佇んでいた。「この世ならぬ風情」をたたえた少女は着物の裾をめくって川で小用を足すと、鼻緒の切れた下駄を残して去っていった。

 一方、大学で社会学を専攻する勝山裕は、同ゼミの学生たちからグループ研究を手伝ってほしいと頼まれる。テーマは「都市伝説の伝播と変容」。口裂け女やトイレの花子さんなどの噂を取りあげようというものだ。
 話し合いを兼ねた飲み会の席で、とある山間の田舎町に「二重丸」マークを記した紙が無数に貼られている、という怪談めいた逸話を聞きつけ、裕は興味をいたく惹かれる。偶然にも舞台となっているのは、彼の出身地である北関東T市の近郊。すぐさま帰郷した裕は、図書館で働く旧友・飯山香織や地元研究者の協力を得ながら、「こんぴらさん」(琴平神社)という神社名を手がかりに、噂の真相に迫ってゆく。裕がこの逸話に執着するのは、彼自身のルーツと関係があるように思えたからだ。
 深山での少女との遭遇と、亡き母につながる都市伝説の探究。まるで泉鏡花の小説を現代に置き換えたかのような2つのエピソードは、やがてひとつに重なり、サスペンスフルな物語を形作ってゆく。里の者とは付き合わない「山向こう」の集落に潜む秘密とは? そして謎めいた単語「まほり」の意味とは?

 分厚い本(500頁近くある)を開いてすぐに気がつく特徴は、豊富な語彙力に支えられた、古めかしくも魅力的なスタイルである。

「射干玉(ぬばたま)の黒い髪は肩ほどの長さに乱れ、藪を引き分けてきたのだろうか羊歯(しだ)の葉が後ろ髪に絡みついて下がっていた。後ろ姿からすると淳と同じほどの年格好と見えた。/淳は、すわ妖怪かと窺った渓流の瀬にこのような際物めいた出で立ちの少女を目にして啞然として立ちすくんでいた。言葉もなかった。」

 こうしたつい声に出したくなるような名調子が、膨大な古文書をベースにくり広げられる神社仏閣の考証と相まって、読者をいつしか胸躍る伝奇ロマンの世界へ誘ってゆく。海外の路地裏まで簡単に検索できてしまう昨今、〝周囲から隔絶された集落〟をまことしやかに描くのは至難の業だが、比較言語学者でもある著者は「書かれた言葉」に徹底してこだわることで、それをクリアしてみせた。

 物語の重要な一部、というより根幹をなしているのが、古文書を読み解きながら進められる裕の学術調査パート。これがなんとも詳細、かつ実証的だ。古文書の写真版まで掲載されており、ミステリーというよりアカデミックな歴史読み物を読んでいるような印象すら受ける。この過剰さを長所と取るか欠点と取るかで評価は大きく分かれそうだが、私は断然長所だと思った。
 歴史資料を恣意的に読み解くことの危険さ、噂に潜む差別的なまなざしを指摘しながらも、常識的な結論に帰着するのではなく、あくまで〝土俗の闇〟へと肉薄してゆく。この絶妙なバランス感覚に、学者と作家の二足のわらじを履く著者の気概を感じた。少なくとも本書は、碩学・高田大介でなければ書きえなかった小説である。

 近世の闇が凝固したような「まほり」の真意はもちろん、幕切れもなかなかに衝撃的。すべての発端となった「二重丸」の都市伝説の薄気味悪さにも、心底興奮させられる。ミステリーファンは言うまでもなく、怪談や幻想文学の読者にも全力でおすすめしたい、この冬必読の問題作だ。