江戸が東京へと変わるころ、武士のみならず、能楽師もまた時代に取り残されていた。作家、澤田瞳子さんの新刊『名残の花』(新潮社)は、古代史小説を足場とする著者が、初めて明治時代を舞台にした連作短編。大名に抱えられ「武家の式楽」とも言われた能の受難と、逆風のなか生きる能楽師たちの姿を描く。
「明治維新はえらい目に遭った人が大半」奮闘の日々描く
主人公は、かつて幕府の酷吏で、「妖怪」とあだ名された鳥居耀蔵(ようぞう)(胖庵〈はんあん〉)。失脚後、二十数年にわたる幽閉のさなかに元号が改まり、市井に戻ってからも、移り変わる世をながめては「嘆かわしい」と心中で繰り返す。そんなある日、日課である散策の途中で若き能楽師と出会う――。
徳川の後ろ盾を失った能は、厳しい冬の時代を迎えていた。「ついこのあいだまで旗本御家人の身分だった人たちが、流浪の生活を強いられる。武家に寄り添っていたがゆえに大変だった人たちは大勢いた。それで何か書けないかなと」
能との出会いは高校のとき。古代史への興味から、奈良時代にルーツがある能へとたどり着いた。大学では能楽部に所属。謡(うたい)と仕舞を先輩に習いながら、囃子方(はやしかた)の能楽師のもとへ笛と大鼓の稽古に通った。
「日本の文化は、見立ての文化。それをぎゅっと濃縮したのが能なんです」。波にウサギで『竹生島(ちくぶしま)』、寺鐘にヘビで『道成寺』など。「能を知っていると、絵画やお茶碗(ちゃわん)の見立てがよくわかる」。「平家物語」や「源氏物語」といった古典にも材をとっているため、「文化のさらに奥深くへ入っていく入り口にもなると思います」と話す。
胖庵も能楽師も、幕を開けたばかりの新時代では同じく日陰者だった。「明治維新で日があたるようになった人は本当に一部で、知らないあいだにトップが代わって、えらい目に遭った人が大半です。だけど、それでも生きていかなきゃいけない。そこの部分が書ければと思いました。そういう人たちが、ほんとうは日本の歴史を作ってきたはずなんですから」(山崎聡)=朝日新聞2019年11月27日掲載