「ヒッキーヒッキーシェイク」の評判から復刊へ
――1997年に刊行されたホラー小説『妖都』は、それまで少女小説家として活躍されてきた津原さんが、初めて一般向けに発表した長編です。執筆の経緯は?
これはちょっと変わった経緯をもつ作品で、親しい脚本家の小中千昭さんから“死者が徘徊する東京”という共通する世界観を使って、競作をしないかと声をかけられたんです。小中さんのシナリオが『屍都』で、僕の小説が『妖都』。タイトルも含め、2つの作品が響き合うような競作になるはずだった。結局そのプロジェクトは頓挫してしまうんですが、僕は発表のあてもないまま『妖都』を書き続け、一年以上かけて完成させました。
小中さんはもっとライトノベル寄りのものを想定していたみたいですけど、書いているうちに少女小説時代に抑えつけられていたものが噴出してきて(笑)、既存のジャンルから逸脱するような作品になりましたね。
――刊行当時のことは私もよく覚えています。金子國義さんが装幀・装画を手がけたオレンジ色の単行本は、書店でも独特の存在感を放っていました。
不思議と吸引力のある作品だったんですよね。書き上げた原稿は小中さんと、バイクの描写についてアドバイスしてくれた綾辻行人さんにメールで送っただけでしたが、それが金子國義画伯の装画を得て、講談社から刊行されることになった。よくもまあこんな“得体の知れない作品”に、皆さん付き合ってくれたものだなと感謝しています。
金子画伯には僕が直接お願いに行って、装幀まで手がけていただくことになりました。今回のハヤカワ文庫版では4年前に亡くなった金子画伯の追悼の意をこめて、単行本のデザインを踏襲しています。デザイナーさんには「金子さんが生きていたらどう判断するか」を基準にデザインしてもらいました。
――それが今年になって、ハヤカワ文庫から復刊されたのはなぜですか。
僕の『ヒッキーヒッキーシェイク』を文庫にしてくれた早川書房の塩澤さんという編集者が、ぜひ出そうと言ってくれたんです。彼は『ペニス』という初期作品を文庫にしたいとずっと言っていたんですが、今年『ヒッキーヒッキーシェイク』が評判を取ったことで、その話が現実的になってきた。
『妖都』『ペニス』『少年トレチア』の3作を連続刊行することになったのは、早川書房の意向ですね。『妖都』は過去に一度文庫になっているし、無理して出すこともないかなと思っていたんだけど、蓋を開けてみると広く読まれているようです。考えてみれば、講談社文庫版が出たのもずいぶん前ですからね。
大都市・東京は一種の自殺システム
――霊感のある女子高校生・周防馨は、東京の街中に多くの“死者”が紛れこんでいることに気づきます。一方、山梨の実家を離れ、東京で一人暮らしをしている大学1年生の鞠谷雛子は、夜な夜な生きた死体に襲われるという悪夢にうなされていました。作品冒頭から、濃厚な死と滅びの気配が漂ってきます。
幽霊でもゾンビでもない“死者”が、東京をさまよって人びとを襲うというアイデアは、小中さんから出てきたものです。それもあって、冒頭はいかにもホラーっぽくなっていますね。死者って何だろうということは、原稿を書きながらずいぶん考えました。死んでいるのに動き続けて、災厄をもたらしながら、増殖してゆく存在。病気、宗教、思想、色んなもののメタファーなんだろうと思います。見慣れた風景の崩壊が、この作品のひとつのテーマでした。90年代に日本人が享受していた日常は、いともたやすく崩壊してしまう。当時としては予見的な小説でしたけど、現代の目で読むとむしろリアリズムに思えるかもしれない。
――都内各地で頻発する怪異は、自殺を遂げたロックミュージシャン・チェシャと関係があるらしい。謎を追う馨と雛子は、より深い闇へと呑みこまれてゆきます。モダンホラーの王道的な導入部ですが、ホラーというジャンルはどの程度意識されていたのでしょうか。
あまり意識していませんでしたね。90年代後半はホラー小説がブームでしたけど、キリスト教的な観念を持たない日本人が欧米風のホラーを書くのは、ちょっと無理があるだろうと思っていました。スティーヴン・キングの影響を受けた作品にしても、キングの持つ社会派的な側面がすっぽり抜け落ちていたし、日本独自の発展を遂げたホラーが流行っているな、という印象でしたね。
――東京という都市の孕む闇も、物語の重要な要素ですね。滅びの舞台に東京を選んだのはなぜですか?
当時の東京を見ていて、「滅びるならここからだろうな」という予感があったんです。僕は大学でヨーロッパの都市経済を学んだこともあって、都市論に興味があるんですが、大都市って一種の自殺システムだと思うんですね。地方から人を吸い寄せて、蟻地獄のように消滅させてしまう。東京も江戸時代からそういう都市です。地方から働きに出てきた人たちが、子供を残さずに一代限りで死んでいくわけですから。
――若者でごった返す渋谷のスクランブル交差点、美しく整備された夢の島など、20世紀末の東京がリアルに描かれているのも読みどころです。
渋谷や世田谷、基本的には自分がよく知っている景色を描いています。唯一取材に出かけたのが夢の島。人工的な芝生が青々と広がっていて、これはこれで東京を象徴する風景だなと思いました。当時を懐かしいと感じる人がいる一方、よく分からないという人もいると思う。東京自体がよく分からない都市なので、当然の感想だと思います。
よく普遍的な物語を書かなければいけないと言いますが、普遍性にこだわり過ぎると、誰にとっても真実味のない物語になってしまう。この小説はあえて時代性を色濃くしているので、90年代東京の記録としても読めるでしょうね。もちろん10年、20年経っても読み返せるよう、古びない風景を選んではいますが。
都市を書くうえで参考にしたのは、久生十蘭(ひさおじゅうらん)の『魔都』という小説。東京のあちこちで同時並行して事件が起こり、それらがひとつに繋がったところで物語が終わる。都市という生き物が身じろぎする一瞬を描いていて、一種の都市論になっています。あの卓抜な構成には影響を受けました。
幻想的な残酷シーンは歌舞伎の影響?
――チェシャをめぐる物語は、後半にさしかかっても拡散を続け、いよいよ混迷の度合いを深めてゆきます。この逃げ水のようなストーリー展開が『妖都』の特色です。
有力な仮説が出てきたと思ったら崩れ、そこからまた新しい仮説が立ちあがっては崩れ、ラストまでそのくり返しなんです。その背後には、分かりやすい起承転結を否定したいという強い思いがありました。悪人を倒してみんなが幸せになりました、おしまい、というハッピーエンドは嘘じゃないかと。少女小説を書き続けるうちに、正しい物語のもつ欺瞞に気づいてしまったんです。もちろんハッピーエンドを書く作家を否定はしませんが、自分は世界がそうじゃないことに気づいてしまった。だったらその地獄を書くしかない、と思ったんです。
――全編、幻想的な残酷シーンが満載ですね。個人的に忘れがたいのが、死体を突き破って軍服姿のチェシャが現れるというシーン。映画などの影響も大きいのでは。
そうでもないんです。映像畑の小中さんと競作していたこともあって、僕は当初から小説でしかできないことを目指していました。影響があるとすれば、むしろ歌舞伎ですね。歌舞伎はこの作品を書く数年前に初めて触れて、人生が変わるほどのショックを受けました。
歌舞伎って名場面の寄せ集めなんですよ。江戸時代は朝から晩まで長いお芝居をやっていて、観客は好きな時に来て、観たいところだけ観ていく。それで十分に面白い。それこそ起承転結なんて知ったことか、という話なんです(笑)。考えてみれば日本の古典作品で、起承転結があるものの方が珍しいですよね。『妖都』は明らかにそういう構成を意識しています。鶴屋南北ばりの残酷な場面を、思いつくままに連ねてゆく。車のボンネットに載った生首が、血でずずっと滑り落ちるシーンなんて、自分でもよく書いたなと思います(笑)。
――馨や雛子のみならず、数多くのキャラクターが『妖都』の語り手となります。特に後半から登場する男子中学生・阿南洋は、物語のキーパーソンです。
たとえば雛子の視点に限定してしまうと、それは雛子にとっての物語でしかなくなる。それが嫌だったんです。途中で死んじゃうベーシストや看護師にだって、それぞれの人生があるわけで、彼らの物語を書いてやりたかった。数ページ登場するだけの脇役であっても、かなり詳細なプロフィールを設定しているんですよ。後半から主役となる洋は、いわばこの物語の行く末を見届ける立ち位置。若いだけに狂った世界への抗体があるんです。
――そして『妖都』を語るうえで欠かせないのが、衝撃のラストシーンです。22年前、戸惑いつつも興奮したことを思い出します。
あれは賛否両論でしたね。終わっていないとか、途中で放り出したんじゃないかとか散々言われましたが、自分では悩みに悩んだ結果だった。拡散しきった物語がついに崩壊して、現実世界へと繋がってゆく、ということを表現するには、あの方法しかないと思ったんです。幕切れ近くの文章は、当時の僕が見たもの、聞いたものをそのまま書き留めています。
少女小説を書いていた20代「無駄ではなかった」
――単行本の刊行から22年、“津原泰水”のデビュー作を読み返してみていかがでしたか。
二度と書けない作品ですよね。当時の僕が抱えていた不安や怒りがはっきり表れているし、作家としての良いところも悪いところも入っている。文庫化にあたって手を入れるべきか迷ったんですが、これはこれで独立した作品だと思って、修正していません。直すなら全面的に書き直すことになってしまいますが、それが良い結果になるとは限らないし。スティーヴィー・ワンダーが初期の曲を、今のテクニックで録り直しますと言ったら、「ちょっと待ってくれ」となるじゃないですか(笑)。
――『妖都』に続いて文庫化される『ペニス』『少年トレチア』も幻想小説の傑作。あらゆるジャンル分けを拒む、まさに“得体の知れない”作品ですね。
お手本にすべき作品がなかったので、書くのが本当に大変でしたね。完成したらどうなるか、自分でも分からなかった。ここまで先行作に寄りかからずに書かれた作品は、世界でもそうないと思います。当時はいつ死んでも悔いがないように、その日思いついたことはすべて書き留めていました。このシーンは翌日に回そうという計画的な書き方はしていないんです。今とは違うやり方ですが、結果として異様に密度の濃い作品になっています。デビュー当時の津原泰水が何をやろうとしていたのか、この3冊を読んでいただければ分かるんじゃないでしょうか。
――2019年は文庫版『ヒッキーヒッキーシェイク』が大ヒット。その刊行の経緯がニュースになるなど激動の一年だったのでは?
いえ、それほどでも。話題になったのが過去の作品なので、気は楽でしたよね。僕はこれまで、自分を恵まれた作家だと思ってきたんです。好きなことを書いて、貧しいながらも生活ができて、なんて素晴らしい人生だろうと。しかし『ヒッキーヒッキーシェイク』が色んな意味で話題になったことで、まだ僕を知らない読者がたくさんいるんだということに気づかされた。結構控えめな読者数で満足していたんだなと(笑)。
僕なんかを評価する世間が許せない、という読者もいますが、それは健全な批判だと思います。もっとすごいものを書いてやるというなら、昔の僕そのものですからね。批判する人ほど、実は小説の力を信じているんじゃないかという気がします。
――ネット上では、津原泰水と少女小説家・津原やすみが同一人物だと知って驚いた、という声も多かったですよね。
そうでしたね。以前は少女小説を書いていた20代が、丸ごと無駄だったんじゃないか、と考えていたんです。同世代の作家がヒットを飛ばし、文学賞の候補になっていくなかで、自分だけはまともな作家扱いされることがない。なんて遠回りをしているんだろうと。しかし違いましたね。当時の読者がいまだに応援してくれることで、他の作家がうらやむような尖ったことができる。遠回りに見えていた時期は、かけがえのない財産だなと今では思っています。やはり自分は恵まれた作家なんじゃないでしょうか。