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「しらふで生きる」「記憶の盆をどり」 不意に、偶然訪れる大切なもの 朝日新聞書評から

評者: 都甲幸治 / 朝⽇新聞掲載:2020年01月18日
しらふで生きる 大酒飲みの決断 著者:町田康 出版社:幻冬舎 ジャンル:エッセイ

ISBN: 9784344035324
発売⽇: 2019/11/07
サイズ: 19cm/219p

記憶の盆をどり 著者:町田康 出版社:講談社 ジャンル:小説

ISBN: 9784065170892
発売⽇: 2019/10/02
サイズ: 20cm/296p

しらふで生きる 大酒飲みの決断/記憶の盆をどり [著]町田康

 ある年の瀬、突然「霊的な訳のわからないもの」に襲われた町田康は酒を止める。もちろん、それまで三十年も酒浸りだった心と体は暴れ狂う。
 それでも彼は酒を飲まない。なぜなら、理屈ではなく感覚で、酒を止める時が来たことを確かに知っているからだ。代わりに、彼は言うことを聞かない自己と対話しようとする。たとえば、今までそもそもなぜ酒を飲んでいたのか。それは苦痛ばかりの人生に楽しみを見出すためだ。
 しかし本来人生は楽しいものである、という考え自体、根拠がないものではないか。むしろ本来、人生は苦の連続であり、楽しみは「不意に、偶然、訪れるもの」で、人はそうした瞬間を慈しむことしかできないのでは。
 だがこうした、苦の細道をとぼとぼと歩くみすぼらしい自分、という生の実相から、現代の我々は目を逸らしている。そして酒を飲み、自らの手で歓びを手に入れられると思い込む。だが行き着く先は心身の破綻でしかない。
 ここまで来て、町田は本書で、現代社会全体について考えていることが分かる。酒であれ、インターネットであれ、仕事であれ、我々は生の惨めさが恐くて、死すべき運命が恐くて、何かにハマり込むことで現実から目を逸らしている。言い換えれば、現代人は全員、何かの中毒であり、そのことで自他を破壊しながら、幸福の幻をどうにか維持しているのだ。
 したがって本書は決して禁酒の本ではなく、殺伐とした現代の向こう側に辿り着くための試みとなっている。そしてその点において、町田は生涯パンクを貫いていると言える。なぜなら、あまりに金儲けばかりでつまらなくなったロックを再生させることこそ、パンクの精神ではなかったか。
 では、向こう側にはどんな風景が広がっているのか。酒の強烈な刺激から離れ、徐々に暮らしの細部に目が行くようになった町田は、今までずっとそこにあったはずの美を発見する。「それは草が生えたとか、雨の匂いとか、人のふとした表情のなかにある愛や哀しみといった小さなものである」。そのとき彼は、自然に包まれた子供に戻っている。
 短篇集『記憶の盆をどり』でも、重要なものは突然与えられる。「エゲバムヤジ」では、近所の女に急にくさい動物を押しつけられた男が愛を知る。そして「山羊(ヤギ)経」では、十七年前に亡くなった父が、大日如来に変化して現れる。
 必要なものは不意に訪れる。そしてひたすらその意味を見出そうとすることこそが人生なのだ。こうした敬虔な謙虚さこそが、町田文学の核を形作っている。
    ◇
まちだ・こう 1962年生まれ。作家、パンクロッカー。2000年、「きれぎれ」で芥川賞。05年、『告白』で谷崎潤一郎賞。08年、『宿屋めぐり』で野間文芸賞。著書に『湖畔の愛』『ホサナ』など。