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故郷と方言 憎んでも、断ち切れない絆 作家・小野正嗣〈朝日新聞文芸時評19年12月〉

矢野悟「母子」

 先月、大分市美術館で開催された「磯崎新の謎」展に伴う記念講演会「大分という地霊」に参加し、世界的な建築家で今年のプリツカー賞を受賞した磯崎新氏から話を聞いた。

 印象的だったのは、1931年生まれの磯崎氏にとっての建築の原風景が、空襲を受けた故郷大分市の瓦礫(がれき)ばかりの焼け野原だった、つまり建築の不在だったということだ。

 いわば「過去の瓦礫」を出発点に、比類のない仕事を展開してきた氏の最近の思索を記録した刺激的な書物が、『瓦礫(デブリ)の未来』(青土社)と名づけられているのは興味深い。

 磯崎氏は土地と方言との関係にも深い関心を寄せていた。ある土地を特徴づける〈地霊〉と呼ぶべき存在があるとすれば、たしかに方言はその重要な表現のひとつと言える。

 磯崎氏が、はじめて地中海を訪れてその上に広がる空を見たとき故郷大分の空の光を思い出した、と言うのを聞いて、はっとした。

 異郷で故郷に出会う。そうしたことが起きるのは、故郷が僕たちの奥深いところを形成しているからだ。
 ふと方言が口をついて出るとき、故郷を愛せず、嫌悪し、その何もかもから遠ざかりたい者にとっては、その響きは呪いのように感じられるかもしれない。逆に、故郷の風景とそこで共に暮らした近しい人々の記憶が、ふいに懐かしさとともに甦(よみがえ)り、遠く離れて暮らす自分を支えていることに気づくこともあるだろう。

 故郷とその言葉、そこに暮らす人々との決して切断できない愛憎半ばする〈絆〉そのものが見事に描き出された傑作長篇(ちょうへん)小説が、今月ついに完訳された!
 イタリアの作家エレナ・フェッランテの『ナポリの物語』(全4巻、飯田亮介訳、早川書房)である。
     *

 5年近く前、親しいアメリカの文芸関係者から北米で話題になっていると薦められた作品がふたつあった。「でも、どっちもすごく長いよ」

 ひとつがノルウェーのカール・オーヴェ・クナウスゴールの『わが闘争』シリーズ(全6巻で、岡本健志・安藤佳子訳で早川書房より1・2巻が既刊)。もうひとつがフェッランテのこの『ナポリの物語』だった。

 クナウスゴールの小説は、私小説的な色合いが濃く、書くこと・生きることに格闘する作家のむき出しにされた魂の震えが恐ろしいくらいまっすぐ伝わってくる。

 他方、フェッランテの小説は、1944年生まれの作家エレナ・グレーコという女性が過去を回想するという形を取る。
 南イタリアのナポリの下町に生まれ、同世代の者たちが高校はおろか、中学校にも行けず働き出すのがふつうの貧しい地区に育ったエレナが、いかにして大学まで進学し、小説家となり成功できたのか。

 そこには子供時代からの親友リラの存在がある。神童と言いたくなるほど頭脳明晰(めいせき)で、底知れぬ優しさと得体(えたい)の知れぬ激しさを秘めたこの美しい少女は、男女を問わず周囲の者たちを、誰よりもエレナを、だから僕たち読者を魅了する。

 リラの放つエネルギーに感化されてエレナは優秀な成績を収める。だが、ひとつの存在のふたつの部分のように親密なふたりの道はすぐに大きく分かれることになる。
 リラの靴職人の父は、彼女に進学を許さない。家族を経済的に助けるため、リラは十代で結婚を選択。そこから血縁と地縁が複雑に絡まる、ナポリの暴力的で父権的な風土のなかで、リラの受難の日々が始まる。

 とはいえ、北部の大学に進学し、リラの叶(かな)わぬ夢を託されたかのように、文化と教養を、その特権的な表現である〈標準語〉をわがものにしようと奮闘し、ついに作家となるエレナもまた、女性や階級への差別から、何よりも否定したいと願う過去から完全には解放されない。

 有名作家としてヨーロッパ各地を飛び回るエレナ。ナポリからは一度も出たことのないリラ。感情的になるとき、ふたりの会話には〈方言〉が響く。エレナにとってリラは故郷そのものだ。だとしたらふたりを結ぶのが、愛とも憎しみとも呼べる強い何かであっても当然なのだ。
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 ふたりの人生を、その結婚、情事、子育て、交友関係(なんと複雑な!)、仕事を描きながら、フェッランテは戦後イタリア社会の空気をリアルに感じさせる。そして彼女のナポリという土地への深い愛も。
 エレナとリラの輪郭がほどけ、渾然(こんぜん)一体となる。そこに僕たちが包み込まれるとき、至福が訪れる。(作家)=朝日新聞2019年12月25日掲載