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吉本ばななから澤村伊智まで平成の怪奇小説を一望 東雅夫さん編纂の画期的アンソロジー「平成怪奇小説傑作集」

文:朝宮運河 写真:山田秀隆

――「平成怪奇小説傑作集」がシリーズ刊行開始直後から、大きな話題を呼んでいます。

 ありがたいことにセールス的にも好調で、すでに1巻と2巻は版を重ねています。ネット上には熱い感想コメントが多数投稿されていますし、1巻の全収録作を詳細に読み解くネットラジオまで登場して、嬉しいやら驚くやら……。私も長年アンソロジーを編んできましたが、ここまで打てば響くような反響があった本は初めて。読者それぞれが自らの平成をふり返りながら、収録作を楽しんでいただけているようです。

――平成の怪奇小説を一望するアンソロジー、という企画はどのように生まれたのですか。

 昨年末に30号で終刊した怪談専門誌「幽」で、「平成怪談、総括!」という特集を組んだんです。「幽」も「平成」も30で終わる、キリがいいや~、と(笑)。その中でこの30年余の間に書かれた怪談文芸・怪奇小説を網羅する詳細な年表(東雅夫編「平成怪談文芸年表&『幽』の軌跡」)を作ったのですが、その作業を進めているうちに気分が高揚してきてですね(笑)、アンソロジーの形で平成の怪奇小説を展望するのも意義があるんじゃないかと思ったんです。社会的にも平成史をふり返るブームがありましたし、ちょうどよいタイミングではないかなと。

 もうひとつの理由として、創元推理文庫が今年60周年を迎えて、「記念になるような企画を」と打診されたこともありました。創元推理文庫では15年ほど前、明治から昭和の終わりまで、日本の怪奇小説の系譜を辿った「日本怪奇小説傑作集」という3巻本のアンソロジーを、紀田順一郎先生とともに編んでいるんです。最終巻のラストに1編だけ(高橋克彦「大好きな姉」平成5年発表)平成生まれの作品を入れて、まるで今回のアンソロジーを先触れするかのような(笑)構成になっていた。そこで今回、平成元年からスタートするアンソロジーを作れば、繋がりがいいんじゃないかと考えたんですね。

――しかし30年間に書かれた怪奇小説を読破するだけでも、大変な作業ですよね。

 幸いなことに私は平成の初頭から今日にいたるまで、雑誌上で怪奇幻想小説の時評連載を続けてきました。つまり30年間にわたって、このジャンルを定点観測する立場にあったんです。しかも平成後半は「幽」の企画・編集者として、怪談文芸の隆盛を後押しし、新しい作家や作品が世に出るお手伝いを微力ながらしてきました。ある意味このアンソロジーを編むには適任かな、とも思ったのですね。

――収録されているのは、平成元年から30年にかけて書かれた怪奇小説48編。作品セレクトにあたってどんな点を重視しましたか。

 まずクオリティ重視で一作家一作品に厳選すること。しかも編年体、つまり掲載を作品の発表順とすることで、平成怪奇小説の変遷を辿れるようにしました。加えて、平成という時代の特質をどこかに感じさせる作品であること。収録作には宮部みゆきさんや木内昇さんによる時代小説や、篠田節子さんによる近未来小説も含まれていますが、そこには平成特有の空気が巧みに捉えられていると思います。

――「どうしてもこれは入れたい」と考えていた作品はありますか?

 収録作すべてが「どうしても入れたい」作品ですね(笑)。もともとはこの何倍も候補作があったんですが、一作家一作品と編年体という縛りによって相当ふるいに掛けられたんです。
 しかしあえて時代とのアクティヴな関わりで言うなら、高橋克彦さんの「さるの湯」(第3巻所収)でしょうか。高橋さんには怪奇小説史に残る傑作がいくつもありますが、東日本大震災を受けて書かれた「さるの湯」は、東北で生まれ育った高橋さんの切なる思いがこもっていて、特別な作品になっていると思います。鈴木光司さんの「空に浮かぶ棺」(第2巻所収)は、平成ホラーの象徴的存在とも言える〈山村貞子〉が登場する作品なので、落とせないな、と。この作品に漂う奇妙な浮遊感も、バブル崩壊後の世相を感じさせるものですしね。

――それにしても目次が豪華ですね。小川洋子さん、川上弘美さんら純文学系の作家がいる一方で、宮部みゆきさんや恩田陸さん、京極夏彦さんらエンタメ系の作家も並んでいて。

 我ながら壮観ですよね(笑)。京極夏彦さんがいつもおっしゃっているように、怪談や怪奇小説というジャンルは書き手にとって難易度が高いものなんです。「文学の極意は怪談である」という有名な言葉がありますが、小説家として力量のある人が、やはり優れた怪奇小説を残している。錚々たる作家陣が並んでいるのは、いわば必然でもあるわけですね。

 今回、純文学かエンターテインメントかといった既存のジャンル分けは、あえて無視するようにしています。これはあちこちで書いていますが、私がアンソロジーの面白さに開眼したのは、澁澤龍彦さんが編纂された『暗黒のメルヘン』。泉鏡花や石川淳、夢野久作や小栗虫太郎といった澁澤さん好みのスタイル(文体)を持つ作家が、ジャンルの区別なく選ばれている名アンソロジーです。あの姿勢には、アンソロジストとして多大な影響を受けていますね。今回選んだ50名弱の作家たちも、ジャンルを問わず当代きってのスタイリストであることは間違いありません。それと願わくは、読者の皆さんが、自分がふだん読まない分野の作家作品に目を向けてくださる一助となれば嬉しいかな、と。

――第1巻の冒頭に収録されているのが、吉本ばななさんの「ある体験」。吉本さんと怪奇小説という取り合わせには、やや意外性を感じます。

 一般には『キッチン』などのイメージが強い吉本さんですが、デビュー当初から一貫して、見えない世界に惹かれる志向性があるように思います。そうした傾向が端的に、エモーショナルに表れているのが、“平成版イタコ小説”とも言える「ある体験」ですね。
 怪奇小説というジャンルには、その作家の本質的な部分を露わにする性質があると思うんですよ。「ある体験」と並べて収録した菊地秀行さんの「墓碑銘〈新宿〉」は、叙情的なタッチで綴られた都市幻想譚。こちらは過激な伝奇バイオレンスで一世を風靡した菊地さんの、意外な素顔に触れることができるでしょう。

――坂東眞砂子さんの「正月女」や加門七海さんの「すみだ川」(ともに第1巻所収)など、日本固有の風土や民俗に根ざした怪奇小説も目につきます。こうした一連の作品を、解説では〈ホラー・ジャパネスク〉と呼んでいますね。

 平成初期に市民権を得た〈ホラー〉が、映像ジャンルの後押しもあって一時は活況を呈するんですが、しばらくして停滞してしまう。その際あらためて注目されたのが、日本固有の恐怖と幻想を追求した、坂東さんや加門さん、恩田陸さんや小野不由美さんらの作品でした。私が当時〈ホラー・ジャパネスク〉と呼んだこれらの動きは、平成後半の怪談ブームへと繋がってゆきます。
 私自身こうした動きの当事者でもあったので客観的に語るのは難しいんですが(笑)、平成怪奇小説には“ホラーから怪談へ”という大きな流れがあるように思います。1999年に岩井志麻子さんが郷里・岡山の土俗の恐怖を描いた「ぼっけえ、きょうてえ」で日本ホラー小説大賞を受賞されたのは、いかにも象徴的な出来事ですよね。

――霜島ケイさんの「家――魔象」(第1巻所収)は、奇怪なマンションにまつわるノンフィクション風小説。実話として怪談マニアの間で有名だった、〈三角屋敷の話〉を扱ったものですね。

 これは霜島さんと加門さんが当事者で、それぞれの視点から体験を公にされています。興味深かったのは、この怪談を読んだ人たちがインターネットの掲示板で交流し、現場のマンションを特定しようと盛りあがったこと。虚構と現実の危ういバランスに位置する「家――魔象」は、平成怪奇小説の特色を示す作品だと思いますね。まあ今回は“小説集”ですから、ストレートな怪談実話作品は対象から外していますが、そのかわり浅田次郎さんの「お狐様の話」(第2巻所収)や、京極夏彦さんの「成人」(第3巻所収)など、実話と創作のボーダーに位置する作品は、各巻それぞれに収めています。

――3冊それぞれ異なるカラーがありますが、第3巻には2011年に発生した東日本大震災の影響が色濃いですね。

 それは自分でも意外なほどに。3巻の解説に「死者たちと共に在る文芸」と書きましたが、未曾有の天災によって失われた命に対する慰霊と鎮魂の思いが、3巻の収録作には強く滲んでいると思います。おそらくあの震災を契機として、多くの書き手は「自分はなぜ怪奇小説を書くんだろう」という問いに直面することになった。有栖川有栖さんの「天神坂」(第3巻所収)などは、そうした問いかけへの真摯な答えですよね。

――背筋の凍るような作品だけでなく、奇妙なユーモアを湛えた作品、ノスタルジックで胸に染み入る作品などが収録されていて、怪奇小説の幅広さを感じました。

 だとしたら嬉しいです。私自身が小中学生時代、澁澤さんの『暗黒のメルヘン』や筒井康隆さんの『異形の白昼』など、優れたアンソロジーとの出会いを通して、怪奇幻想文学の虜になった一人なので。アンソロジーこそがジャンル入門への最良のツール、と信じて疑いません。読んで面白いのはもちろん、ジャンルの真髄、最良の部分に触れられるようなアンソロジーを作りたいと、いつも考えています。

――東さんはこれまでに100冊以上のアンソロジーを編纂されているとか。東さんのご活躍によって、近年アンソロジストという職業にも注目が集まっています。

 それについてはつい最近、とても嬉しい出来事があったんです。日本文学研究者の方々との会合の席で、ある先生から、教え子が書いたという私宛ての手紙を渡されました。その生徒さんは十代のある時期、引きこもりになって、生きることにも悲観的になっていたそうですが、私が編んだアンソロジーを読むうちに元気を取り戻して、怪奇幻想文学に開眼、今は高校に復学して大学の日本文学科をめざしているというんです。そうした体験がしっかりした筆致で綴られていて、思わず感涙にむせんでしまいました。アンソロジーを作り続けてきてよかったな、とつくづく思いましたね。

――「平成怪奇小説」全3巻を通読していると“平成は怪奇小説の黄金時代”という思いが湧いてくるのですが。

 そうだと思いますよ。しかし平成に限らず、いつの時代にも幻想と怪奇の文学は盛んに書かれてきました。たとえば明治末期から昭和初期にかけての怪談ブームの盛りあがりは、今見ても本当にすごい。江戸時代の文化・文政年間にしても、文芸・演劇・美術など幅広い分野で、日本怪談史に残るような傑作が多数生まれています。絶えることのない豊かな流れの中で、あえて平成らしい作品をピックアップするとこうなりますよ、というのが、今回のアンソロジーですね。ここに収められた48編を読むことで、平成期の日本で生み出された文学の、もっとも優れた部分を堪能することができる。誇張ではなく、本気でそう思っています。

――ところで気が早いですが、令和の怪奇小説はどうなるとお考えですか?

 それはさすがに分かりません(笑)。出版業界の先行きも不透明ですしね。しかし目に見えない世界を扱う文学は、いつの世も一定の需要があります。怪奇小説が滅びてしまうことは絶対にないでしょう。「平成怪奇小説傑作集」の第3巻には、まだあまり世に知られていない新進気鋭の作家も幾人か取りあげています。そうした人たちが活躍して、令和の怪奇小説を盛りあげてくれることを期待したいし、私も及ばずながら企画編纂者として、また評論家として、微力を尽くしていきたいですね。