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宮内悠介さんが幼少期にアメリカで見たアニメ「ガジェット警部」 断片的な記憶のなかで広がる想像

 学校に行かなければならないから、途中までしか観られなかった。あるいは、学校から帰ってきたころには、途中からしか観られなかった。どちらかであるはずなのだが、いま、そのどちらであったのか思い出せないことが悲しい。

 小学校低学年当時、テレビで放送していたアニメ「ガジェット警部」のことだ。家の都合で渡米し、ニューヨークのウクライナ人街のアパートに落ち着いたばかりのことだった。部屋の壁は白だったか青だったか、リビングの天井あたりに、古いガス灯がペンキで塗りこめられていた。ぼくは奥の小部屋を割り当てられ、ダウンタウンの現地校に通う暮らしがはじまった。そんななか、テレビで放送されるアニメは楽しみの一つだった。
 主人公のガジェットは不慮の事故で死亡したのち、サイボーグとして復活した警部――というのは、いま調べてみてはじめてわかったこと。小さかったぼくはまだ英語も身についておらず、ただ絵や音の雰囲気のみでアニメを楽しんでいた。警部が頭から出てくるプロペラで空を飛んだり、スプリング状になった足でジャンプしたりするのを見ているのが、ただ楽しかった。

 残念であったのはやはり、一編を通して観ることができないことだった。朝食のシリアルを食べながら、最後まで観させてほしいと母に頼んだような記憶があるので、あれは朝の放送だったのだろうか。ただ、これはなんとなく偽の記憶であるような気もする。
 断片的にしか観られないので、自分のなかで想像が広がっていく。また、飢えのようなものが芽生えるのも大きい。気がついてみれば、どんな話であるかもわからないのに、「ガジェット警部」はぼくの深いところに強く焼きつけられることとなった。

 しかし考えてみれば、いまではちょっと考えられないような話だ。ストリーム配信の類いがなかったのはもちろんのこと、当時の我が家には、ビデオデッキすらなかったのだ。ある作品が「記憶のなかで美化される」ということ自体、昔のことになりつつあるか、少なくとも変質しつつあるのかもしれない。
 たぶんいま、当時の「ガジェット警部」を観ようとするなら、アクセスは容易だろう。けれど、ぼくはそれをしたいと思わない。もしいま観てしまえば、きっとなんらかの魔法が解けてしまうだろうし、観られなかったものは、観られなかったままにしておきたい。なんとなく、未練を抱えたまま、そこに置いておきたい気がするのである。何事も、未練があるくらいがちょうどいいからだ。