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#24 あなたの帰りを待つ、優しい味のおでんとお稲荷さん 村山早紀さん『コンビニたそがれ堂』

文:根津香菜子、絵:伊藤桃子
 「なにを探しにいらっしゃったんですか? なんでもありますので、さあさあどうぞ。ついでにと言ってはなんですが、熱々のおでん、おいしいですよ。あと、今日のお稲荷さんは、とっておきのおいしさですが、お一ついかがです?」「あ、じゃあ、お稲荷さん二つに、おでんを……こんにゃく、牛すじ、にんじん、じゃがいも、と、一つずつ」(『コンビニたそがれ堂』より)

 日に日に寒さが身にこたえるようになってきましたね。こんな時は温かい食べ物が恋しくなります。特におでんは、冷えたお腹と心も温めてくれるように思います。今回は、今やコンビニの定番メニューにもなっているおでんと、ふっくらしたお揚げで作ったお稲荷さんが名物の、ちょっと不思議なコンビニが舞台のお話です。
 風早(かざはや)の街に、夕暮れ時になると現れるコンビニ「たそがれ堂」。ここにやって来るお客様は、猫や人形など、人間だけではありません。大事な探しものがある人だけがたどり着けるというこの店では、銀色の長髪に金色の眼をした店長の三郎さんが、美味しいおでんとお稲荷さんを用意して迎えてくれます。ここに訪れる人たちの探しものにまつわるお話は、どれも切なくて優しく、心温まる物語です。著者の村山早紀さんに、「たそがれ堂」名物への思いなどを伺いました。

コンビニという空間が好きだった

—— まずは、コンビニを本作の舞台にしたきっかけから教えてください。

 元々コンビニが好きだったからです。店内に漂うコーヒーの香りに誘われたり、焼き鳥やおにぎりも美味しいので、つい買ったりすることも多いですね。コンビニには色々な品物が並んでいて、笑顔の店員さんたちが「いらっしゃいませ」と迎えてくれます。お客さまが少ない時だと、ふとした会話が弾むこともありますし、さりげない優しさや気遣いにふれて感謝する時もあります。普段の生活でも旅先でも、そこにコンビニがあるとのぞいてみたくなるんです。特に、暗い夜や初めての街でそこここに明かりをともすコンビニは、灯台のようだと思うことがあります。

——「たそがれ堂」の名物、お稲荷さんとおでんの思い出を教えてください。

 おでんとお稲荷さんは、私にとって郷愁の象徴かも知れません。普段は忘れているけれど、心が帰るところというか。振り返れば静かに待っていてくれる、優しい場所の象徴のような。よそゆきの味ではないですよね。一人で食べるものでもなく、誰かと笑い合いながら食べる、優しい食べ物のような気がします。

 お稲荷さんは「おふくろの味」と言いますか。私にとっては、母が作る素朴なお稲荷さんの印象が強いです。今まであえて言葉にすることはなかったのですが、大好物ですね。それから、羽田空港で売っている「穴守おこわいなり」もかわいらしくて好きなんです。私は子どもの頃から、飛行機と空港、特に羽田空港が好きで、大人になって自由に空を飛べるようになった今の自分のことも割と気に入っているんです。空弁の「穴守おこわいなり」を見るたびに、何か神様から祝福されたような気持ちになります。

 おでんは庶民的な食べものですが、我が家で食べる時は、とびきり美味しいご馳走の一つのような気がします。よくよく考えてみると、おでんの具材に入っている練り物や卵、牛すじ、野菜のあれこれだって、決して高価なものではないですよね。もっと高級なものも、一流の味もいくらも知っているはずなのに、我が家でいただくおでんは「なんて心弾む料理なのかしら」と改めて考えると、不思議に思います。やはり家族で囲む暖かな情景と、幾多の思い出がそこにあるからなのかも知れませんね。

——「とっておきのおいしさ」と言う「たそがれ堂」のお稲荷さんはどんな味なんだろう……と想像すると、勝手に口の中が甘辛い味で充満してきます(苦笑)。本シリーズに限らず、村山さんの作品では食べ物がとても美味しそうに描かれていますが、これまでに読んで印象的だった「美味しそうな食べ物が出てくる物語」を教えてください。

 まずは『小公女』(フランシス・ホジソン・バーネット)に出てくる、屋根裏部屋に届けられた不思議なご馳走でしょうか。子どもの頃、この作品の主人公、セーラ・クルーが大好きだったんです。賢くて空想が好きで、誇り高いセーラは憧れでした。そんなセーラが辛い目にあっている時、屋根裏部屋に奇跡のように届けられるご馳走は、我がことのように嬉しくて心ときめきました。もう一作は、やはり子どもの頃に読んだ、オー・ヘンリーの短編『緑の扉』のご馳走も忘れがたいです。今にも飢え死にしそうな、見知らぬ若い娘のために、優しい若者が買ってきて部屋に広げたローストチキンや熱い紅茶、ロールパンにケーキも美味しそうでした。この二作に共通する要素は、屋根裏部屋に誰が届けたかわからないご馳走も、見知らぬ娘との運命的な出会いも、本人達は魔法の力が働いたように思っていても、本当はそこに「奇跡」は存在しなかった、という設定でしょうか。どちらも人の優しさや善意、小さな冒険心が不思議を引き起こす、そんな物語です。私は大人になった今も、そういう物語が好きで自分でも書いたりしていますので、子どもの頃から好みが変わっていないんだなと思います。

——「たそがれ堂」の店長・三郎さんは、おでんとお稲荷さんにどんな思いを込めているのでしょうか。

 三郎さんは狐の神様です。「お兄さん」と書いてはいますが、何しろ神様ですから、性を超越した存在なのかと思わなくもありません。私がこの物語を考える時、店長さんが風早の街の人々を見守るまなざしに、どこか母の愛のような果てしない受容と優しさを感じることがあります。お店のレジカウンターの中にいて、おでんの鍋を温める時や美味しいお稲荷さんを用意する時、きっと三郎さんは子どもたちの帰りを待つ母のような気持ちになっているのかも知れないな、なんてふと思いました。