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恩田陸の最新短編集「歩道橋シネマ」書評 不穏さみなぎる怪奇幻想のバラエティ・パック

文:朝宮運河

 『歩道橋シネマ』(新潮社)は恩田陸の最新短編集。ノン・シリーズ短編を集めた本としては、2012年の『私と踊って』以来、実に7年ぶりとなる。『蜜蜂と遠雷』で直木賞と本屋大賞をダブル受賞した時期を含む、恩田陸近年の軌跡を辿ることができる一冊だ。

 著者自身、「今回はややホラー寄りのものが集まった気がする」(あとがき)と述べているとおり、本書はこれまでの短編集に比べてホラー色が強い。たとえば「風鈴」と「ありふれた事件」は、いかにも怪談らしい展開で楽しませてくれる作品。前者は祖父の家の風鈴が不吉な出来事を知らせるという物語で、著者が美容師から聞いたというシチュエーションが、生々しい怖さを際立たせる。
 後者では銀行で発生した立てこもり事件が、関係者の証言によって再現される。冒頭はそれこそ〈ありふれた〉事件に過ぎないのだが、立てこもり犯が人質に向かって、「さあさあ、遊ぼうぜ、日が暮れるまで遊ぼう」と言い始めるあたりから、にわかに不穏なムードが立ち籠め、怪談の王道とも言えるショックシーンが訪れる。活字でも怖いが、朗読したらもっと怖そうだ。あるいは「球根」では閉鎖的な学園にまつわる秘密が、「あまりりす」では山中の神社に潜むものが、独特の黒いユーモアを交えながら描かれている。

 これらのストレートな怪異譚に作品に加え、本書には風景からインスパイアされたとおぼしい一連のエッセイ風小説がある。「線路脇の家」は、電車の窓から見える古い洋館にまつわる物語。その家の窓辺には鳥籠がかかり、同じ部屋にいつも奇妙な3人の男女の姿があった。最後まで読み進めると、現実的な理由が明らかになるのだが、それでも作品全体に漂う不穏なムードは特筆もの。タイトルの由来となったエドワード・ホッパーの絵画のように、恩田陸のセンサーは日常が隠している禍禍しさを露わにしてゆく。
 巻末の「歩道橋シネマ」は、そんな著者の手法を象徴するような表題作。ビルの壁とトンネルの天井、大きな管。それぞれ離れて存在する4つの直線が、映画館のスクリーンのように見える場所があるという。そのポイントをついに探し当てた主人公は、長方形の枠内にこの世ならぬ映像が映し出されるのを見る。
 ノスタルジックな風景が異界の扉となって、あちらとこちらの世界を結ぶ。その一瞬を、恩田陸は物語に仕立て上げる。タクシーの窓から回転している少年を見かける「皇居前広場の回転」、コンサートホールで外国人青年が静かに座っている「楽譜を売る男」なども、風景によって紡がれた幻想譚だ。

 18の収録作には、水玉の日傘を差した男をめぐる本格ミステリー「降っても晴れても」、未来での曲解されたクリスマスが描かれるコメディ「柊と太陽」、人気長編『麦の海に沈む果実』のスピンオフ「麦の海に浮かぶ檻」など、さまざまなジャンルが含まれている。いずれも〈奇妙な味〉で楽しませてくれるが、やはり本書を特徴づけるのは(そして怪奇党の心を躍らせるのは)、不穏さに満ちた「線路脇の家」のような作品だ。
 昨今の出版事情を受け、こうしたノン・シリーズ短編集は減少傾向にあるようだが、多彩なイメージに触れられる読書体験にはやはり得がたいものがある。諸作家の短編集をもっと読みたい、とあらためて感じた次第。少なくとも恩田陸の次の短編集が7年後、なんてことだけはないように祈りたい。