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コーヒーの気遣いと手袋の罠 津村記久子

 最近、寝起きの自分にコーヒーを用意するのがはやっている。寝る前にマグカップの中にコーヒー粉末や砂糖やクリーミングパウダーを投げ入れて蓋(ふた)をし、あらかじめ一杯分の水を電気ケトルに入れて、わかりやすい所に「カップの中にコーヒー粉末あります。ケトルの水を沸かして飲んでください」というメモを掲示しておく。自分に対して。わたしは寝る前に自分が何をしたのかよく忘れてしまうので、うっかりマグカップに何が入っているのか確認せず、水を入れて用意を台無しにしてしまう可能性があるからなのだが、メモを書きながら変な気分ではあった。

 「コーヒー」という走り書きだけでいいのかもしれない。しかし、自分の信頼できなさかげんは自分自身がよく知っているのでそれだけでは不安だ。絶対に「コーヒー?」と首を傾(かし)げながらマグカップの中を水びたしにしてしまうに決まっている。「コーヒーあります」でもだめだ。あるのか、まあ今は水でも飲もう、と思う可能性がある。「マグカップにコーヒー」でもまだちょっと危ない。なので変に丁寧な指示内容のメモになってしまった。しかし、寝る前の自分の気遣いをありがたくも感じた。四十二年も生きてると自分の扱いに慣れてくるのか、とも思う。

 幼稚園の頃から一貫して未熟で、親からも友達からも先生からも怒られてばかりだったので、ちゃんと手袋を持って出られたとか、外から持って帰ってこられたとかいうことに未(いま)だにちょっと感動する。でも一つの行動に成功すると何かが抜けている。先日、急に寒くなった日に確定申告の相談に外出した際には、前の日まで出していなかった手袋を持って出られたのはいいけれども、肝心の用事に必要な領収証をまとめた大きな紙袋を持って出るのを忘れたことに駅で気付いて、寒い中家と駅を余分に一往復して風邪をひいた。自分はいつ手袋を用意できて忘れ物もしない人並みの人になるのだろう、と自分宛(あて)の丁寧なメモを読みながら今日もぼんやりする。=朝日新聞2020年2月19日掲載