太宰治や坂口安吾と並ぶ無頼派作家でありながら、知名度では後塵(こうじん)を拝してきた織田作之助(1913~47)。生まれ故郷の大阪を愛し、オダサクの愛称で親しまれた彼の作品に、新刊『小説家、織田作之助』(大阪大学出版会)で迫った。冒頭から「織田作之助と大阪との関係は、これまで強調され過ぎてきたのではないか」と切り込んでいる。
オダサクとの出会いは94年の春、太宰が好きで大阪大学文学部に入り、友人に薦められたのがきっかけだった。すぐさま好きになったが、2006年に群馬大学に職を得て関東に移り住むと、「誰もオダサクを知らなかった」。大阪の作家というイメージにくわえ、「戦争直後、焼け跡の雰囲気を小説に色濃く反映させたことで、かえって70年代以降の世相から遠くなってしまったのでは」とみる。
だが、作品を丁寧に読むことで見えてきたのは、彼の緻密(ちみつ)な「形式主義者」としての顔だった。「手を替え品を替え、小説で色々なことをやっている。無頼派のイメージともギャップがあって面白いです」(山崎聡)=朝日新聞2019年2月27日掲載